千粒の涙
■第4章 悲しみのとびらが開くとき
<4-1>

 その後、京都から帰宅した私の週末は、相変わらず忙しかった。
あとから、あとから、舞い込んでくる見合いの話しを一つずつ整理していかなければならず、休日は会社の友人達とショッピングや外食に行く暇もないぐらいだった。
そして、とうとう、見合いで巡り会った相手の方の人数が、私の手足の指の数だけでは足りなくなったのにもかかわらず、母はいつものように、私に見合いの話しを持ってきた。
それは、ある晩のことだった。
 いつもなら、釣書と共に写真館で撮った立派な写真が母から渡されていたのだが、その人の釣書は、自筆ではなく、スナップ写真も同封されていない物だった。それでも、その釣書の内容を読む限りでは、本人は、三才上の兄と二つ下の妹を含む三人兄妹で、当時既に、そのお兄さんも妹さんも結婚して家を離れ、家は、自らが住む為に数年前に新築。その場所は本人の両親が住んでいる所からは隣接した市に建っていた。そして、その彼が現在住んでいる家は、私の家からも車で十分強の所であり、両親と同居はしないで済むらしい。そのうえ両親は共に会社員で、当時既に会社を定年退職していた。そして本人の仕事は自営業。しかも、子供相手のそろばん塾の先生らしい。年の差は私より七才上であった。
 「どうする?。会ってみる?。」
と、母。
 私は、どちらかといえば、写真もない人に会うなんて、心の準備ができないよね?。なんてことを思っていた。
今までの見合いには、必ずスナップ写真の一枚でも釣書に同封されていたので、写真のない人に会うのは、内心ドキドキものだった。
だって、見合いの相手が、禿げてたり、デブだったりしたら、やっぱり辛い…。
確かに私には、見かけの悪い兄貴がいたから、男は見かけよりハートの問題だとは思うんだけどね…。しかし、ものには何でも程度というか…、これだったら、まだ、許せるっていう範囲が誰にでもあるとは思う。だから、その見合い相手が、もし、私の許容範囲内の人でなかったとしたら…。でも、逆に、格好いい相手だったりしたら、私の話なんか聞く耳は持たないかもしれない…。それって、ダメもとというより、当たって砕けろっていうことなんだろうか…?しかも、どう考えたって、相手には私の釣書と写真は渡っているはずだからね。
 「会うの?。会わないの?。」
再度、母に急かされ返事に詰まっていたら、
 「先方さんだって、あなたの返事を待っているんだからね。ダメだったら、ダメで返事をしておかないと、相手にも迷惑が掛かるのよ。」
と、きた。
 「暫く考えさせて…。」
 「暫くって、どれぐらいの時間?。」
 「三日ぐらい待ってくれない?。」
 「三日も待たせるの?。」
 「三日ぐらい待ってくれてもいいと思うけど…。それとも、もっと待ってくれるとか?。三日間なんて、考える時間にしたら短い方だからね。」
 「それだったら、もう、答えは出ていそうね。」
 「見合いするのは、私よ。考える時間があってもいいでしょう?。一生のことなんだから。」
 「分かったわ。三日間だけ待つわ。それで、答えがもし出ていなかったら、その時は、母から先方さんに返事をしておくからね。それでいい?。」
と、言うと、母は私の返事も聞かないままリビングから出ていった。
 私の傍のテーブルに残されたのは、まだ広げたままの一通の釣書。
 それに私はもう一度、目を通しながら、今時スナップ写真の一枚も同封していないこんなふざけた奴ってどんな顔をしているんだろう…。と、想像してみた。
 やっぱり禿げてる?。デブ?。それとも、その両方?。でも、それって、最悪の見会い相手にならない?。
 写真もないなんて、どう考えたって、それは相手に失礼だとは思わないの?。
 しかも、身長も書かれて無ければ、体重もない。
相手を判断するには、いくらなんでも、これでは情報が少なすぎる。
それでも、この釣書は、それなりの仲人さんを通じて私の母の手に渡ってきた物だろうから、悪い人ではなさそうな気はするんだけどね…。
どんな相手なのか、一見してから、判断しても、悪くはないというか…、遅くはないだろうと考えた私は、翌朝、出勤前に母に見合いの返事をした。
だだ、気を付けなければならないのは、釣書の交換の段階で、私はその相手に会ってみたくても、相手がNGを出す場合があるということだ。だから、もしかしたら、今回はそれかもしれないなということを考えていた。
なにしろ、相手には私の写真が渡っているはずだろうし、相手にも顔の好みはあるだろうからね。
そうして、待つこと三日。
ようやく、仲人さんから私の母に返事がきたらしい。
母の話によると、先方の御両親が私の写真や学歴がどうのこうのではなく、私の育った環境が気に入ったらしいということであった。
確かに、私の両親は共に地方公務員で、その当時、同居していた母方の祖父母は小さいながらも会社を経営。傍目には良いところのお嬢さんととられても仕方のないことだった。 母からそのことを聞かされ、一瞬、私はマズイ展開にならなければ良いなと思った。なにしろ、今までの見合いは、お互い会ってみて、交際するのも、断るのも本人次第で、そのことに関しては、周りからは何の非難もされないでいた。それなのに、今回は会ってもみないうちから、相手の両親に気に入られてしまうとは想像もしていないことだった。
でも、よく考えてみれば、お見合いの最終決断は本人がするものであっても、家同士の繋がりも忘れてはいけないことだった。これが、恋愛なら、双方の親達もどこかで折り合いを付けながら交際していくと思うのだが、見合いとなればまた話しが別で、双方の親のプライドも関係してくるから不思議である。もともと、恋愛感情のない者同士が結婚するのだから、双方に何か問題が起これば、取り返しのつかないことだって起きるわけだ。
そこで、親達にとっては、もしかすると、本人以上に見合いには敏感になっていても不思議ではないような気がした。


 そして、お見合いの日。その日は日曜の午後だった。
 私は、これで、何度目か自分では数えられないぐらいここの仲人さんの家を訪れていた。 だから、そういう生活が実はもう嫌になっていて、いい加減この辺りで、お見合い生活を終わりにしたいなという願望は持っていた。でも、妥協は嫌で、この葛藤とどう折り合いを付けるかで困っていたのも確かだった。
仲人さんの家に着いた時、珍しく、先方さんはまだ来ていなかったので、私は仲人さんに案内されるまま、いつものように奥の部屋の洋室で待たせて頂くことになった。
それも立ったままで待つというのもなんだからということで、傍のイスに腰掛けて待たせて貰うことになった。
そういえば、どこかに出掛ける時の私って、相手を待たせることはあっても、相手を待つということは極端に少ないような気がしたというか…、だいたいは、相手の方が約束の時間より早めに来てくださる事が多く、その私は時間にぴったり動く人間であったから、誰かを待つということが少ないのだろうとは思う。
 そうして、待つこと十分。
 見合いの相手が、仲人さんから案内されて私の待っていた部屋に入ってきた。
 「遅くなりました。」
と、一言彼。
 私は、その時の彼を見て、一瞬、唖然とした。
 それは、釣書に書かれていた年齢より、彼の見かけがスーツ姿であってもかなり爺臭く、それでいて、身長もそんなに高くはないのに、お腹が立派過ぎるほど出ていた。そして、頭髪。色は黒々とはしていて、禿げてはいなかったものの、いずれ近い将来禿げてしまうだろうと想像できてしまうような薄さであった。
ところが、その彼の顔。
これまで、私がお見合いで巡り会った人のその殆どの顔からは、どこか神経質そうな感じを受けていたのだが、彼は、私のよく知る智彦くんや温人くんとはまた違うタイプのヒトのような感じが顔に現れていたのだった。
しかし、これでは、御見合いにスナップ写真の一枚も同封しない彼の気持ちもなんとなく分かるような気がした。
ま・でも、顔なんて、いつまでも若くて綺麗なままでいられるワケじゃないし、要はお互いのハートの問題だからね。
いくら、顔とスタイルが良くても、終日喧嘩が絶えない相手となんか暮らせないし、やっぱり、選ぶ相手は、ズバリ性格の良い人!。ただ、これを判断するには、十分な時間が必要。一度や二度会ったぐらいでは、相手の全てを知ることは不可能に近い。でも、これは、お見合いだから、なるべく早い段階で相手を見抜かなければならない。にしても、私にそんな才能があるとはとてもじゃないけど思えない。それに、一度、結婚してしまったら、離婚を許してもらえるような環境に自分がいるとも思えない。そう考えると、結婚相手を選ぶことは本当に大変なことだとこの時になって初めて気付いた私だった。そうしたら、相手の性格を見抜くには何を基準にしたら良いのだろう…。
そんなことを考えながら、この時私は初めて相手の方の話しを真剣に聞いた。
そして、その時お互いに交わした言葉は、極限られていたのにもかかわらず、この時の私は何故か、この人とだったら、生涯において楽しく暮らしていけそうと、第六感とでもいうような感じを受けた。
そう───── 
 これがきっかけで、私達ふたりは結婚する運びとなった。しかも、御見合いなので、結納までが二ヶ月。そこから挙式までの半年が私達ふたりの交際期間だった。といっても、自営業の彼。交際している時間はないのに等しく、私達ふたりは結納後も彼の運転する車で遠出もなければ、外食もないままだった。そこで、私の母が考えついたのが、彼が夜、塾の仕事を終えた後、私の家に夕食も兼ねて外泊にくることだった。
本来なら、私はふたり姉妹。いくらその相手と結婚が決まっていても、結婚前に成人男性が家に来ることには少なからず抵抗はあるのが当たり前だとは思うのだが、それまでに、私は特殊な関係の兄貴達がいたことで、そんなことを深く考えずに彼と交際ができたことは本当に有り難いことであった。
もし、私にこんな兄貴達が存在していなかったら、男性のことはよく分からないまま、結婚。さらに、ふたりの間に何かの事件が起こっても、基準とする思い出がないから、こんなものかと思って、そのままずるずると結婚生活を続けていたかもしれない。そう思えば、ふたりの兄貴達と過ごした時間は私にとっては無駄ではなかったことになる。
しかし、私が結婚するということは、これまで通りに自由に兄貴達とは会えなくなるという意味もある。それも、私ひとりが会いに行くことは不可能に近い。
そうなったら、考えることはただ一つ。兄貴達にもそれぞれ、結婚してもらうこと。そうすれば、今度は、多人数での宴会をして楽しむことができるようになるからだ。でも、私の本音は、永遠にステキな四人組でいること。だけど、永遠に結婚しないでいることは、周りが不幸であることには違いない…。なかでも一番不幸な立場にある人は、私をこれまで大切に育ててくれた母方の祖父母。この祖父母に残されている時間は、曾婆も含めあと僅かしかない。その間に、なんとしてでも、結婚して、できれば、曾孫のひとりでも抱かせることが、今の私にできる祖父母への最大の贈り物。それはわかっては、いるんだけどね。結婚もしてみなければ、子供が授かるかどうかもわからないし、今時の流行のように、『できちゃった婚』では、たとえ見合いであっても、私の両親が許しはしないだろう。だけど、正式に私の結婚が決まってからは、母は自分が一人っ子であるのにもかかわらず、孫に関しては寛大らしく、『結婚しても、子供ができなかった時は、ふたりで一生仲良く暮らせばええよ。』ということらしかった。ただ、母はそれで良くても、結婚後、子供が誕生しないと今度は、周りから非難を浴びることになりかねない。『美沢さん宅のお嬢さん、嫁にはいったものの、お子さんはまだ、なんですってよ。』ってね。そして、ようやく一人目の出産を無事終えたとしても、たぶん、二人目のことを聞かれるはず。それも、一人目が女児だったりなんかしたりしたら、これが、また、最悪。『この次は男の子を頑張ってね。』って言われるのに決まっている。本当に、今の世の中って、結婚しなかったらしないで陰口を言われ、結婚したらしたで、関心あるのは子供の数。それも、必ず男児は必要ならしい…。そんなに、何事においても責められるのなら、いっそ、人間以外の動物にでも生まれていた方がよっぽどマシだったかもしれない。だけど、やっぱり、私は、人間の女に生まれてきた以上、妊娠、出産を体験するチャンスを放棄してしまうのは、もったいないような気もする。よくよく、考えたら、望んでも子供のできない人もいるからね。  
 だけど、私もいつかお婆ちゃんになった時、周りの大人達と同じ様に、他人の非難を言いながら、生きていくんだろうか…。できれば、それだけは避けたい。願わくば、他人の悪口等言わない可愛いお婆ちゃんになりたい…。
そんなことを考えなから、私は六月、花嫁になった。
 その年の夏のこと。
私はお盆の時、実家に帰ったついでに、祖父母の家の方にも寄った時のことだった。  偶然、智彦くんの母だけが来ていて、会うことになった。
 「こんにちは。伯母様。お久しぶりです。」
私が挨拶をすると、
 「ゆきちゃん、結婚したんだってね。智彦も実は来年の二月バレンタインの日に結婚することになってね。だけど、その相手がね、高卒で普通の人なのよ。お茶の先生とか、ピアノの先生とか、学校の先生が良かったんだけどね。でも、智彦が職場で恋愛したから、しかたがないっちゃそうなんだけどね。そこで、婚約指輪を買う為に、いつも利用しているデパートの外商さんを呼ぶついでにその彼女にも家に来てもらったところ、その彼女が選んだ指輪がね、その時、外商さんが持っていた指輪のうち、一番高い物を選んだのよ。」
と、智彦くんの母。
その言葉を聞いた時、それって、ただの自慢話?それとも、それは、グチなの?と思ったが、私はその件に関しては、何かを言う権利はないから、黙って聞き流したのだけど、今から、こんな所で、悪口を言われる智彦くんのお嫁さんのことを考えたら、これから先も大変だろうなと思ってしまった。
その点、私は幸せ者だ。
なにしろ、私は主人の親から望まれての結婚相手だからね。確執もなければ、今のところは、私の好きなようにさせてもらえている。それは、私の主人も同じ事。何故なら、私の母は男の子を育てた経験がないから、主人のことは自分達の息子のように思っているはずだからね。
しかし、智彦くんの母は女の子を育てた経験がないから、出来れば、ご近所の方達に自慢話の一つでもできるようなお嫁さんが理想だったのに違いない。そうでなければ、遙々、愛媛の地まで来て、こんなことを言うはずがないから。
それって、一人息子であるが故の悲劇なんだろうなとも思う。
智彦くんが結婚することによって、私は一つ楽しみが増えた。それは、私の祖母が生きている限り、智彦くんに無理に会いに行かなくても、こうして、遅れながらでも、智彦くんのお嫁さんの情報を得られるからだ。それに、いつか、そのお嫁さんに会うチャンスもあるだろうとも思う。だって、智彦くんと私は永遠に兄妹だからね。
この時の私って、不思議なことに智彦くんをそのお嫁さんに奪われてしまうという感覚は全くなかった。お嫁さんは永遠に他人だから、お互いのことを全て分かり合えるとは思っていないからだ。そういう私も主人とは永遠に他人だから、無理にお互いを分かりあおうとも思わないし、お互い長く付き合っていくためには、ありのままを受け入れる寛大な心があればそれで十分だと思っていた。

 そして、智彦くんが結婚して二ヶ月がすぎようとしていた頃、私の実家の母から電話が掛かってきた。
その内容は、妹えりが京都から愛媛に帰ってくることだった。それも、実家にではなく、今度の引っ越し先は、以前住んでいたことのある松山市。それが何故私に必要な情報かといえば、えりは京都でのひとり暮らしを満喫していた間に、小さな水槽で何匹かの熱帯魚を飼っていたらしく、それが、引っ越しの時、処分できそうにないから、私と主人のふたりで京都まで、それを取りに行ってほしいというものだった。
もともと、えりは、子供の頃からお魚系は好きな生き物だったらしく、実家でも、金魚やメダカの世話を喜んでしていた時期があった。だから、引っ越しの時も連れて帰りたいという心境が分からないわけでもないのだが…。
実は、私の主人。結婚する以前から、この人が大の魚好き人間。しかも、当時、熱帯魚にはまっていた。自宅隣接の教室の壁際に、大中小、様々なサイズの水槽にこれまた、様々な種類の熱帯魚が泳いでいたのだった。
それを妹えりが見逃すはずは無く、私の主人はえりにとっては三番目の兄貴ということらしく、親しげに、その飼い方を事細かく聞いていたから、いずれは何かやるだろうなと思っていたら、どうもそういうことになっていたようだった。
だから、私の母にしてみれば、私の主人に相談した方が良いだろうと思ったみたいだった。
そこで、突然、決まった京都行き。
これは、もしかしたら、智彦くんのお嫁さんに会えるかもしれないなと思った。
妹えりは、京都に住んでいたことで、智彦くんの結婚式当日、祖母に代わって式や披露宴に出席したから、既に智彦くんのお嫁さんには会っていた。そのえりが言うには、
『三奈子さん(智彦くんのお嫁さんの名前)って、気さくで、話しやすい人よ。』
ということらしかった。
しかし、今の私には、このまま三奈子さんには会わない方が良いような気さえしてきた。 どんな顔をしているとか、どんな性格だとか…、知らないことの方が幸せだったっていうこともあるからね。
でも、一度は会ってみたい気もするし…。
会うのは悪いような…、上手く言葉には出来ない複雑な心境の私だった。
だけど、このチャンスを逃したら、三奈子さんに会うことは私にはもうないかもしれないと思うと、決心の末、京都市内の新居に住む智彦くんにそれから三日後の夜、電話を掛けることにした。
しかし、こういうときの親戚って有り難い。
どこからともなく知りたい人の住所や電話番号なんて情報として入ってくるから不思議である。
 私が電話を掛けると、何度目かのベルの呼び出し音の後、どうやら、ふたりのうちのどちらかが取ったみたいだった。
「有瀬さんのお宅ですか?。」
と、私が恐る恐る尋ねると、
 「なんだ、ゆきか。」
と、いつもの聞き慣れた智彦くんの声に内心ほっとしながらも、心臓は今にも口から飛び出さんばかりにドキドキものだった。
別に、主人に隠れて電話してるワケではないのだけどね、なんだか懐かしくて…。だって、私、自分が結婚してからというもの智彦くんの声を聞くことがなかったから…。
 それでも、一呼吸おいたあと話しを続けた。
 「結婚したんだってね。おめでとう。」
 「ああ。」
 「えりから、何か聞いているかもしれないけれど、近いうちに、えりの引っ越しの荷物の一部をそっちに取りに車で行くから、お祝いに何か持参しようと思うんだけど、何がいい?。」
 「ゆきがくれる物なら、何でも良いよ。」
 「それじゃ、マズいと思ったから、電話で聞いているのに、参考になんかならないじゃないの!。」
 「で、ゆきは何がほしい?。」
 「お兄ちゃんのことだから、そうくると思ったわよ。」
 「で、何がいるの?。」
 「本当にお願いしてもいいの?。」
 「疑い深い奴だな。」
 「だって、なんだか、悪いような気がして…。」
 「それで、ゆきは何がほしい?。」
 「あのね…。下着がほしいの。」
その言葉をささやくように伝えた。すると、兄貴のことだから、また、嫌味の一つぐらいは返ってくると思っていたのに、何故か、
 「色は?。」
と、あっさり聞かれ、私は拍子抜けしてしまった。
 「そうね。赤でいいわ。」
 「サイズは?。」
 「M(エム)。」
 「わかった。」
と、智彦くん。
 「ところで、お兄ちゃんの方は何が必要?。」
 「ゆきが贈ってくれる物なら、なんでもいいよ。」
 「本当にそれでいいの?。」
 「ああ。」
相変わらず、頑固だというか…、その辺は融通の聞かない奴だといえばいいのか…。それとも、それが、智彦くんの優しさなのか…?。私にはよく分からないことの一つだった。 「お嫁さん、大事にしてあげてね。」
と、言うと、『ゆきも、幸せになれよ。』とでも、言ってくれるのかと期待したのに、智彦くんから、返ってきた言葉は、
 「ああ。」
と、いう言葉だけだった。
その言葉を聞いて、智彦くんにとって、私は妹でも彼女でもなく、今は姉の役目をしているんだなと思った。
 「そしたら、また、電話するから、その時は宜しく。」
と、だけ伝えると、私は受話器を置いた。

 それからの数日間、私は智彦くんに何を贈ろうかと、散々迷った。
迷った末に、京都への出発の一週間前になって、自宅から少し離れたところにある有名デパートに主人と共に出掛けることにした。
そして、そこで見かけた夫婦茶碗とお湯のみのペアを買った。本当は、こんな贈り物なんかしなくても、智彦くんは有瀬家の一人息子。どうせ、叔母ちゃん(智彦くんの母)が何から何まで、準備しているんだろうけど、たとえ、それが安物であって、使っていくうちに、いつかは割れたり欠けたりしても、私は心が贈れればそれで満足だった。それに、よく考えると私は、今まで、智彦くんから何かを頂くことはあっても、こんなふうに正式に何かを贈るというのはこれが初めてだった。
私が買った品物を店員さんが手際よく商品を箱詰めしていく姿を傍で見ながら、智彦くんとこうして、物を贈ったり贈られたりするのは、もう、これが最後かもしれないなと思った。
なにしろ、智彦くんの住む町と私の住んでいる町の距離は、直線で結んでも三百五十キロはある。その距離間プラス、お互い親戚であっても、今から会う時はお互いの配偶者を共にすることになるので、以前のように、ふたりで自由に会えるということもできなくなるからだ。
それでも、私の祖母が健在である限りは、たとえ智彦くんと会える時が五年か十年に一度になったとしても、完全に会えなくなるということはないだろうと思った。
私は大好きな智彦くんとの結婚を選択しなかったことは間違ってはいないと思っている。もともと、私は人と争うことは好まない人間であり、それは、たぶん、智彦くんも私と同じ考えだと思っているし、そういう考えに私が至ったのも、実は智彦くんの影響があったからである。
自分の周りにこんなにも強烈な印象の異性が存在していたら、他の異性なんて、その影が薄れてしまうというか…、関心がなくなるのはのはあたりまえ。
そんな私が、もし、智彦くんとめぐり会ってなかったとしたら、私はたぶん、主人には巡りあってなかったし、たとえ、結婚したとしても、もっと早いうちに結婚。今頃は子育て真っ最中だろうと思う。そうでなかったら、異性に関心のないまま、私のことだから、生涯独身でいたかもしれない。だから、こんなことを考えると、智彦くんには感謝しなくちゃ罰が当たる?と思っている。


それから、一週間後、予定通り、私達夫婦は、前日の夜、車ごと乗船。翌早朝、大阪の南港に上陸した。
主人は仕事柄、日本中を旅行しているのだが、その時にはJRなどの交通機関を利用していた為、今回のように車で移動というのは、どうも、初めてのようだった。それに、そういう私も京都までは交通機関を利用していて、そこからの移動は車やバスだったとしても、その辺の地理には詳しい人とであったから、妹えりの住むマンションまで、車で移動というのは初めてだった。
そこで、主人とふたりして、南港から出発前に車内で地図を広げることとなった。こんな時は、携帯電話やカーナビゲーションのような物があれば、地図を広げる面倒なこともしないですむのに、当時はまだ、開発中か庶民にはまだ手が届かない代物であった。
その当時の四国地方は、まだ、高速道路も整備中か一般道路と併用されていても一部区間の短い距離であったから、道に迷うということはなかったのだが、大阪市内となれば、また話しは別で、田舎者の私達ふたり。地図で確認しながらとはいえ、何処で高速や自動車道に乗って何処のジャンクションを通過すればいいのか等全くわからないまま走るのだから、無事に京都まで行けるのかが心配だった。
それでも、ここまで来て行かないということも言えず、出発することにした。
標識さえ見落とさなければ、田舎者でもなんとかたどり着けるだろうとは思うんだけどね。ただ、一度、高速道路で道に迷うと、後が大変で取り戻すにはかなりの覚悟が必要だとは思っていた。
そしたら、やっぱり、やってしまった!。
自動車道を降りて次は高速に乗らなければならないところをそのまま通過してしまったのだった。でも、そこは自動車道。高速と違い次までの距離が短いから、次で降りて引き返せばいい。けれど、今度は何処で乗ればいいの?。ということになる。しかも、都会は一方通行が多く、田舎道のように車の通る幅があれば何処でも通れるということができないのは辛いことだった。
そこで長年住んでいる人達にとっては、自分とこの庭のように自由に移動できるんだろうけど、私達のような完全な田舎者にとっては怪物にでも出会ったような気がするのは何故なんだろう…。
それでも、じぶんの持てるだけの知識を駆使して行った場所というのは、なかなか忘れられないだろうとは思うんだけどね…。
さらに、それは一度だけではなく、二度三度と車で行くようになれば、完全に道をマスターできるとは思う。
 しかし、妹が愛媛の地に戻ってくるとなれば、そんなにしゅっちゅうここを通ることもないだろうから、今度、私達がここの道を車で通る時は、今よりもさらに複雑になっているような気がする。本当に『狭い日本どこへ行く?。』というスローガンがピッタリはまる感じが都会の道だと思った。そうなれば、道路の近所を漂う排気ガスのことを考えるとき、私は都会暮らしは嫌だなと思った。また、町の明かりが邪魔をして、快晴の夜であっても星さえも見えないという都会の生活は、なんとなく、気の毒な感じさえしてきた。が、都会に近い田舎なら、便利で快適だろう。でも、そんな生活、私にはたぶん一生、縁がない。これも運命と思い諦めるより他はないような気もするが、住めば、何処でも都というらしいから、その環境に早く慣れるのにこしたことがないような…。
ただ、こんな田舎者の私がこうして、時々、都会人になれたのは、ふたりの兄貴、智彦くんと温人くん、そして妹・えりのおかげだとは思ってる。
自由で楽しかった時間。
どうやら、ここで、そろそろ、ピリオドを打つ時が来たというべきか…、ピリオドを打つ練習に入ったというべきか…。
私達四人組の時間も最終章入りってことらしい。
本当は、この先も、ずっと、ステキな四人組でいたかったんだけどね…。
時間は止まっても待ってもくれないからね。
この先、お互いが全く行き来できないというわけでもないのだか、私の想いは複雑だった。


 南港を出発して、一時間。道に迷いながらもどうにか、高速道路を走り、京都南で高速を降りる前に、私達は一度パーキングエリアで休憩をした。
そこで、電話ボックスを見つけた私は妹・えりに電話をした。すると、どうやら智彦くん夫婦も私達夫婦が到着するのを待っているみたいで、昼食は、町に出てみんなでしようと言う約束が既に成立しているようだった。 
智彦くんに会うのは、今回二年ぶりになる。それでも、いつの間にか、智彦くんが愛媛を訪れている回数よりも大人になった私の方が、はるかに多く智彦くんの住む町を訪れていた。できれば、お互い結婚が決まった頃、最後の思い出としてもう一度ふたりで会いたかったんだけど、とうとう、その夢だけは叶わないでいた。
妹・えりの住むワンルームマンションに着くと、玄関先から、既に段ボールの山が出来ており、どうやら着着と引っ越しの準備が進んでいるようだった。
 「えり、来たわよ。」
玄関から私が声を掛けると、
 「はーい。今行く。」
えりが奥の部屋から出てきた。
 「お兄さん、こんにちは。着いて早々に、悪いんだけど、これを持って返ってほしいの。」と、妹・えりの指差す所を見ると、四十五センチサイズの水槽に熱帯魚が少々泳いでいた。しかも、その水槽に魚を飼うようになって数年たっているというのにもかかわらず、目立った汚れがないことから、えりの奴は相当、掃除にもハマっているらしかった。私の主人なんか浄化のフィルターを取り付けていたら、いつも水を変えなくてもいいと言って、これまで、水槽の掃除をしている姿は見たことがなかったから、水槽の隅っこは酷く汚れていた。それでも、主人に言わせれば、少々掃除をしないでいても、死んでしまう魚なんて忍耐のない奴だということらしい。さらに、主人の言い分が、かえって水槽の掃除のし過ぎは、魚にはよくないらしいのだが、それって、単に自分が面倒くさがりやだけなのかも?と私は思っていた。
主人のその面倒くさがりやの性格は、他の事にも共通していて、部屋が少々汚れていたって気にならないらしく、逆に私は家事の手抜きができて、そういうところは有り難かった。だって、妹・えりみたいに几帳面すぎると私のような人間では主婦は務まらないからね…。
 「高速、込んでた?。」
 「全然。」
 「道、迷わず来れた?。」
 「ん。まあね。」
と、私が言葉を濁すと、横から主人が、
 「自動車専用道路で、道間違えた。ゆきのカーナビでは役に立たなかったよ。」
と、言えば、
 「ゆき姉は、昔っから、方向音痴だから、お兄さん気をつけとった方がいいわよ。」
と、妹・えりの鋭い返事に私は返す言葉がなかった。そこで、私は話題を変えることにした。
 「これからの予定はどうするの?。」
 「一旦、智彦兄ちゃん宅に行くことになってるから、道案内はするね。」
 「行ったことあるの?。」
 「何度かね。」
 「それは、電車でしょう?。」
 「そういうことになるけど…。」
 「道、迷わない?。」
 「ゆき姉と違って、私は方向音痴ではないからね。大丈夫よ。それに、言わなかったっけ?。智彦兄ちゃんの新居、今まで智彦兄ちゃんがひとりで住んでいたアパートから、駅二つ奈良市寄りなだけだから、迷うことなんかないわよ。」
と、いうことで、私達姉妹は、私の主人の運転する車に乗り込むと、一路、智彦くん夫婦の住むマンションを目指した。
その間、熱帯魚には留守番をさせておくことにした。そうしなかったら、今夜の船の便で大阪の南港から帰るとしても、終日、熱帯魚を車に積んだままだと、いくらナイロン袋にエアーを入れていたって、熱帯魚の命は保証できないと私の主人が言ったからだった。
そうして、車に揺られること、三十分余り。
 「これが、智彦兄ちゃんの住んでいる所よ。」
そう言って、妹えりが指さす方向には周りよりも一際高いマンションが建っていた。
 「ここの六階だからね。ちよっと、降ろしてくれる?。お兄ちゃんに言って、何処に車を止めたら良いのか聞いてくるから。」
えりは道端に停めた車から降りると、そのマンションに消えていった。
いよいよ、智彦くんに会える…。
そして、今回は智彦くんのお嫁さんの三奈子さんにも初めて会うことになる。
この時まで、いろいろと三奈子さんについて想像を巡らせていたことに、今日ようやくピリオドが打てる…。
ピリオドが打てるのはいいような…、悪いような…。
逆に考えたら、智彦くんだって、私の主人に初めて会うことになる。それは、智彦くんと私にとっていいことなのか?、それとも、悪いことなのか?
ここへ来るまで、この時がくるのをずっと望んでいたのに、いざその時がきたら、心が揺れる…。でも、その揺れる心を誰にも悟られてはいけない人生を選択したのは私だ。それに、心がどんなに揺れていても、誰も私の味方はいない現実…。その現実をこれから、一生かかって受け入れる努力をしなければならないなんて…。ああぁ。神様はなんて残酷なの。たとえ、好きなった相手が法律上はなんの問題もなかったとしても、好きなってはいけない人を好きになってしまった私の罪ってなんて重いのかしら…。 今までみたいに智彦くんとは頻繁に会えないとしても、こうして、智彦くんとは時々、会うことにはなるんだろうと思う。でも、それがお互いにとって幸せなのか?…、それとも、不幸なのか?… 。今の私にはそれすら判断出来ない状態だった。
暫くすると、えりがマンションから現れた。そして、私達夫婦が乗っている車の傍まで来ると、
 「ここからこの方向のまま、少し行った先に空き地が左側にあるから、そこに止めてきたらいいよ。って言ってたから、そうしたら?。」
と、言うので、それに従うことにした。
そこで、えりをその場に残し、私達夫婦はそこまで車で移動。車を駐車した場所から折り返しマンションまで歩くと、ロビーでえりが待ってくれていた。
エレベーターに三人で乗り込み、六階で降りた。
 「ここよ。」
そう言って、えりが教えてくれたのは、エレベーターのすぐ近くの部屋だった。
インターホーンをえりが押したまでは良かったのだが、えりは相手の返事もないうちに玄関ドアを開け中に入った。
 「兄ちゃん、連れて来たわよー。」
えりがそう声を掛けると、奥の部屋から智彦くんが現れた。
 「こんにちは。」
  私が挨拶をすると、
 「ようやく、来たか。」
 いつもと変わらない智彦くんの話し方に、私は内心ホッとした。
 「ほら、上がれよ。」
智彦くんにすすめられて、私達三人は玄関で靴を脱ぐと、揃って奥の部屋に入ることとなった。もし、これが、まだ智彦くんが独身だったりしたら、私達姉妹には遠慮という言葉を持ち合わせてないから、智彦くんに『入れよ。』なんて言われないうちに、ズカズカと部屋に入っていたと思う。お互い結婚するということは、こういう配慮もしなくちゃならないのはなんだか面倒だなと思う。智彦くんと私達姉妹はたとえ僅かながらでも、同じ血が流れているから、遠慮なんてしなくてもいいけれど、結婚してしまうと、相手は完全の他人様だからね。私達姉妹の躾がなってなかったりしたら、今度は、智彦くんのお嫁さんの三奈子さんに笑われてしまうことになる。
 「お茶を入れたほうがいい?。」
私達三人が通されたところは、カウンターキッチンのあるリビング。
もともと、智彦くん。ゴミ集めが趣味なのか?それとも、いらない物を捨てられない?整理出来ない?性格なのか?、カウンターには、細々とした物が沢山積んであり、キッチン側にいる三奈子さんの姿は殆ど見えず、声だけが聞こえるという有様だった。
 「三奈子さん、お構いなく。」
えりがそう返事をすると、キッチン側から三奈子さんが現れた。えりの方は、これまでに何度か三奈子さんには会っているから面識はあるのだろうけど、その三奈子さんは、黒縁のメガネをかけていて、髪はショートカット。身長は智彦くんより少し低いかんじがした。さらに、着ていた服はトレーナーにジーパン姿。私がこれまで想像していた人とは随分かけ離れていたことにちょっとがっかりした。それでも、私は初めて会う人だし、私にとっては、三才年上の人になると智彦くんから以前、聞いていたこともあり、先に私が挨拶をした。
 「はじめまして、ゆきです。」
床に正座して、三奈子さんに視線を合わせてそう言ったのにもかかわらず、三奈子さんからは何の返事もないまま、彼女は智彦くんの右側に正座しただけだった。
もしかして、これは、三奈子さんに嫌われたかな?と、思ったのだが、三奈子さんって、気さくな人だからと、えりから聞いていたので、こういう型にはまった言葉は苦手なんだろうな思い直すことにした。そこで、私は持参した紙袋から、包みを取り出すと、
 「お兄ちゃん、これ。」
と、言って、智彦くんの前に差し出した。
 「あ、ありがとうな。」
そう言って、智彦くんは受け取ると、その場でその包みをバリバリと破った。そして、箱を開けて中を見たものの、また、元のようにフタをしてしまったので、
 「使ってね。」
と、私が言うと、
 「あ、そうさせてもらうよ。」
と、智彦くん。でも、その表情はどこか複雑そうに見えた。
 「そういえば、ゆきに渡すものがあったんだ。」
智彦くんは腰を上げると、隣の部屋に入っていった。その智彦くんの後に続いて、私も隣の部屋に移動したかったのだけど、三奈子さんの手前、そういうワケにもいかず、ここはグッと我慢した。
暫くして、戻ってきた智彦くんは、そんなに大きくない紙袋を持っていた。そして、先程、座っていた位置に再び座ると、
 「これは、ゆきに頼まれていた物。」
と、言って、智彦くんは紙で包装されていた物を私に差し出した。私はその包み紙を見て、直感的に下着が入っていると思ったので、
 「ありがとう。」
と、お礼を言って受け取った。すると、
 「他にこれに入っている物は、新婚旅行のお土産だから。」
 そう言って、今度はその紙袋ごと私の前に置いた。そこで、私はその紙袋を覗くと、智彦くんらしい土産物がいろいろと入っていた。
 「出して見てもいい?。」
私が智彦くんに尋ねると、
 「別にいいよ。」
と、言うので、その袋に入っていた物を一つずつ取り出しすことにした。
まず、初めに私が取りだしたのは、本物のパイナップルぐらいの大きさの形に作られ、着色されたロウソクに立体のミッキーマウスが、これまた、ロウソクの素材で作られて、着色して張り付いていた物だった。それが細かいところまで実に良く出来ていて、火をつけてしまうなんてことはできない物だった。
二つ目は、棒の先にこれまた、パイナップルの形のスポンジが付いていて、一目でグラス洗いだとは思ったのだけど、これもまた、使ってしまうのには惜しいような気がした。 そして、最後は白地に黒の水玉模様の私の手のひらに乗るぐらいのサイズの丸い箱が入っていた。それを私が手に取るのを見た三奈子さん、私がその箱を開けてしまわないうちに、
 「それは、三人、お揃いの物だからね。」
と、そう言って付け加えた。
三人共、お揃いの物?。
と、いうことは、私の妹えりと、三奈子さんと私が同じ物を持っているっていうことなんだなと思いながら、その箱を開けると、中には二種類のペンダントトップが入っていた。その内の一つは、ダイヤモンドのような輝きをもつガラス玉で、もう一つは、ゴールド色のハートの一部に小さなガラス玉が埋め込まれていた。
このデザインと全く同じの物を三人が持つということは、三人が喧嘩しないようにという智彦くんの配慮ではないのかとも思いながら、私はまた元のように箱にしまっておいた。 そうよね。今の智彦くんの気持ちを私なりに想像したら、えりは完全に智彦くんの妹のような存在であり、三奈子さんはお嫁さん。そして、私は智彦くんの恋人でもなければ、妹にも、姉なれない宙ぶらりんな存在。それでいて、智彦くんにはこの三人のうち、誰が本当に一番好きなのか、それを問いつめることすら出来ない私。
要するに、智彦くんと私はただの優柔不断なだけなの?かもしれないなとも思う。ま・それを良くいえば、争いごとやもめ事は起こしたくないという考え方だとは思うんだけどね。もし、そうだったら、何故、智彦くんは私を妹のひとりとして扱わなかったんだろうか?。私を自分の恋愛対象にしてはいけないことぐらい気付いていたとは思うんだけど…。私は、それに気付いていたからこそ、智彦くんと付き合う時は冷静でありながらも、無邪気な私を演じることに徹していたのに…。
さらに、智彦くんは一瞬にして、私の感情を破壊してしまったことに気付いてはいないような気がするんだけど…。
それを今となっては、もう、確かめる術も時間もないまま生きていかなければならないなんて…。
神様ってなんて意地悪が得意なのかしら…。
しかし、逆に考えたら、智彦くんと秘密を共有していることにはなるけれど、それは、先に、私に手を出した智彦くんが悪いのではなくて、共犯者にはなると思う。
共犯者にはなるけど、もし、智彦くんに巡り会ってなかったとしたら…、私は自分が女であるという認識がなかったかもしれない…。
それは、智彦くんに手を出されたから、好きになったというわけではなく…。
元々、嫌いなタイプのヒトではなかったから…、最終的にこうなってしまっただけのこと…。
好きで…。
好きで…。
どうしようもないぐらい好きな相手でありながらも、恋におちることはできない…。
今、この両手を差し出せば、優しく握り返してくれそうなぐらい傍にいる人なのに、私はこの先もずっと冷静でなければならない現実…。
智彦くんはその現実をどう受け止めているのだろうか…。
確かなことは、私がどんなに努力をしても、他人の三奈子さんにはかなわないこと…。そして、それは智彦くんにもいえること…。
もしも、ただ一度だけ、魔法が使えるのなら、智彦くんと結婚することとかではなくて、智彦くんの心の中を全部覗いてみたい…。
たとえ、それが私にとって辛い結果だったとしても、この先の長い人生の間、そのことに関して、苦しまなくて済むのなら、その方が今よりもましな人生を歩けるような気がする…。
 「お兄ちゃん、お昼は何処に行くの?。」
えりがそう言って切り出した。
 「そうだな。町へ行こうとは思ってるけど…、その方がゆきもいいだろうと…。」
 「ゆき姉はどうしたい?。」
 「兄ちゃんが連れていってくれるところならどこでも…。」
 「車は?。」
 「二台、別々に乗って行った方が帰りに便利だろうからそうするか?。」
 「ゆき姉もそれでいい?。」
 「それは、それでいいけど、えりはどっちの車に乗ってくの?。」
 「そんなん、ゆき姉のに決まってるやんか。どのみち、水槽ごと持って帰ってもらわないと、私が困る。」
 「そうやった。すっーかり、水槽のこと忘れとった。」
 「その為に、来てもろうたんやから。」
 「そしたら、今から行くか?。」
 「ちょっと、待って、私、トイレ借りる。」
えりは、そう言うと、トイレに入ってった。
今、この部屋には、私達三人以外に、私の主人もいれば、智彦くんのお嫁さんの三奈子さんもいるのに、何故か私達三人の会話には加われない?!、加わらない?!ことが、私には、嬉しいことなのか?、それとも、悲しいことなのか?何だかとーっても複雑な心境だった。
お互い結婚後、遠距離に住むことにならなければ、いつも、こうして、会話を楽しむことができるのに…。しかも、誰に遠慮することもなく…。
だけど、この先はたぶん、そうそう、会うこともなければ、会話をすることもなくなってしまうだろう…。
だから、せめて、今、この時だけでも、私は智彦くんにとっては良き妹でいたい…。それが、私の決めた人生だから…。そして、この先の人生も、智彦くんには滅多に会えなくても、私は生涯において智彦くんの可愛い妹であれば、他は何も望まない…。
 『お願いだから、私を見捨てないでね。』
と、私は智彦くんの心に向かいそう念じていた。
 「ゆき姉もトイレ借りたらー。」
洗面所の方で、えりの私を呼ぶ声がした。
 「そういうことらしいから、私もお手洗い借りるね。」
と、一応断りを入れてから、床から立ち上がり私もトイレを借りることにした。
そのドアを開けると、まず、目に付いたのは、和式ではなく、今時流行の洋式のトイレでウォッシュレット付きだった。しかも、新築のマンションなので、壁も天井も床もどこもかしこもぴかぴかに磨きがかかっていた。私の結婚後住み始めた家のトイレ。自営業にもかかわらず、一カ所にしかなく、それも、当塾に通う子供達も使うということで、洋式にというわけにはいかず、男女別で女子トイレは和式になっていた。家族だけで使用するのであれば、そんなにトイレが汚れることもないのだろうけど、不特定多数の人が使うとなれば、また、話しは別で、私は日々このトイレの汚れと格闘していたから、どこもかしこもぴかぴかのトイレは随分と羨ましかった。
さらに、水洗タンクの上には、造花が飾ってあり、しかも、そこから良い香りが流れていた。
我が家もこんなトイレだったらな…。
用を足しながら、ふと、ため息が出た。その私の目に映った物…。それは、トイレに入った時には気付かなかったのだが、用を足す時に出入り口ドアに向かって便座に座った私が見上げた天井近くの物を置ける台の上には…、そう。未使用の生理用ナプキンの袋が無造作に置いてあった。
そうよね。
結婚するということは、相手のこんなところまで知ることになるんだよね…。そんなことも今の今まで気付かなかったなんて…なんて、私は鈍感なんだろう…。
本当に心から好きで、好きで、大好きな相手には、自分の全てを知られることは、恥ずかしいことでもあるのだが、逆にその全てを知ってもらうことは、大きな喜びでもあるはず…。だけど、私の場合、見合いで結ばれた相手なので、私の全てを知られることは嫌だなと思った。そして、智彦くんにも三奈子さんの全てを知ることを、できれば避けてほしいなとも思った。
でも、それは、私の我が儘でしかない…。どんなに望んでも、もうどうすることもできない現実…。この現実とどう向き合っていくかが私のこれからの課題である。
 「ゆき姉、まだー、入ってるのー。追いてっちゃうわよー。」
相変わらずえりは、忙しい奴だといえばいいのか…、賑やかな奴だといえばいいのか…。 だけど、えりがいるおかげで、私はどーっと落ち込まないですんでいる。もし、彼女の存在がなかったとしたら、私は今何を考えていて、どうなっていたことか…。
 「今、行くー。」
そう返事をしながら、私はトイレを後にした。すると、
「先に車に行っててくれる?。私もトイレに入ってくから。」
と、言って最後にトイレに入ったのは三奈子さんだった。
 「ほら。ゆき姉、私達が先に出ないと、お兄ちゃんが困るから。」
えりに急かされ、私は主人と共に先に階下に降りる事にした。そのエレベーター内で、 「お兄ちゃん車はどこに置いてあるの?。」
私がえりに聞くと、
 「マンション住人専用の駐車場に決まってるじゃない。」
 「でも、それって、何処にあるの?。ここへ入ってくる時に気付かなかったから…。」 「たぶん、正面玄関の近くだと思うんだけど…。」
「やっぱり、えりだって知らないんだ。」
「そんなこと知らなくっても、いいじゃない。」
「それは、そうだけど…。」
えりにそう言われて、私はまた、マズイことを聞いてしまったと反省した。えりにとっては興味のないことかもしれないけれど、智彦くんに滅多に会うことのない私にとっては、智彦くんの情報はどれも大切なことなのだ。
 その後、私達姉妹は、私の主人の運転する車に乗り込むと、再び、マンションの玄関付近に駐車して、智彦くん夫婦が階下に降りて来るのを車に乗ったまま待つことにした。
あの時、私がまだ十二才だった頃、何かの手違いで、智彦くんに会ってなかったとしたら、私は、たぶん、今、こうして、ここにはいなかったかもしれない…。
それに、智彦くんだって、三奈子さんには巡り会ってなかったかもしれないな…とふとそんな言葉が頭の中を過ぎった。
そう。私と智彦くんは、私達ふたりの力ではどうにもならない現実があったからこそ、こんなふうになった今があるのだと思う。
たとえ、それが不倫ではなかったとしても、私達は本当は巡り会ってはいけない相手だった。
自由でいて楽しかった時間を共有しながら、育ってしまった私達が犯した罪…。
それは、一生許されない罪。
その罪を犯した時間が、結婚前の出来事だったとしても、私達はお互いの生涯においてて『兄と妹』であり続けなければならなかったはず…。
だけど、どうしてこんなことに…。
こんな悲しい結末を智彦くんは私にプレゼントしてくれたんだろう…。
お互い犯した罪のことで、それを糧に『この先も一生、強く生きていけ。』ということなんだろうけど、あたしは…。
あたしは、ひとりの女なんだよ。
智彦くんの母親でもなければ、姉でもない…、ひとりの…、しかも、五才下の可愛い妹にしかなれないのよ…。
そんな基本的で単純なことに智彦くんが気付いてなかったとは思いたくもないけど…。 今は、もう、それを確かめる術もなければ、智彦くんに聞いてみる勇気さえない私…。 この先、一生背負い続けるこの罪はなんて重いのだろう…。
このことに関しては、智彦くんは男性だから、私が考えているように細かいことまでは想像できていないのかもしれない…。
でも、手に掛けてはいけない相手であるという認識はしていたはずだから…。少なくとも、今はそう思いたい私だった。
そうして、車に乗ったまま待つこと五分。
 智彦くん夫婦も愛車に乗って現れたと思ったら、私達三人が乗って待っていた車の前を通り過ぎた後、路肩に停車した。その車から降りてきた智彦くん。私達三人が乗っている車の傍に来て、
 「京都の町は、走ったことある?。」
と、私の主人に向かい尋ねた。
 「ぜんぜんない。」
と、答えると、
 「だったら、僕が先に走るから、ついてきてくれる?。」
と、智彦くん。
 「その方が助かる。」
と、主人。その会話を傍で聞きながら、私はこんな穏やかな時間をいつも共有できたらいいなと思っていた。
そんなわけで、二台の車に分乗して乗った私達五人の移動が始まった。
しかも、先程、通り過ぎた時には気付かなかったのだけど、ふと、先行く智彦くんの運転する車に目をやると、車のナンバーは京都ではなく石川ナンバーになっていた。そこで、えりに、
 「なんで、また、石川ナンバーなん?。」
と、聞けば、
 「兄ちゃんの叔母ちゃん、つまり、兄ちゃんの母のお兄さんって人、石川に住んでるやんか、その叔父さんが、『車にもう乗らんから、あげる。』ということになったらしいんだって。それで、兄ちゃんの父が貰うことになったらしいんやけど、お父さんも車があるし、二台あっても駐車するスペースが自宅にはないから、最終的に兄ちゃんに回ってきたらしいよ。」
と、いうことらしかった。
まあね。私達の一族って、どちらかといえば、お金には困っていない人が多いからそういうことになるんだろうけど、それにしても、外装はそんなに年数も経っていない新車のような車のやり取りまでしてしまう私達一族って、普通では考えられないことだろうなと思った。
それに、三奈子さんの前では智彦くんの母のプライドもあるだろうし…。
そうそう。智彦くんのお嫁さんの三奈子さん。私の祖母やえりからの情報によると、京都市内で、小さな喫茶店を経営している両親の元で育った、ふたり姉弟らしかった。その弟さんは現在、東京都在住で、まだ、独身ということらしい。そんな三奈子さんは京都市内の高校を卒業後、就職。その時に智彦くんと巡りあったということらしかった。さらに、三奈子さんは親想いの方らしく、家業の店を手伝うこともあるとかで、心優しい働き者のようだった。
しかし、智彦くんの母にしたら、短大卒か大卒かのどこかの良いところのお嬢さんをお嫁さんにしたかったみたいで、夢破れたことはかなりの痛手ではあった様子だった。でも、智彦くんがその件に関しては一歩も譲らなかったみたいで、三奈子さんとの結婚が成立したらしい。
逆に三奈子さん側からは、智彦くんが高学歴と高収入があったことで、反対はされなかったみたいだったけど…。
ああぁ。もし、私が、完全な他人で、三奈子さんと同じに高卒だったとしても、もしかしたら、智彦くんとは結婚できていたかもしれない…。
だけど、もしそうだったとしたら、こんなには深く智彦くんのことを知ることもなかっただろう…。
完全な他人として、智彦くんと巡りあっていたとしたら…。
それも、お互い異性の姉弟のいないまま育っていたとしたら…。
私達ふたりは、もしかしたら、全く違う人生を歩んでいたような気がする。
たぶん、その方が、今よりもましな人生だと思いたい…。
それでも、こんな状況になっても、まだ、私は愛に破れたなんてことは思っていない…。 どのみち、智彦くんにとっての私は『妹』にしかなれない存在だし、私にとっての智彦くんも『兄貴』しかなれないのだから、このまま、こうして、時々、会って思い出を重ねて生きていけば、私は他に望むことはない。これ以上、他のことを望んでいたりしたら、今よりも、もっと、悪い状況になって天罰が下るだろう…。そうならない為にも、このままであることが大切だと思う。
でも…。
でも…。
今、私の目の前を先に走っている智彦くんの運転する車の助手席。
ここの席だけは、あたしだけの為に永遠に空けておいてほしかったなと思う…。
だけど、結婚もせず、そうしてしまったら、智彦くんの両親もまた、不幸だ。
私達ふたりは、もともと、巡りあってはいけない相手だったから、これで、本来のあるべき姿に戻ったと納得すればいいことなんだけど…。
頭で解っていても、心だけは、どうも智彦くんからは離れそうもない…。
実は、私、自分の結婚が成立した時、『身体は他の誰かに嫁ぐことになっても、心だけは私のモノだから、楽しいことを想像しながら生きていっても、誰かに迷惑は掛からないだろうと思っていた。ただし、それを行動に移してはいけないことだけは肝に銘じていた。』 しかし、それは現実を逃避していることにかわりはないのだが、そんな能力がついたのも、智彦くんが傍にいたことに他ならないのだ。
他人様からしてみれば、私の生き方はなんておバカなんだろうと思う人もいるだろう。 だけど、私は素直に好きであると告白できない人、智彦くんが傍にいたことで、少しの困難にはメゲなくなっていたのも事実だ。
心がヘコんでいたら 、何をやっても楽しくなんかないし、第一、私は智彦くん以外の人に弱みを握られるのは、何より辛いことだから…。
それに、智彦くんにだって、それ相応のプライドはあるだろうし、もしかしたら、三奈子さんにはその弱みを見せてはないのかもしれないなと思う。そこで、智彦くんと私はお互いにおいて配偶者以外での心安らぐ関係であれば、それも、また、お互いの人生ではないのかとも思うのである。だが、そのことに関して、私は不思議なことに主人や智彦くんのお嫁さんの三奈子さんに対して悪いことをしているとは全く思ってはいない。ただ、智彦くんは私とのこんな関係をどう思っているのかまでは想像できないのが、ちょっと悔しいといえば悔しい…。
今の私が想像することで、何が一番辛いかと聞かれたら、智彦くんと三奈子さんが、たぶん、毎夜、繰り広げているであろうベットシーンこれしかない。
昼間は、このふたりの間の会話に割って入ることがてきても、夜、寝床を一緒に…。というわけにはいかないことだけは、おバカな私にもそれぐらいの常識はもっている。それを逆に考えたら、智彦くんは、主人と私が毎夜、寝床で楽しんでいることを冷静にとらえているのかは疑問である。
それでも、こういうことに関しての男の人って、自分が楽しかったらそれでいいという感覚しか持ち合わせていない生き物なのかもしれないとも思う。私のように物事に関して、前後左右何が起きるかを判断した上で行動を起こすということは希な人間がすることかもしれないけど…。そんな私でありながら、智彦くんに関しては、いっそ子供の頃からの自分を知られているという安心感からか絶大なる信用を寄せていることだけは確かだった。さらに、智彦くんとは完全な他人でなく、裏切られるという心配さえなかったことから、今回のこういう関係に陥ったのだろう。
 他人様には知られたくない秘密を共有することは、ある意味、楽しいことも含まれる。。でも、私の場合、智彦くんとだけは、どんな秘密も持ち合わせたくはなかったんだけどな…。
この先も、たぶん、私には一瞬にして智彦くんの掛けた魔法が永遠に持続してしまうような気がする。そして、それを掛けた智彦くんさえも、私に掛けた魔法を解くことは不可能のような気さえするのだ。
本当は教えなくても困らない世界のことを教えられた私と、それを教えてしまった智彦くんとふたりで犯した罪って、なんて重いのか…。智彦くんはそれに気付いているのだろうか…。
あの時…。
智彦くんが、地下鉄の駅の切符売り場で財布を無くしてなかったとしたら…。
 もしも、無くしていたことを智彦くんの借りてたアパートに着くまで、気付いてなかったとしたら…。
たぶん、あの日の夜、私は智彦くんの手によって、ひとりの女性としての『性』に目覚めさせられていたことだろう…。
しかも…。
もしかしたら…。
智彦くんの子を妊娠していたかもしれない…。
そしたら、今よりも私は幸せだった?。
それとも、今よりもさらに深く苦しんでいた?。
人を好きになることは、いけないことだとは決して思わないけど、私の巡り会った人は間違っても恋におちてはいけない相手だったことだけは確かなこと…。
そして…。
たとえ、あの日の夜、智彦くんとの間に何事も起こらなかったとしても、それは、それで、私は満足だったはずには違いないと思う…。
私には私の話を真剣に聞いてくださる智彦くんが傍にいてくれて、それがたった一晩だけだったとしても、誰にも邪魔されることなく、ふたりの思い出として残せたら、それで、私は満足だった…。
しかし…。
しかし…。
そのどちらも、残せなかったことは、心残りでしかない…。
それも、お互い別々の人と結婚してしまった今となっては、それを果たすことは、たぶん永遠にない、できないこと…。
だけど、よく考えたら、当時二十二才だった私に智彦くんが手を出していなかったとしたら、そこから先の私達四人組の物語はなかっただろう…。
そこから、想像すると、智彦くんは私との縁が切れてしまうことを避けたかったのかも?、それとも、お互い住んでいるの家の間の距離が長いことで、滅多に会うこともないから、少々、私に悪戯をしても罪にはならない?と思ったのかもしれない…。
でも、それでは配慮に欠けていることにはならないの?。
どっちにしたって、今となっては、もう、どうすることもできないこと。
そんな私に許されることがあるとしたら、罪の意識に人知れずに涙すること…。
涙したって、その罪が軽くなったり、無くなったりすることはないけどね…。
智彦くんが私の感情も涙腺も破壊してしまっている以上、その他のことなんて思いつかないでいるのよ…。
ねぇ。ひとつだけ聞いていい?。
あの日の夜…。
智彦くんに『あなたと結婚したい。』と、泣いて我が儘を言っていたら…。
私の未来は今よりもマシだった?。
それとも、もし、私が国立の大学を卒業後、どこかの御曹子か、弁護士か、医者と親の薦めで結婚していたとしていたら、智彦くん、あなたは私に嫉妬していた?。
そのどれも、今となってはどうすることもできない現実にはかわりのないこと。
そんなあたしは、たぶん、この先の人生のいろいろな場面で後悔しながら生きていくことになるのね。
これが私の運命…。
だとしたら、今よりマシな生き方をしなくちゃならないのよね…。
こうして、ずっと、智彦くんの人生にしがみついて生きていたら、心優しい智彦くんだって、迷惑には違いないと思うから…。
でも…。
でも…。
今、この時だけは、もう少しだけ智彦くんの優しさに浸っていたい…。
本当は、この優しさに一生浸って生きる予定だったのよ…。
だけど、そうしてしまうことは、私達ふたり以外が不幸になることに気付いていたから、それを選択しなかっただけのこと…。
そう、割り切って生きていかなくちゃ…。
だって、あたしの人生ってこれからだもんね…。
そんなことを相変わらずエンドレスに考えていた私…。
ふと、横の席に座っているえりに目をやった。
その時のえりの横顔は、私のような深い悩みなんか全く持っていないような気がしたから、何となく安心はした。
 あ・主人が今、運転している車は七人乗りのワゴン車。
えりが乗り込んだことで、智彦くんのマンションを出発する時から、私は助手席から二列目の席に移動していたのだった。
だから、今ここで私が涙することは、なにがあっても許されないこと。ましてや、えりに智彦くんとの関係がどこまであるのかなんて、それだけは、口が裂けたって聞き出せないことだった。
そんな私がもし、それを聞き出せるとしたら、その相手は智彦くんだけになる。だけど、これからは、智彦くんの傍には絶えず三奈子さんがいることになるから、聞き出すことなんか、この時点で既に不可能。
智彦くんは私がこんな状況になることを知っていて、私に手を出していたとしたら、彼は私にとっては完全な知能犯ということになる。
もし、私がふたり姉妹でなかったとしたら、たぶん、智彦くんともこんな関係には陥ることはなかっただろうけど、ふたり姉妹であったからこそ、今度はライバル意識が成立してしまうことに、智彦くんが気付いていたかどうかは疑問ではある。
確かなことは、今ここで私が悩んでいること、全てにおいての答えは、たぶん、一生出ないか、もし、智彦くんに聞き出せるチャンスが私に巡ってきたとしても、彼が答えないか、聞かないでいた方が幸せだったということである。本当に、人生ってなんてややこしいんだろうね…。
今ここで、私がどんなに胸を痛めていても、たぶん、智彦くんには届いてはいないと思う。
 たとえ、届いていたとしても、私の主人の前では彼も冷静であろうから、そんなことは態度にみじんも出さないだろう。そして、また、私もそのことに関しては、冷静でいるから、考えようによっては、智彦くんと私は暗黙の了解の仲、イコール知能犯でもあるわけだ。
そんなことのひとつひとつを冷静に考えれば考えるほど、今、ここに私がいることは…、智彦くん夫婦と食事に出掛けることは、智彦くんと私にとって、それは不幸なのか、幸せなのかもその判断さえつかないでいるのが今のあたしである。
しかし、このチャンスを逃してしまったら、智彦くん夫婦と私達夫婦とまだ、結婚前のえりとの五人組で出掛けることは、たぶん、今後ないに等しい…。
そして、それは今の私にとっては、どれも智彦くんと過ごす大切な思い出にはかわりがないのだ。
一杯一杯、喧嘩して、嫌いになって別れられる相手と巡り会っていたとしたら…。
もしかすると、智彦くんと私は、今よりも精神的には幸せな日々を送っていたかもしれない。
なんてあたしはややこしいところに生を受けてしまったんだろ…。
どのみち、叶わない夢なら、今を楽しむしか私には残されてないような気がするんだよね。
 そんな取り留めのないことをどこまでも、考えていたら、先行く智彦くんの運転する車は繁華街の一角にある駐車場へと入っていったので、私達三人が乗る車もその後に続いて入った。
そこからは、車を降りた私達五人は繁華街を暫く歩いた後、一軒のレストランに入った。
その入り口で、係りの人に、
 「何名様ですか?。」
と、聞かれ、それに、答えたのは、智彦くん。
 「五人。」
そこで、案内された私達は、六人掛けのテーブルにつくことになったのだが、この時のそのテーブルを囲んでの座り方が、私の向こう側に、智彦くん夫婦が。そして、私の方には、私の右手側に主人が、私の左手側にはえりが座ることになった。その時、主人の正面が、智彦くんで、私の正面には智彦くんのお嫁さんの三奈子さんが座っていた。そんな私達五人は、周りからはなんて不思議な取り合わせだろうかと思ったに違いない。常識で考えたら、二組のカップルに女性がひとり余っているのだから…。たとえ、五人全てが他人の集まりだったとても、こんな取り合わせってまずお目に掛かることは、いくらここが都会であったとしてもその数は少ないに違いないし、この五人のうちの誰かと誰かが兄妹だったとしても、私達五人は全く似ていないから、その関係って、周りからはたぶん理解されにくいとは思うのだ。
それに、今回は、三奈子さんと私の主人が加わったことで、智彦くんと私達姉妹だけの三人で共通の話題をして盛り上がるというわけにはいかないことにはえりも気付いていたのか、私達五人組は押し黙ったままだった。
その後も、それそれが注文した料理が運ばれるまでの間、三奈子さんが智彦くんに何かを話し掛けてはいたのだが、もう、その隙間に入って会話を楽しんではいけないような気がえりにもしていたのだろうか…。えりは何も言わずにいたから、私も何も言わない事にした。
しばらくそんな時間が流れた後、それぞれに注文した料理が運ばれてきたので、私達五人は食事を始めた。
その食事を始めても、どこか…、何かが違う…。
それは、出された料理がマズイのではなく、『会話』という名のスパイスが足りないのだった。
智彦くんと私達姉妹の三人での食事だとそのスパイスがたくさん掛かっていて、幸せな時間を過ごすことが、今まで当たり前のように私達三人組にはあったのだが、その席に、全くの他人が加わると、こんなにも雰囲気が違ってくるのかとそれを肌で感じた私だった。 それに、今どんなに考えてもこの五人に共通する話題なんか思いつかず、私はだだ黙って、他の四人と同じように食事をするより他はなかったことが何故か辛く感じていた。
と、いうことは、以降、いずれ、えりが結婚して、私達が六人組になったとしても、この楽しくない時間は変わることがないか…、または、悪化してしまう関係になってしまうかもしれないなと思った。
それぞれが家庭を持つということはこういうことなんだな…。と改めて思った私だった。 そして、それは、それぞれが食事後に残してしまった料理の皿が物語っていた。何故なら、これまで私達姉妹が食べきれずに残した料理のその全ては智彦くんの胃袋に消えていたのだが、これからは、三奈子さんの食べ残した物は智彦くんが、そして、私の食べ残した物は私の主人のそれぞれの胃袋に消えていくということだった。
さらに、周りの目からは不思議なことは続き、その食事代の全ての会計はえりが支払ったのである。
 店を経営している者にとっては誰が支払いを済ませても問題はなさそうだが、何とも不思議な五人組には違いないだろうなと思う。
店を出た私達五人は、そこで、智彦くん夫婦とは別れる事にした。これから、五人でどこかに出掛けるとしても、時間が足りず、かといって、再び、智彦くん夫婦の住むマンションに行ったところで、今度は三奈子さんに迷惑が掛かるだけだからだ。それに、智彦くん夫婦は共働きだから、せっかくの日曜日。三奈子さんには私達三人に会っているよりも他にしなければならないことやしたいこともあるだろうと思ったから、そうすることにしたのだった。
  「えり、ありがとうな。ご馳走様。そしたら、またな。」
智彦くんは私達三人に…、それとも、その言葉は私だけに言ったのか、その真相は分からないまま、三奈子さんとふたり、人混みの中に紛れていった。
久しぶりに智彦くんに会ったのに、これでは満足に会話もできない…。
でも、これが現実なんだよね…。
私は主人とえりの三人で街を歩きながら、そんなことを思っていた。
それからの私達三人は、暫く繁華街のお土産屋さんを何軒か見て回った。京都まで来ておきながら手ぶらで帰るというのもなんだったからである。
その後は再び、えりの住むマンションに寄り、持参した袋に熱帯魚とエアーも入れて後始末。水槽も洗ってそれらをもらい受けてから、今夜の船に乗るには少し早めの時間に京都の街を主人と共に後にした。
今朝、来た時、道を間違えていたから、今度は、間違えなよう注意したことで、朝、掛かった時間よりも早く港に到着した。
こうして、私の結婚後、第一回目の京都訪問は終わりを告げたのだった。


京都から帰って、二ヶ月後のこと、私は第一回目の結婚記念日に第一子を妊娠していることが判明。予定日は来年一月末日。現在は妊娠五週目に入ったところらしい。そのことを告げたら、主人側の両親も私の両親もそして、私をこれまで大切に育ててくれた母方の祖父母もそれはそれはみんなが喜んでくれたのだった。
そして、私自身も『これで祖父母には曾孫を抱いてもらえる。』という夢が叶うこととなり、少しは肩の荷が降りたような気がしたのだった。
この時の私は何故かお腹の子に向かい『男でも女でもどっちでもいいから、必ず五体満足で生まれてよね。』と日々話し掛け続けていたのだった。もともと、私側は女系家族。女の子が産まれてくるのが当然というような考え方しかなかったし、逆に、男の子が誕生なんかしたりしたら、それこそ、私の父の喜びようは中途半端ではないだろうとそれらのことは想像できていた。それに、主人側の兄妹の子供はこれまで三人が男の子だったので、もし、私が女児を産んだとしても、主人側の両親に責められるということはないと思っていた。
その後もお腹の子は順調に育ち、私は初めての妊娠にしては悪阻もなく快適なマタニティーライフを満喫。
そんなある日のこと、私は久しぶりに会いに行った祖父母宅で智彦くんの情報を聞くこととなった。
それは、祖母の話しによると三奈子さんも妊娠したらしく、予定日は今年の年末ということで、出産後も三奈子さんは誕生した子を乳児園に預けて働くということらしかった。 そうなれば、智彦くん宅の子供と私の子は同級生ということになる。しかも、智彦くんの方は、結婚一年目の記念日には新米のパパとママになっているということでもある。本来は、それが普通らしく、私の実家の母にしてみれば、私の妊娠報告が遅れているものだから、もしかしたら、子供は出来ないのかと真剣に悩んでいたらしい。でも、私は大恋愛の末、結婚した智彦くんと違い御見合い結婚なので、妊娠するのが遅いっていったって、まだ、結婚一年目だからね。そんなに焦る必要は私にも実家の母にもないような気はするんだけどね。周りの大人達はどうしてこう、結婚するまでは『結婚しないのか。』とうるさく言い、したらしたで、今度は『子供はまだか。』と責める。いくら自分達が若かかりし頃に周りからそう言われていたからと言って、今度はそれを我が子に強要することはないとは思うんだけどね。
ああぁ。いずれ、私も今いるこのお腹の子が大きくなったらそう言って、我が子を責めてしまうのだろうか…。子供は親の所有物ではいけないのだけどね。少なくとも今の私はそう思っている。
そして、我が子は智彦くん宅の子と同級生であるという事実は今の私には辛い事だった。何しろ、この二つの命は誕生直後から、たとえ男女別であったとしても、この先の人生においてはどんなことでも比べられてしまうことになる。それでも、このまま智彦くんとお互いの生涯において、お互いの家を行き来しながら、その子供達もまた仲良く育ったところで、結婚することまでには至らないだろうとは思うし、たとえ、結婚することになったとしたら、そのことに関して、万一、智彦くんと私が了解したところで、きっと、周りの理解は得られないと思うからだ。
そんなことから考えれば、私の妊娠は智彦くん夫婦より二、三年後の方が幸せだったかもしれないなと思った。
それに、出産したら育児に忙しくなることで、しばらくの間は智彦くん夫婦とは会えなくなる。さらに、今までは大人の目線で行っていた遊び場には、しばらくのあいだは行けないことにもなる。
智彦くん夫婦も私も、もう若くはないので、子孫を残さなければならないことは、頭では分かってはいるんだけどね。
夫婦ふたりだけの生活で老いていくことは、不幸ではないとは思うけど、子孫を残さないでいたら、私側の一族は絶えてしまうことになりかねない。ここが辛いところである。 子供はできなければできないで、妊娠したら大切に育てるという、自然まかせで私はいいとは思うけど、できなかったら、今度はそのことにおいて不妊治療をしなければならない現代は、逆に考えたら、そちらの方がずっと不幸のような気がするのは私だけではないはずなんだけどね。
これが、明治初期だったら、『子なくば三年』といって、実家に追い返されていただろうけど、現代医学というのは便利というか気が利いているようでそうではないような…。不妊治療にはお金も掛かるけど、それ以上に、男女どちらに欠陥があるのかまでもが分かってしまうのもどうかと思う。これが、明治初期なら知らないですんだはず。
そして、その時、祖母は、
 「智くん宅に子供が生まれたら、智くんのおっ母さんは『お婆ちゃん』で、ゆきに子供が産まれたら、私は『曾祖母』なんて、智くんのおっ母さんと私は同じ姉妹なのに孫と曾孫が同級生になるとは思わなんだ。」
と、こう言った。
智彦くんの母は別に結婚が遅かったワケではないのだが、なかなか子宝には恵まれず、ようやく授かったのが智彦くんだったらしく、その後も、二度と妊娠することはなかったらしい。
おまけに、私の母もひとり娘。それは、祖母の弟妹は七人もいたのにもかかわらず、それぞれ結婚したものの、その間に誕生した命は一つか二つ。そのうえ、子供のいない夫婦もいたとかで、私の母の母方の従兄弟の数は、八人という少なさだった。
だから、どう考えても、親戚同士が結婚することはできるはずもなく、たとえ、それが許されたとしても、どちらかの家はその代で絶えてしまうことに繋がってしまう…。だだ、お互いが親戚ということで、仲良くできているときはそれで良くても、一度、もめ事が勃発してしまうと、当事者同士だけでなく、親戚ごと破壊してしまう危険もあるのだ。 そうなれば、今まで大切に築いてきた関係は何だったのか?。と、いうことになってしまう。そうならない為にも、私達一族は他人と結びつかなければならないのであった。
そんな私は、時々、こうして、祖母から智彦くんの情報を聞ける。それだけで、十分幸せだった。



 それから、数ヶ月後。無事、私は出産した。誕生した第一子は、女児だった。
私は、妊娠前の体重が四十キロ前後。妊娠後も十キロまで太れずにいたのにもかかわらず、誕生した我が子は三千三百グラム。当然、五体満足で生まれていたと思っていた。
しかし、やっぱり、神様は、私と智彦くんが犯した罪を許せなかったのだろう…。
誕生した我が子は、生後三日目にして、病名を告げられた。それは…。
『心室中核欠損症』
その時、担当の医師から告げられたことによると、心臓の右心室と左心室の間の壁に穴が開いているそうで、その穴からきれいな血と古くなった血とが混ぜ合わさっていることらしい。救いは、私の娘の場合、今すぐその穴を塞ぐ手術をしなくてはならないとかの緊急ではないことらしいのだが…。
しかし、現代の医学はなんて、人には冷たいのだろう…。
生命の危険がないのであれば、そんな細かいことまで医者として患者に報告する義務は必要なのか?。
人によれば、知っている方が良かったという人もいれば、気付かないでいたら、その方が幸せであることだってあるはず。少なくとも、私はその後者の方の人間だった。
だから、呼ばれた個室で医師から病名を告げられた瞬間に、私は涙がとまらなかった。心臓に開いている穴が小さいとはいえ、それでも、開いている事にかわりはない…。私だって、我が子をそんな身体に産もうと思ったワケではないし、また、この子もそんな身体で生まれてこようとしたわけではない…。 
 そうしたら、その罪はいったいどこにあるの?…。
涙を拭っていた私に、医師はこう付け加えた。
「現代では、お父さんもお母さんも健康な人でありながら、原因不明で心臓に穴が開いて誕生する子が、その穴の程度の差こそあれ、千人の出産に対して一人は必ず産まれてきます。少ない数ではないので、気を落とさないでください。それに、お嬢さんの場合は、穴が小さいことで、これから、自然に塞がる可能性がありますので、しばらくは、様子をみていたらいいと思います。生活も普通にしてかまいません。頑張ってください。退院される時に、専門の先生を紹介します。」
それだけ言うと、医師は部屋から出て行った。
その後、私はどうやって個室の病室に戻ったのか、記憶がないぐらい心が乱れた。
拭っても、拭っても溢れる涙をどうすることもできずにいた。
誰かにこのことの話しをして聞いて貰った方がいいのだろうか…。
 それとも、一生、誰にもこのまま言わない方がいいの…?。
真実を伝えるということは、そんなに難しいことではない。でも、それを聞いてしまったが最後、その人も、きっと私のように涙を流すことになるだろう…。
そして、私には、生涯において健康な子供を産めなかったという汚点が残ってしまう。 それに、もし、心臓に開いていた穴が塞がらなかったら…、その穴が彼女の成長と共に大きくなったりしたら…。たとえ、それまで、誰にも告げず内緒にしていたところでバレてしまうのは時間の問題だろう…。 
さらに、彼女が年頃になった時、自分の心臓に穴が開いていることを知ったら、そのショックは計り知れないものがある。
そうなったのは誰かのせいでもなく、ただ、運が悪かっただけのことなのに、きっと、私はいずれは彼女に責められることになるだろう。
おまけに、もっと、厄介なことがある。いずれ、彼女も結婚、妊娠した時、そのお腹に宿った子の心臓は確率からみると、穴が開いていることが、私達夫婦より高くなってしまう。この先、たとえ、運良く彼女の心臓の穴が自然に塞がったとしても、そのことだけは彼女に伝えなければならない。それを伝える時期はいつだったら、彼女に受け入れられてもらえるのか…。
そして、今、一番な重要な問題…。
それは、その真実をいつ主人に伝えるかにあった。
投薬まで必要がないにしろ、以降の我が子には、定期的な検査は受けることになるだろう。
もし、主人の仕事が長距離トラックの運転手や交代制で仕事の時間が不規則であった場合。娘を連れて、病院に行っても、別に私の行動は怪しまれないとは思う。しかし、我が家は自営業。ただし、土日は仕事で留守がちなことが多いけど、土日に病院に行くなんてことはあり得ない。それに、その当時の私は車の運転免許こそ取得していても、主人のワゴン車を運転することは不可能に近く、それに、ここは田舎であるが故に、たぶん指定された病院まで、バスでの移動は不便であるのには違いない。そうなれば、どうしても、主人の理解は必要となる。
しかし、娘の病気を他の誰かに告げるということは、それを話す私はその事を認めてしまうことになるのだ。永遠に私が黙っていても済むことなら、私は黙ってその真実を墓場までも持っても行こう。それぐらいの覚悟なら私にもできること。だけど、主人に話す事の方がどれほど辛いことか…。子の親になるということは、この子においての全ての責任を果たさなければならないとはいえ、出産直後からこんな困難に遭遇するとは…。これも、運命だと思えばすむことなんだろうけど…。どうも私には納得がいかないというか…。
これが、昔のことなら、きっと、気付かないですんでいたことのうちのひとつだろう。私は現代に誕生したばかりに、こんな細かいことまで知らされることになるとは…。そこで現代の医学に関しては、私にとっては気が利いているようには思えないのであった。
そうして、娘の病名を告げられた私は、それ以降の約三時間ごとの授乳に、看護婦さんから、
 「授乳に来てください。」
と、呼ばれることが苦痛になった。
ここの産婦人科は母子同室ではなく、授乳時間になったら、それぞれが授乳室に呼ばれるようになっていた。産科によっては、出産直後から母子同室というところもあるのだそうだが、私は、主人が自営業だった為、面会時間が決まっているとはいえ、いつ他人様が私の個室に入ってくるかも解らなかったので、あえて、私は母子が別になっている産科を利用したのだった。
娘の状態を産後三日間は、私に告げなかったことは、病院側の配慮だろうとはいえ、ぐにゃぐにゃでまだつかみどころのない我が娘を授乳室で抱く時の私の感情といったら、言葉でなんか説明出来ないぐらい乱れていた。しかし、ここは他の母子も利用する部屋。私ひとりが涙するわけにはいかない…。それに、我が胸に抱かれている娘は、親の私の心を知ってか、知らずか穏やかな表情でいる…。その娘の心臓に穴が開いてるなんて誰が信じてくれようか…。私は妊娠期間の間、酒類は一滴も飲まなかったし、タバコは今まで一度も吸った体験はない。でも、それなのに、どうして、私達夫婦の子としてそんな身体で誕生してこなければならなかったのだろう…。千人に対して一人という確率なら、そんな不幸ではなくて『宝くじに当選しました。』と言われる方がどれだけ幸せなことか…。確かに長い人生はいろんなところで躓きながら、成長していくものだとは思うけど、最初の躓きがこんなにも辛いことだとは想像もしていなかった私。主人に近いうちに娘の病名を告げた時には、主人も私と同じように…、いえ、もしかしたら、それ以上のショックを受けるかもしれない…。でも、誕生してしまったからには放置することもできない。そんな私は、自分の周りのイスに座って静かに授乳している何組かの母子を見るのも辛かった。自分の周りにいる母子がどれほど羨ましかったことか…。
娘の病名をもし、私の実家の母に告げたら、私はたぶん父からも責められることだろう…。そして、母もまたその事実を認めようとはしないだろう…。そうなることがなんとなく想像できた私は、娘の真実は語らないことにしようとこの時に決心した。たとえ、それらのことを告げたとき、素直に受け入れてくれたとしても、知ったことで、きっとその心は穏やかではいられないはず…。ただ、そのことに関して、いつか時効が成立した時は、笑って、『こんなことがあったんだよ。』と、そう言える自分に成長することが、私の次の目標でもある。そして、その時効がいつか必ずくることを今は静かに祈っていようと思った。
『秘密は秘密』として、必要最小限の人だけが、知ってさえいれば、別に娘が不幸になることはないだろう…。
それが、私の出した最終結論だったとしても、これから、心を鬼にして主人に話さなければならないことには変わりはなかった…。


娘の名前は『明生子(めいこ)』名付け親は母である私。その時の主人は、まだ、私の口から、娘の病気については聞かされてなかったこともあり、それで、もしかしたら、反対しなかったのかもしれない。由来は、どんな困難にも負けず、明るく生きてほしいと願って付けた。
明生子は、私の心配をよそに、母乳をよく飲んで、よく寝て、夜泣きされることもなく、日々、赤ちゃんらしく成長を始めた。心配ごとがあると、昔から母乳は止まると言われていたのにもかかわらず、私の母乳はよく出てくれて、有り難かった。
これで、明生子に病気がなかったら、親子三人どんなに幸せな時間を共有することができたことか…。
刻々と迫る明生子の一ヶ月検診。その時にはたぶん、他の病院へ行くことを勧められることだろう…。そうなる前に、主人だけには告白しておかなければならない。でも、いつ言おうか…、いつ言おうか…、と悩んでいるうちに、とうとう、明日は、明生子の検診に、出産した産婦人科に連れていく日となってしまった。
その日の夜、私はいつもののように、主人と二人して、夕食をとった。その傍らには、ベビーベットで静かに眠る明生子。
私は食後にお茶を一口飲むと、食事を終えた主人が新聞を広げたのを機に話し掛けた。 「あのね。聞いてほしいことがあるの…。」
 「なんでよ。」
と、いつものようにぶっきらぼうに答える主人。
 「今まで、どうしても、言えなかったことがあるの。」
 「お母ーさんに悩みなんかあるのか。」
主人に言い返されたことで、『私だって、生きているんだからね。悩みの一つぐらいあるわよ。』と、そこで、私がいつもの調子で話し出したら、きっと、主人のこと、また、『お母ーさんみたいに、年中無休で冗談言っていたら、悩みなんかあるのかと逆に疑ってしまうでよ。』と、いう展開になって、結局、悩みの話しにはならないだろうから、ここはグッと我慢した。
 「あのね。今まで隠していたけど、明生子、病気なの…。」
 「………。」
新聞のページをめくりかけていた主人の手がそこで止まった。
 「それは…、本当なのか…?。」
主人の問いかけにうなずく私…。
 「あんなに、元気なのに…?。一体何処が悪いって?…。」
 「心臓。」
主人の顔色が一瞬にして曇ったのが見て取れた。
 「そんなに…、悪いのか…?。」
主人の声は完全に沈んでいた。それでも、私はここで泣いちゃいけないと思い話しを続けた。
 「今すぐ、どうにかしなければならないというのではなく、経過を観察してください。と、言われたの。」
 「それで、何処がどう悪いんだ?。」
 「それがね。心臓に穴が開いているらしいの。」
 「心臓に穴が開いていても、経過を見ていたらそれでいいのか?。」
そう言って不安がる主人に私は話しを進めた。
 「その穴が極小さいものらしく、今すぐ、塞ぐ手術をしなくちゃなんないとかの重態ではないらしいの。それに、穴が小さいことで将来は自然に塞がることもあるらしいの。」 「そうしたら、塞がらないとどうなる?。」
「だから、それを決める為にも、経過が必要なんだって。」
私がそこまで話し終えると、主人は、
「そうか………。」
と、だけ言うと、後は深いため息をついた。そして、いつもなら子煩悩で明生子が寝ているのにもかかわらず、食後はしばらくの間その寝顔を見ている主人なのだが、その日は、読みかけの新聞を広げたまま、居間兼食事室から出ていってしまった。
私はひとり後片付けをしながら、私をそのことで責めようともしない主人の優しさを思うと、胸が痛んだ。
こんな展開になれば、心ない主人なら、きっと、『おまえが悪いからこうなったんだ。』とか、なんとか言われ、夫婦喧嘩になるだろう…。だけど、それをしない主人の心の葛藤を想像するのは、とても辛いことだった。
心臓に穴が開いていると言われたら、その穴の程度の差こそあれ、開いていることに変わりはなく、どんなに心の穏やかな人でもそれは受け入れがたい事実には違いない。その事実を受け入れてもらうには時間が必要だと思った私は、その日の夜、主人の行動は一切気にせず、先に休ませてもらった。

翌朝、私がいつものように台所で食事の準備をしていたら、主人が起きてきた。
 「お早うー。今日は病院に行く日だったな。何時から?。」
そう、私に尋ねる主人の声はいつもの調子に戻っていた。そこで、一安心した私は、
 「病院の開いている時間なら、いつでもいいから、連れていってくれる?。」
と、言ったら、
 「ああ。出れるようになったら、言えよ。」
と、主人。
そんなふうに優しくされると、逆に心が痛いというのはこういうことをいうのかもしれない…。
 「それで、このことは、誰が知っている?。」
急に、昨夜の現実に引き戻された私は一瞬、返事につまった。
 「…産科の先生と小児科の先生とその周りの看護師スタッフだけよ。」
 「そうか。他の人は知らないってことなんだな。」
 「そうよ。」
 「だったら、これから、打ち明けるのか?。」
 「できれば、それは避けたい…。」
私が少し沈んで答えると、
 「そうか。そうだよな。知らない方が幸せってこともあるからな。」
 「そう思ってくれるのなら、黙っていてくれるの?。」
「ああ。お母ーさんがそうしたいっていうのなら、黙っておくよ。」
 主人の言葉が背中越しに聞こえた後、玄関の方でゴトッと音がしたので、主人はポストに新聞を取りに行ったようだった。
私はひとり台所で朝食を作りながら、この人を…、主人を結婚相手に選んだことは間違いではなかったと…、私の目は節穴ではなかったのだと再認識した。と、同時にこの人となら地獄の果てまでも付いていく決心がついた瞬間でもあった。



 そして、明生子の病気のことは身内の誰にも知られることなく、約半年が経過。
その間に大学病院へも受診したものの、明生子の病状は安定していて、その後の検診は半年に一度で良いということであった。
それでも、私の心情からすれば、心臓に穴があいたままではなくて、どうか一日でも早く、その穴が塞がることを強く願っていることには変わりなかった。そして、それは、たぶん主人にとっても同じ気持ちであったことだろうと思う。
その事柄を除いては、明生子の発達には何の異常もなかったのは本当に救いだった。
そんなある日のこと、私は久しぶりに、主人と共に明生子を連れて祖父母が住む家の方を訪ねた。
 「こんにちはー。」
 玄関先で声を掛けた。その時、出てきたのは祖母だった。
 「まあ。いらっしゃい。よう来た来た。早う上がり。」
そう言って、玄関先で祖母の大歓迎を受けた私達親子三人は、奥の座敷へと移動した。 その時、抱いていた明生子は、私が座った所の傍の畳に降ろすと、どうにかひとりでお座りをした。それも、別に嫌がる風でもなく、明生子にとっては、曾爺、曾婆の方へ明生子は黙ったまま視線を伸ばしているようだった。
 「明生ちゃん、大きくなったなー。」
そう言って、祖父は細い目を益々細くして明生子に優しく笑いかけた。
 「早う、大きくなって、何か喋ってくれたら、えーのにね。」
祖母にそう言われ、私は本当にそうだと思った。人というのは何処までもどん欲な生き物らしく、結婚すれば、今度は、赤ちゃん誕生を望み。新しい命が誕生したら、早く大きくなって、話しが出来るようになればと願ってしまう…。でも、それはあたりまえのことだとは思うんだけど、私の祖父母は明生子が成人するまで健在でいられるのかと考えたら、それは、もう、時間が無いかもしれない。そうなれば、祖父母の時間を止めて、明生子だけが大きくなるより他はない。でも、そんなことは無理なことだと解ってはいるのだが、できれば、明生子が流暢に会話ができるようになるまでは、どんなことがあっても、たとえ、寝たきりになってしまったとしても祖父母には長生きをしてもらわないとその夢は果たせないかもしれないなと思う。
 「明生ちゃんは誰に似てるんやろか?。」
と、祖母。
 「そんなん決まってるやんか。ここに座っている人にそっくりやと思わん?。」
と、私は主人を差しながら言った。すると、
  「こんな私に似てしもてからに…」
と、消極的な主人。
 「そんなことないで、広志(ひろし・私の主人の名前)さんは、広志さんで優しい顔つきやし、昔っから、父親に似てる娘は幸せになる言うてるから、明生子は、きっと、幸せになるで。」
と、祖母は自信満々で言った。そこで、
 「誰かに似てなかったら、明生子は、よその子か、または、産院で取り違えられたということになるや。それに、こんなにも、広志さんに似ていたら、どこかに落ちていても(迷子になっていても)、ちゃんと届けてくれる(明生子は品物ではないのだが…。)から、逆に有り難く思わなかったら、罰が当たるかもよ。」
と、私が言ったら、
 「それは、そうだけど…。」
相変わらず、消極的な主人。
 「そうやった。思い出した。広志よー。この間っから、庭に植えてある木の枝が伸びすぎて、どうにもならんのんよ。来たついでやけん、切っといてくれんかいのー。」
と、突然、、祖父が切り出した。
 「この頃、年でさ、お婆(祖母)が『お爺さん、危ないけん、高い所へ登ったりしたらあかん(いけません。)。』言うて、さしてくれんけん、木が伸び放題になってしもて、それで、庭師を呼んでるのに、まだ、来(き)やせんけん、全部切ってくれとは言わんけん、ちょいと、見てくれんかー。」
と、いうことで、祖父と主人は玄関から庭の方へ出ていってしまった。
座敷に残ったのは、祖母と明生子と私の三人。そこで、祖母が、
 「お爺さんいうたら、最近、ことあるごとに、面倒なことばっかり、一日中言うていかんのんよ。」
と、ぽつり。
 「まあ。ええやん。寝たきりで世話せなあかんのんと違(ち)ごて、言いたいことぐらい言わしてといてあげても別に困れへんやん。」
私がさらりと言ってのけると、
 「いやの。うるそうてかなわんけん、時々、家出しちゃるんよ。」
 「家出言うたって、実家、金沢(石川県金沢市)や、遠すぎえへん?。」
 「なに言うてんのや、友達と食事に行くんや。」
 「そりゃー、もっと、爺ちゃんが困るやんか。食事なんか自分で作らへんや。」
 「そやけんな、この間は、『一緒に行こ。』言うて誘うたのに『勝手に行ってこいや。ワシはひとり、ここで食うわ。』と言うて頑固なんやわ。本当にもう、しょうのない爺さんやわ。」
と、祖母は半ば呆れたように言った。
でも、私は祖父母の近況を聞きながら、いつまでも祖父母が揃って健康なら、そうやって余生を楽しむのもまた人生のような気がしていたので、その後は、何の返事もしなかった。すると、今度は、
 「明生子は、身体の具合の悪いところは、ないんやろうね。」
と、突然祖母に問われ、私の心臓は今にも口から飛び出さんばかりに驚いた…。
どこかで明生子のことは気付かれていた…?。
いや、そんなことはないはず…。
 広志さんとここへ来るのは久しぶりだし…、誰にも、明生子のことは言っていないはずなんだけどな…。
そうしたら…、どこで、その情報が祖母に漏れたんだろう…?。
 そこで、祖母には一瞬、明生子の身体のことを打ち明けようかとも思ったのだが、実家の母にも知らせてないことを祖母に先に言ってしまうのはどうかとも思った私は、とっさに、嘘をついた。
 「どこも、悪かないわよ。」
 本当は嘘なんかついてはいけない…。いつかバレてしまうような嘘なんかついてはいけないなということは百も承知で私は嘘をついた…。そして、心の中で静かに懺悔した…。 神様…。
こんな嘘つきな私を許して下さい…。
今はこの方法しか思いつかないの…。
これ以上、他の人を悲しませたくはないから、許してください。
私は心の中で手を合わせていた…。
すると、祖母は、静かに話し出した。
 「智彦くんとこに、女の赤ちゃんが産まれたことは知ってるやろ。」
うなずく私。
 「その赤ちゃんがな、先天性の喘息なんやて。生まれつき気管が弱いらしくて、今、病院通いやら、喘息に効くいう薬を智くんの母が探し回ってるらしいんやわ。」
 「………。」
え?。
それを祖母の口から聞かされて、私は、明生子のことではなかったのだと、内心ホッとしたのと同時に、やっぱり、神様は、智彦くんと私の罪を許してはなかったのだと思った。
複雑な心境というのは、きっと、今の私のことをいうのではないのだろうか…。
智彦くん宅の第一子が、私の子と同じ女児であったことを私が出産後に聞かされた時も驚いたが、まさか、先天性の病気を抱えて誕生していたとは想像もしていなかった。
そして、近い将来、私と智彦くんとの仲のように、優子(ゆうこ・智彦くん宅の第一子の名前。)と私の娘・明生子がお互いの家を行き来して育ったところで、恋愛関係は成立はしないことは、きっと、神様が智彦くんと私がこれ以上罪を深くしないためにお互いの子を同性として誕生させたのかもしれない。
これが、運悪く?。それとも、良く?。智彦くんと私のどちらかの子が男の子だったとしたら、上手くいけば恋愛関係が成立。私は智彦くんと結婚はできなかったけれど、以降の人生においては、現在よりも強い繋がりの親戚関係が成立していたことだろう。
でも、たぶん、それは、智彦くんと私がそれぞれの我が子達の仲を認めたとしても、きっと、周りの理解を得られることは、この先、一生ないかもしれないとも思う。
そうしたら、やっぱり、神様は悪戯が大好きっていうことなのだろう…。
智彦くんと私は永遠に結ばれはしないのである。
そのことは、こんな状況になる前から、想像できていたことなんだけど、いざ、それが現実になるのは、もっと、辛いこと…。
さらに、お互いの娘はそれぞれ病名は違っていても、先天性の病気を抱えたまま誕生していたとは…。
それが、智彦くんとふたりして犯した罪の重さなんだろう…。
しかし、智彦くんと私との考え方の決定的な差は、智彦くん夫婦は秘密をもたない主義らしいこと。確かにそれは、夫婦仲良く生きていくうえで大切なことだとは思うけど、私は主人以外の他の誰かに娘の病気を打ち明ける勇気はなかった…。
ただ、智彦くんの娘の場合、本人が苦しがるから、たとえ、周りに黙っていたところで、その様子を他の誰かに目撃された時は『優子、どこか、おかしくない?。』と言われてしまうことだろう。
 その点、私の娘は、普通の生活ができるわけだから、誰かに明生子の病気のことを打ち明けない限り、その秘密は保たれることにはなる。
でも、本当は、どんな秘密ももってはいけないと思う。そうは思っていても、もし、話したことでそれが、他の誰かの心を深く傷付けてしまうのなら、黙っていても、それは許されることではないのだろうか…。
そんな私の人生はこうして、秘密が増えていくばかりなのだろうか…。そして、それは、いつか、解消される時がくるのだろうか…。
たとえば、智彦くんと私が駆け落ちをしてでも、入籍して、私達ふたりの間に誕生した子が、今回のように、先天性の病気を抱えていたとしたら…。
その悲しみはどれだけ広いことだろう…。
そして、私はそんな子供を産んだことを親戚からどれだけ責められることか…。
もしかしたら、智彦くんとの仲を引き裂かれることになるかもしれない…。
そんなことを想像していたら、きりがないことぐらいは解っている…。そんなに、切ない人生なら、こうして、別々の人生を歩いている方が、智彦くんと私にとっては、幸せなことなのかもしれない…。
そうはいっても、出来れば、智彦くん夫婦とはお互い近所に住んで、いつも、行き来したかったなとも思うのである。
しかし、そんなことは許されはしない智彦くんと私。
完全な他人であったなら、好きになることも、嫌いになって別れることも自由であったはず…。
 それなのに…、不完全な他人であったばかりに…。
でもね。
不完全な他人であったからこそ、こんな複雑な関係になってしまったと想像はできないかしら…?。
人は時々、間違って、不倫をしたり、異父母兄妹を愛してしまうことがある。でも、それは、人間として許されない事だと思う。そして、智彦くんと私の仲も、たとえ、それが戸籍上は何の問題がなかったとしても、それは、許されない仲のうちのひとつだと私は考えるのである…。



 そんな智彦くんの情報を手に入れてから、益々、私の心は穏やかではいられない日が多くなった。
だが、その当時は、今時のようにまだ、携帯電話が発達してはいなかった為に、個人的に内緒話は不可能であった。
ただ、気が向けば、自由に智彦くんに会いに行ける状況は変わらないにしても、これからは、智彦くんに会うときは、お互いの配偶者に子供がプラスされることになる。だから、ふたりで会うことは不可能に近くなっていた。
そんな状況になっても、私はやっぱり智彦くんに会うことを断念することはできないでいた。
 そこで、今は、お互い子育てに忙しいけど、いつか、また、会えると信じて、私は子育てに励むことにした。
そして、明生子が二才と六ヶ月の時。
突然。
そのチャンスは訪れた。
主人の出張先が京都市内ということで、私と明生子も家族サービスを兼ねて主人に同行することになったのである。
 京都の町を訪れるのは、妹・えりの引っ越しを手伝った以来なので、約四年ぶりになる。
本当は、出来ることなら、年に一度ぐらいは、京都の町を訪れたいなとは思っていたから、『今回、京都へ一緒に行かないか。』と主人に誘われた時は、涙が出るほど嬉しかった。
何故なら、自由に智彦くん一家と会えるとはいえ、智彦くん夫婦は共働き。さらにそこへ、そう絶えず会いに行くことは、智彦くんのお嫁さんの三奈子さんにとっては、迷惑だろうし、また、他の誰かに智彦くんと私の仲を詮索されるのも嫌だし、辛いことなので、前回出掛けた時から、これぐらいの間隔があれば、周りの者は何の疑問ももたないだろうと思っていたからであった。
そして、今回は、主人は会議に出席しなければならず、その会議の間は、主人とは別行動をとらなければならない。
そこで、その間どうしたらいいか、考えた末に、智彦くんに電話で相談。そうしたら、『会いにおいで。』とあっさり言われ、私は素直にそれに従うことにしたのが、京都へ出発する一週間前のことだった。
今回、まだ幼い明生子を連れての旅は、荷物も多くて大変であることは想像していたのだが、本当は楽しみでもあった。それは、本人の記憶に残らなかったとしても、私が京都の町を初めて訪れたのが十二才の時だったから、子供には、せめて、私よりは早いうちに、都会を歩いてほしいという願望を持っていたからであった。
そうして、京都への出発までの一週間。私は智彦くんへの手土産を買いに出掛けたり、荷物を準備したりで、あっという間に、出発の時が来た。
私は移動の為の乗り物に、乗り込みながらも、まだ、心のどこかでは、『本当は智彦くんには会いに行かない方がいいのかもしれない…。』との迷いが生じていた。
会ったところで、今の状況が変わるわけでも、変えられるわけでもない…。逆に、会いに行ったことで、悲しみが重く大きくなるのなら、ひとりで苦しんでいた方がまだマシかもしれない…。
だけど、智彦くんがどんな生活をしているのだとか、どんな子育てをしているのか、やっぱり気になる。
本当は、私が知ってはいけないことで、今更、智彦くんと三奈子さんの仲を裂いたって始まらないしね。それでも生活の一部を見ることぐらいは罪にはならないだろう…。
たとえ、それが深い悲しみを増すことになったとしても、それが私の運命だし、選択した人生だから…。
智彦くんだって、波風が立つことを望まないのなら、それに従うことぐらいは簡単なこと。
どのみち、私は智彦くんにとって姉でも、妹でも、恋人にもなれないのなら…。
せめて、どんなことが起こっても、冷静でいられるように…、もう少し強力な魔法を私にかけてほしかったなと思う。それも、永遠に解けない魔法を…。
電車の窓から流れる景色を横目に、私はそんなことを考えていた。
その日の夕食は、京都市内の老舗の料亭で、他の塾から今回の会議に参加していた先生方と合流。その席へ私と娘も同席させてもらうことにした。
先生方の中には、初めてお目に掛かる人や何度かお会いしたことのある人もいて、久しぶりに楽しい時間を過ごすことかできた。
翌日は、午前八時には、主人はホテルを出発するとかで、午前六時半起床の食事は午前七時からだった。
そこで、とりあえず、私と娘も主人と同じ時刻に朝食を済ませ、そのまま食堂で主人とは別れた。
私は娘と再びホテルの部屋に戻ってから、智彦くんへの手土産を手にロビーへ移動。フロントに部屋の鍵を渡すと、そのホテルを後にした。
今回、京都行きが急遽決まってから、主人に『都会に行くのなら、今時流行のリュックタイプのカバンが便利だから、買って。』とお願いしたら、『あいよ。』とふたつ返事で買ってくれた私好みの茶色系のカバンを背負い、右手は娘の手を握り、左手は智彦くんへの土産の入った紙袋をさげて、私は最寄りの駅へ向かった。
智彦くんや妹・えりに言わせたら、私はどうも極端な方向音痴らしい。その私をこの京都の町だけは迷わないで歩けるようにしてくれたのは、このふたりの協力のおかげだった。 特に智彦くんが存在しなければ、妹・えりが京都の町に住むことも、また、私がこうして、幼い娘とこの町をふたりだけで歩くことはなかったと思う。
そんな私の最終目的は、ただ一つ。
智彦くん宅の娘・優子と私の娘・明生子のふたりが将来的にはひとりでお互いの家を行き来できるようになることだった。ふたりは同級生でしかも同性。優子は都会っ子として育っていくだろうけど、明生子は完全な田舎育ちになる。それを避ける為にも、なるべく早い段階で、明生子には乗り物を自由に乗りこなせる子にしておきたいと思うのだ。私のように、京都の町を初めて訪れたのが十二才。さらに、自由に京都へ行くようになったのは大人になってからでではなく、せめて、学生時代の間にたくさんの楽しい思い出を作ってほしいなと思う。
正確にいえば、優子と明生子は二従兄弟半で、私と優子は二従兄弟。そして、智彦くんと私達ふたり姉妹(ゆきとえり)は従兄弟半という関係になる。家系図上そこまでの広がりになると他人に近くはなるのだが、私とえりは智彦くんとは従兄弟のような兄妹のような関係で育ったことから、それぞれの間に誕生した子供は、またそこで強く結びつくことが起きるので、完全な他人にはなりきれないことになる。
本当は、私達ふたり姉妹が智彦くんの存在さえ気付かないでいたら…、お互い会わないで成長していたとしたら…、そうなると、今では完全の他人様同士になっていたことだろう。それが、お互い子供時代に出会ったばかりに、お互いの間に遠慮という垣根が消失。そのまま現在に至ってしまったのである。
智彦くんと出会ってからお互いの家を行き来することは、最低でもそこへ行くまでの旅費は必要になる。さらに、行った先では食費も掛かるのだから、お互い裕福でなければ、そんなことをして楽しむ余裕はないはず。これが、完全な他人なら、お互い遠慮が生じるものだが、不完全な他人であったから、許されてしまったことだと思う。
それでも、唯一気がかりなことは、こんな思い出をこの先もつくることは、お互いにとって幸せなことなのだろうか…。
智彦くんに会いに行ったところで、この先の人生は、周りに配偶者や子供が必ず存在するのだから、以前のように智彦くんとふたりっきりで会話を楽しむことはないに等しい…。でも、それが、私にとっては不都合なことでも、もしかしたら、私が智彦くんに向かい何も言えないことは智彦くんにとっては都合のいいことなのかもしれない…。それとも、智彦くんはこんな状況を望んでいたのか…?、どうかは、疑問でもある。それに、私がどんなことを考えていたって、今更、智彦くんに真実を聞き出すことなんか不可能。
そんな私に出来ることといったら、静かに時が流れていくのを待つより他はない。それに、私はただ一度っきりであったとしても、智彦くんの魔法が…、生涯において解けない魔法が掛かっている以上、チャンスがあれば、智彦くんのことだから、私に更に強い魔法を掛けてくることだろう…。
智彦くんとはお互いが独身であった時でさえ、肉体関係をもつことは罪なのに、結婚後もその関係を維持したら、智彦くんと私は亡くなったときは必ず地獄に落ちるだろう…。たとえ、そうなったとしても、今の私は智彦くんとなら地獄の果てまでも一緒にいたい。 だけど、智彦くんと私は地獄の入り口でも、また、その仲を裂かれてしまうのではないか…。つい、そんなことまで想像してしまう私は、この世でどんなに辛い状況に陥ったとしても、自殺だけはしないと決めている。自殺したところで、この世で果たせなかったことをあの世で果たそうとしても、たぶん地獄に堕ちて果たせないに決まっているから…。命だけは大切にしなくちゃ。天寿を全うすることで、もしかしたら、他の道が開けてくることもあるかもしれない…。今の私はそれだけを心の拠として、明生子のためにも生きていかなければと思う。それに、いまのところ、どう考えても、祖母が健在である限りは、智彦くんと私の縁が切れてしまうこともないだろうし…、今の私はこうして、時々、智彦くんに会えればそれで十分だからね。他の事は望まない。どのみち、今の状況では、どんなことを望んでも、果たせそうにはないことだから、そんな無駄なエネルギーを使うなら、他のところで使う方がマシだと思うからね。
私は明生子の手を引いて、最寄りの駅に着くまで、そんなことを考えていた。
 「明生(めい)、切符買うからね。母の傍を離れないでね。迷子になっちゃうからね。」 明生子に一声掛けてから、私は明生子と繋いでいた手を離した。背負っていたリュックタイプのカバンを降ろし、財布を取り出した。それから、智彦くんの住んでいる町の最寄りの駅までの切符を自動販売機で購入。それに打ち出されていた購入金額は田舎のバス代とは比べられないぐらい安いもの。せめて、これぐらいの金額で智彦くん宅を行き来できるぐらいの至近距離に住みたかったなと思う。それでも、近年、瀬戸大橋線が開通したことで、ここへ来るまでは幾つかのルートの選択が出来るようになったことは有り難いことだなと思う。が、船で大阪まで渡り、そこからJRを乗り継ぐと幾らかは安く行き来できるけど、それでは、時間が掛かる。そこで、JRを利用して、瀬戸大橋線経由で来ると、時間は短縮されるのだが、今度は費用が高くついてしまう。そうなると、やはり、どのみちここへはいつも来られないという結論なのだ。
しかし、逆に、智彦くんとはなかなか会えないことから、心が通じ合うものがあると考えることはできないかとも思う。いつも会える距離に住んでいたら、普通の兄妹のように口喧嘩に発展することもあるだろうけど、会えない分、優しく接してもらえるし、私だって、我が儘を言って智彦くんを困らせるようなことは、三奈子さんの前ではしないし、出来ないと思うから…。
でも、好きになることも、嫌いになることも出来ない相手がこの世に存在するとは、思ってもなかったな私…。
泣いて、忘れられる相手だったら…。
振られて、逆に、後で、絶対いい女になって見返してやる!。ぐらいのことが出来る相手を愛していたら…。
どれだけ、心が傷つかず、また、相手の心も傷つけずにすんだことか…。
そうよね。
せめて、明生子だけには、私のような恋は体験してほしくないなと思う。だから、智彦くん宅の第一子が女児であったことは、やはり、神様には感謝しなくちゃなんないのかな…。
 「明生(めい)、行くよ。」
 私は、財布をカバンにしまうと、切符を握りしめてから、空いた手で再び明生子の手を握り、改札口へと向かった。
私の住む町にはない自動改札口を通り抜けながら、こうして、都会と田舎を行き来出来ることはステキだなと思う反面、私はあと、何回こんな思い出を作れるのか…、また、作る勇気があるのか…、不安に思う。きっと、智彦くんとこの先のお互いの人生って、お互いの顔色を伺いながら、周りにも気を使いながら生きていくことになると思うから…。それに、そうなると、心のバランスがとれていないことには、智彦くんに会いに行ったって、ちっとも楽しくなんかないからね。
だけど、今、そのバランスが上手くとれているのかと聞かれたら、たぶんその答えは『ノー』だと思う。智彦くんに知りたいことを聞き出そうとしても、そのチャンスが巡ってはこない限り、私の心は永遠に独りぼっち。しかも、もしかしたら、智彦くんも私と同じ独りぼっちな心を抱えているかもしれない…。ただ、それをどうしたら確認できるのか…。私は見当がつかないでいた。
その後、明生子と二人して電車に乗る。
その日は平日の朝ではあったのだが、ラッシュアワーを過ぎていたこともあって、車内の席は幾分か空いていた。それで、私は明生子と共に隣り合わせで席に座ることができた。 よく考えれば、智彦くん夫婦は、本日、仕事を休んでまで、私に付き合ってくれるのだ。 ここへ来ることが決定した時に、電話を掛けたら、『休暇は取らないかんから、付きおうてやるよ。』と、言われていたことを今になって思い出した私…。
結婚後、専業主婦になって、曜日の感覚はなくなってしまったというか…、主人の仕事が自営業であることから、私は年中無休で主人を支えていたのでそうなってしまったのかもしれない。
そこで、ようやく、智彦くんには悪いことをしたような気持ちになった。だけど、そうでもしてくれなかったら、私は智彦くんに会うことは出来ない。それに、智彦くんと私のふたりがどんな行動をとっても、たぶん、今も周りの親達は無関心であることには違いない。それが、お互い結婚していてもその状況は変わらないと思う。
もともと、私の目的はそれであったのだから、ここで、一つの目的はクリアーしたことになる。
ただ、そうして慎重に選択した人生であっても、それが正しいことなのかどうかは今の私には判断ができないでいた。
 電車の座席に座っている明生子は、別に愚図ることもなく、電車の窓を流れる景色に見入っていた。生まれて初めて乗る電車に興味津々といったところだろうか…。それでも、きっと、明生子の記憶には幼すぎて何も残らないだろう…。だけど、人間は積み重ねが大事だから、これから、二・三年に一度でもここへ来るようになれば、明生子の記憶もしっかりしてくると思う。そして、なるべく早い年齢で、最終目的の自分ひとりで明生子がここまで来られるようになれればいいなと思うし、また、智彦くん宅の優子も私達一家が住む愛媛にきてほしいなと思うのである。
そんな夢が…。
 いつか叶えれば…。
いつか叶う時がくれば…。
せめて、智彦くんと結婚しなかったことを後悔しないですむような人生であれば…。
そして、これから育っていく優子と明生子が共に幸せであれば、私は他に望むことはない…。
智彦くんが私の娘・明生子とかかわることで…、また、私も智彦くんの娘・優子とかかわることで、心穏やかに過ごすことができるなら、それもまた人生だと思う。
血の繋がりにおいては、他の誰にも邪魔されないですむことを考えれば、私は本当は知能犯なのかもしれない…。
だけど、そうなってしまったのは、争いを好まなかったからであって、もし、争いを好んでいたとしたら、優子も明生子もこの世には誕生していなかったことだけは確かだと思う。一族は繁栄するものであっても、けっして、衰退していってはならないと思うのである。ましてや、親戚一同が少ないと尚更である。
智彦くんも私も、周りから、『勇気のない奴。』と言われても、それは、もう、割り切るより他はない…。
世の中には、お互いが『従兄弟関係』にある者同士が婚姻することもあるらしい。現に私達の一族の中にもそれに該当する一組の夫婦がいる。そのふたりが結婚という話しになった時、それぞれの親達や親戚一同には猛反対を受けたらしい。何故なら、ふたりの間に誕生した子は、両親の血が近い故に劣性遺伝子を持って誕生する確率が高くなるという理由からだった。そうなると、場合によっては障害児が誕生してしまう危険があるということである。それでも、そのふたりの結びつきは強く、周りの者も諦めるに至ったらしい。そんな反対に遭いながらも、救いは、誕生した子には何の障害もなかったということだったらしい。
 それなら、智彦くんと私が結婚した場合は、どうなるのか…。
 私の方が智彦くんより他人の血が多く混じっていることになるから、その間の子供は劣性遺伝子を背負って誕生する確率は従兄弟同士と違って低くなるはずである。
唯一、ややこしいことが発生するとしたら、智彦くんと私の間に誕生した子供は、智彦くんの母にとっては『孫』であるのだが、私の母方の祖母にとっては『曾孫』になってしまうこと。それに、嫁姑の関係といっても、智彦くんの母は、私の母方の祖母の妹だから、万一、トラブルが発生しても、私を祖母が守ってくれることになる。そうなったら、困るのは、智彦くんの母。嫁のグチを言いたくても言えなくなってしまうのだ。やっぱり同じ姉妹でも、考え方は違う人間だから、智彦くんと私は結婚しない方がいいのには違いないと思うのである。
 「明生(めい)、次の駅で降りるからね。」
私は明生子に声を掛けた。すると、いつの間に脱いだのか、足下に転がっていたサンダル。私はそれを拾うと明生子に履かせた。
それから、明生子とふたりして電車を降りた。改札口を抜け、駅出入り口の方へと歩く。 約四年前、この地を訪れた時、智彦くん夫婦の住んでいるマンションからこの駅が見えていたことを思い出しながら、私は駅の玄関口に立つと外を見上げた。
あった!。間違いない。私は智彦くん夫婦の住んでいるマンションの位置を確認してからその方向に歩いた。
最寄りの駅から徒歩でおよそ三分。智彦くん夫婦の住むマンションはあった。確か六階だったかな…。記憶をたどりながら、マンション入り口のエレベーターのボタンを押す。
このエレベーターを降りたら、もうすぐ、懐かしい顔に会える…。それに、年賀状では
見たことはあるのだが、新しい顔にも会える。
智彦くん宅の第一子・長女・優子は私達一族の血を継ぐ者として生まれた大切な命。それは、私の娘・明生子も同じではあるのだが、曾婆ちゃんの血を継ぐ割合は優子と私が同じ割合になることから、私はどうしても優子は完全な他人とは思えないのであった。
それに、長生きはしてみるもので、曾婆ちゃんもまさか、曾孫と玄孫が同級生になるとは思ってもみなかったことだろうと思う。
六階で止まったエレベーターを降りる。その直ぐ傍が智彦くん宅だった記憶があったので、そこのインターホンを押す。暫くすると、中からドアチェーンを外すカチャカチャという音が聞こえた後、そのドアが内側から私達親子が立つ方に開かれた。そして、中から現れたのは智彦くん。そして、目線を下げた所には、優子が立っていた。
 「あら、こんにちは。優(ゆう)ちゃん。」
 「………?!」
挨拶をしたものの優子は、『この人誰?。』みたいな顔をすると、家の中に向かって逃げてしまった。優子にしてみれば、見知らぬ人にそれも自分の名前を言って声を掛けられたのだから、驚くのは無理のないこと。私の娘・明生子であっても、同じことをされたら、その場から逃げてしまうだろう…。
 「ああぁ。逃げられてしまった。お兄ちゃん、これお土産。」
玄関先で、私は今まで下げていた紙袋ごと智彦くんに手渡した。
 「サンキュー。ま、上がれよ。」
智彦くんに勧められて、私達親子は玄関で靴を脱ぐと奥の部屋へと移動した。その時、廊下を通ると、三奈子さんは対面式のキッチンで後片づけをしていた姿が一瞬見えた。そこで、
 「こんにちは。御邪魔します。」
三奈子さんにも声を掛けたのだが、聞いているのか、聞こえてはいないのか、それとも、面倒くさくて返事をしないだけなのか、何の返事も無かった。
 「優子。ママにお土産を貰ったからって、これを持っていっておいで。」
智彦くんは自分の傍にいた娘の手に先程、私が智彦くんに手渡した紙袋を持たせた。
 すると、優子はその紙袋を手にすると、対面式のキッチンにいる三奈子さんに向かって叫びながら移動した。
 「ママー。お土産。」
その優子の声にようやく、私達親子が到着したことに気付いたらしく、三奈子さんは対面式のキッチンから私の方を見た。そして、手をタオルで拭きながら、床に座っていた智彦くんの傍に来て座った。その時の三奈子さんの姿といったら、ヨレヨレのTシャツにジャージーのズボン。私達親子がここへ来ることは前もって智彦くんから聞かされているはずなんだけどな…。いくら、私達親子は智彦と血の繋がりがあるとはいえ、三奈子さんとは全くの他人なんだから、せめて身だしなみぐらい整える気持ちぐらいあってもいいんじゃないの?。そんな三奈子さんの姿に、今更智彦くんの傍に座る必要なんてないのじゃないの?。目が合ったところで、ニコリともせず、挨拶だってもろくにしないのに…。なんでこんな人が智彦くんの奥様で優子の母でなければならないの…。私は三奈子さんの一瞬の行動から、嫌味にも似たことを考えていた。
さらに、私にとって、子供時代から本当の兄貴のように親ってきた智彦くんの奥様なら、また、私にとっても、自慢出来る『お姉さん』でなければ認めたくないような気持ちで一杯だった。
 「それで、今からどうするって?。」
と、三奈子さん。
 「それをこれから考えるんやんか。」
と、智彦くん。
 「ゆきはどうしたい?。」
と、智彦くんに聞かれ、
 「そうね。子連れで行けるところなら何処でもいい。」
私達三人がそんな会話をしている傍で、優子と明生子はお互いに関心があるのか、無いのか?それぞれが傍にあったオモチャで別々のことをして遊んでいた。
 「ゆきは何時にホテルに帰ることにしてる?。」
 「夕ご飯も済ませて、帰宅するとは言ってきたから、そのあとで帰ればいいのよ。」
 「それなら、午前中は、これから街へ行って、子供用品が置いてある問屋さんにでもいくか?。愛媛にはそんなところがないだろうし、いろんな物が置いてあるから、見るだけでも楽しいからさ。」
 「そうよ。そうすればいいのよ。値段も問屋さんだからデパートで買うよりは安いから。」
三奈子さんも智彦くんの考えに賛成らしい。
 「そうしたら、私、着替えてくるね。」
三奈子さんは、私が返事をしないうちに他の部屋へと消えていった。
居間に残ったのは、智彦くんと優子、明生子と私の四人。
優子の方は、先程、私が智彦くんにお土産として持ってきていた菓子の箱をいつの間にやら開封。中の包み紙を外して饅頭を口にしていた。その逞しい姿に、この世に誕生後から直ぐに他人に預けられた保育園児だけはあるなと私は感心してしまった。その点、私の娘・明生子はまだ、家の中で家族とだけにしか接点がない為に、優子のような大胆な行動はまだ、とれないでいた。しばらく、優子のそんな姿を智彦くんと二人して眺めていたら、優子はその食べかけの饅頭を智彦くんに持ってきて、
 「パパも食べて。」
と、言うなり、それを智彦くんの口に押し込んだ。智彦くんは仕方なくその饅頭を味わうことに…。
智彦くんと優子の親子関係をこうして傍で見ることは、これが私にとっては最初なのだが、この時の私は、他人の三奈子さんにではなく、何故か智彦くんの血を継ぐ優子に言葉では言いようのないぐらい嫉妬していた。
それは、今の状況では智彦くんに何かを聞き出すことは不可能でもあるし、これまでの智彦くんと私の関係のように何かの食べ物をふたり仲良く分け合うことは、三奈子さんと優子、そして、私の娘・明生子の前ではもう、許されない事なんだと自覚させれられたからだ。
そんな関係が続けられないのなら、智彦くんにはもう、会いにこない方が智彦くんと共にお互いが幸せなのかもしれないと思う。
 傍で見なければ…。
想像だけですむことであるならば…。
私は智彦くん一家の幸せを遠くから祈るのも、また、人生だとも思う…。
こんな辛いことを考えるのも人生だけど…。
それでも、夢は念じていれば…。
それに向かって努力さえしていたら…。
 いつか夢は叶う時がくることもある…。
しかし、
智彦くんと私の場合は、念じていたって…。
たとえ、お互いの心が寄り添っていたとしても…。
この世に生がある限り…。
 どうすることも出来ない仲…。 
あの世にいったところで、許される仲だとも思えない…。
以前、聞いたことのある歌の歌詞に『一番好きな人と結ばれる♪ 幸せ者は希こと♪…。』と、あるように、智彦くんのことは断念しなくちゃならないことなんだと思う。だけど、それをいつにしたらいいのか?…。私にはその判断がまだ付きかねていた。
今、ここで、もし、智彦くんに聞き出せるなら、たった一つだけ聞いてみたいことがある。それは…。
 『三奈子さんと私達ふたり姉妹の三人のうち、一番誰を愛していたの?。』
である。
 でも、たぶん、智彦くんはそのことに関しては答えないか、または、『母。』と関係のないことを言って逃げてしまいそうな気がする。
もともと、肝心なことを聞いても逃げてしまう性格であることには、気付いていたから…。
だったら、そんな智彦くんを好きになった私が悪いのか?…。ということにもなる。
そうしたら、そんな智彦くんと結婚した三奈子さんは不幸?。
いえ。そんなことはないはず。
智彦くんの冗談は、私達ふたり姉妹のゆきとえりには通用しても、三奈子さんは完全な他人だから、私達ふたり姉妹に話す調子ではモノを言うことはしないだろう。それに智彦くんにもプライドはあるだろうから、他人の三奈子さんの前では弱い自分をさらけ出すこともしないだろうと思う。
でも、このプライドを維持するということは、どんな人でもかなりのエネルギーを必要とする。そのエネルギーを蓄える為には、智彦くんにとっても、また、私達ふたり姉妹にとってもお互いに冗談が通用するということは、最適な相手には違いない。だけど、この先の人生は、お互いに言いたいことを言い合うような時間はもうないに等しい。それだけが、今の私には唯一、気掛かりなことだった。
 三奈子さんが他の部屋で着替えている間、智彦くんと私の間に流れている時間。
過去に智彦くんとの間に何事もなければ、今のこの時間は、私にとって貴重で楽しい時間のはずだった。
しかし、過去に一瞬、判断を誤ったばかりに、この両手を伸ばせば届きそうなぐらい傍に智彦くんがいながら、沈黙に絶えなければならない時間になってしまうとは…。
たとえ僅かな時間であっても、今の私には重くて悲しい時間…。
さらに、どんなに辛くても、私をここから救い出してくれる相手はいないという現実…。 この現実にこれから私は生涯において戦っていかなければならない…。
智彦くんは男性だから、過去の過ちは仕事をしていたら、忘れることもあるだろうし、今、既に、過去のことはその記憶から抹殺しているかもしれない。
いずれにせよ、智彦くんと私の関係なんてそんな運命であることは、以前から想像できてはいたことなんだから、『すまない。』と一方的に謝られるよりは、『遊びだったんだ。』と、言われる方が、私にとってはどれだけ救われたことか…。
 この『すまない。』と、言われたことの謎は、もしかしたら、私には永遠に解けないことのような…。
 「これっ!。優子!。出したオモチャ片付けなさい。」
いつの間にやら、着替えを終えた三奈子さんが、私達四人が居るリビングに戻って、娘・優子に話し掛けていた。
 「何度言っても、片付けなくてね…。だいたい、パパがそうだから、優子ばかりが悪いってこともないのだけどね。」
 三奈子さんのグチ。
 初めて聞いた…。
 確かに三奈子さんの気持ち解らなくもない。
 智彦くんって、巡り会った時から、一人息子であるが故に起きる両親が買い与える物の数は中途半端じゃなかったからね。しかも、本人も買い物大好き人間。それでも、子供時代は、両親から頂く小遣いの範囲の買い物しかできなかったんだろうけど、一転、大卒後、社会人になってからの方が凄かったような…。
その何が凄かったのかと説明すれば、以前、まだ私が独身だった頃、智彦くんの母が私の家の方に来ていた時、
 『智彦ったらね、働きだして、最初の年の冬のボーナスで目覚まし時計を買ったのよ。それがね、一個とかでなくて、家の隣近所の子供の分まで買って、配って歩いてたの。』って、言っていたことを思い出した。
その智彦くんが買ったという目覚まし時計、実は、私達ふたり姉妹の分もあって、えりの方はどうもその目覚まし時計を愛用していた。
そして、現在、その母は初孫が自分では育てたことのない女の子であったことから、孫娘・優子に買い与えていたオモチャの数。これが狭いマンションでありながら、智彦くんまでもが買い与えていたのでその数といったら中途半端ではなかった。
 三奈子さんの生い立ちがどうであったのかまでは、私は全く知らないのだが、優子に与えられていたオモチャの数からいくと、三奈子さんはたとえ自分も働きに出ているとはいえ経済的には恵まれた所に貰われてきたことにはなるだろう。
その点において私はといえば、そんなに自慢はできない相手に貰われたのかもしれない…。
ただ、唯一恵まれていたことは、主人の母と私の間には確執がなかったこと。これがあったばかりに、恋愛で結婚しても上手くいかないことが多いらしいから、これだけは有り難いことだと思う。
そして、これを三奈子さんに当てはめると、智彦くんの母との間に確執があるのかどうかまでの想像はできないのだが、智彦くんの母は、嫁の三奈子さんよりは、孫娘・優子に買い与えているオモチャの数からいくと、優子の方を優先して可愛がっているようなことはなんとなくその想像はできた。
そんなことを考えると『結婚』って、精神的な幸せをとるのか、または、経済的なことをとるのか、その選択は大変だなと思う。その両方があれば尚、幸せなんだろうけど、そういう幸せを体験できるヒトはやはり希なことだから…。
 「そしたら、行くか。」
智彦くんは、その腰を上げると、キッチンカウンターに置かれていたキーの束を手にした。
 「先に出ていいのか?。」
 床に散らばっていた優子のオモチャを片付けている三奈子さんに智彦くんが声を掛けた。
 「あ、優子も連れてって。」
三奈子さんの言葉に、優子はパパの智彦くんより先に玄関に向かってまっしぐら。
そこで、私達親子も智彦くんの後ろを続いて玄関に向かう。
その玄関では、既に床に座って優子がバックバンドのついたサンダルを履くのに奮闘していた。その姿に、
 「優(ゆう)ちゃん、靴が履けるのね。」
と、私が言ったところ、
 「そうよ。保育園では何でも自分でしなくちゃなんないから、自分のことはできるように指導しているみたいなの。」
いつの間にやら、私の後ろにいた三奈子さんが答えた。
 「私、まだ、用があるから、先に降りていて。」
そう言うと、三奈子さんは洗面所の方に消えて行った。そこで、私は三奈子さんはこれから、化粧でもしてくるのかと思いながら、玄関で明生子にサンダルを履かせた。
そして、智彦くんと優子、私と明生子の四人はマンションの部屋を出ると、エレベーターの前に立った。
智彦くんが下に降りる記号の付いたボタンを押す。その時のエレベーターはまだ上の階に向かって動いていたから、私達四人は暫くそこでエレベーターが下りてくるのを待つことにした。
すると、そのエレベーターが私達の待つ階に下りてくるまでの間に、なんと、三奈子さんがマンションのドアを開けて通路に出てきた。
智彦くんのマンションはこのエレベーターの隣なので、三奈子さんがマンションの鍵を掛け終わるのとほぼ同時に、私達の乗るエレベーターがその扉を開けた。
そこで、三奈子さんを加え、五人で乗り込むことに。
その時、三奈子さんの顔を見たら、何の化粧もされて無く、口紅さえも塗られてはいなかった。
 私は『?。』と、思ったのだが、何も聞かない、見なかったことにすることにした。
 そうして、乗り込んだエレベーターのドアが静かに閉まる。
上の階まで行った後で、この階へ降りて来たので、他の人が乗り込んでいると思ったのだが、乗っているのは今の私達五人だけ。
扉横に張られていた人数制限のステッカーには十人まで。五百キログラム未満とある。 その時、ふと目に付いたのが、私とは向かい合わせに立っていた三奈子さんがバックを持っていた左手。
その薬指には智彦くんが贈ったであろう結婚指輪が光っていた。
三奈子さんが指輪をはめているっていうことは、智彦くんもサイズ違いの同じデザインの物をはめていると思った私は、智彦くんの手にも視線を落とした。
しかし…。
驚いたことに、そのどちらの指にも指輪がはめられてはなかったのだ。
そのことが不思議に思った私は、つい、
 「どうして、その手には指輪がないの?。」
と、智彦くんに質問をしてしまった…。
本当は、三奈子さんの前では、聞いてはいけないような罪悪感がしたのだが…。すると、 「僕は指輪は、はめないからな。」
と、実に智彦くんらしい?、返事があって、逆に驚いたのは私だった。
 指輪をはめないってことは、他に好きな人がいるってことなんだろうか…?。
 そんなことを思う私も実は、その時、その左手には主人から頂いた結婚指輪をはめてはなかった。それも右手のみの、一差し指には妹・えりからのハワイのお土産の物と薬指には母と祖母とのふたりから貰った安物の指輪を重ねてはめていたのだった。
私は大人になってから、指輪をはめるようになったのだが、何故か左手の指だと邪魔くさく、出掛けるときだけだとはいえ、いつもは右手にのみ指輪をはめていたのだった。
智彦くんと共に『結婚指輪をはめない』というこんなところまで、考え方が似なくてもいいのだが…。
某血液占いの本によれば、智彦くんって、細かいことによく気が付き、更に几帳面な人間らしいのだが…。
私達姉妹と付き合っていた頃の智彦くんって、ヤケに細かいことまで口うるさかったのに、結婚して変わったの?。
それとも、それが本当の姿だったの?。
そんなことはないはずだ。
結婚指輪をはめないってことの理由は、他にもあるような気がした。
本当に、三奈子さんだけを愛しているのなら、指輪をはめてもいいと思うんだけど…。 あれだけ、私達姉妹には細かいことまで要求しておきながら、自分には寛大だったなんて…。何だか私には信じられないような光景を見たような気がした。
もし、今、ココで智彦くんの心が覗けるのなら、覗いてみたいような…。
それで、智彦くんの心が解るのなら、私にも諦めがつくのだけどな…。
一生、こんなことで煩うっていうのも、辛いからね。
どのみち、私の心が智彦くんに届いていても、届いてなくても、変化のない人生なら、諦めも肝心だから。
それでも、この先の私の人生って、やはり普通の人よりは複雑にできているのかも…。 だいたい、親の勝手で、智彦くんと私を引き合わせておきながら、恋愛感情は成立させてはいけないなんてこと事態が無理なんだよね。
私がこんなことで胸を痛めていたところで、智彦くんになんか、解ってはもらえないような気がするし…。
どうして、私はこんなややこしいところに生を受けてしまったしまったんだろう…。
それは、生まれる前からの運命だったとはいえ…。
 今の私は、智彦くんの恋人にも…、また、出来の悪い妹にもなれない…、こんな宙ぶらりんな私になるなんてことだけは、避けたかったなと思う…。
そんなこと、ここで今更思っても、どうしようもないことなんだけどね。
それでも、どうしても、智彦くんの行動は理解出来ないことが一つだけある。
そこまで、几帳面な智彦くんが、何故、妹のような私に手を掛けたのかということ。
健康な成人男性なら、異性に関心を持つのは正常なことらしいけど、それにしても?である。
智彦くんとは共にいずれは、身体は他の誰かと結ばれなければならなくなるのは時間の問題であったことは確かだった。そこで、とっさに思いついたとは、どうも考えられないのだが、自分が手に掛けることによって、せめて私の心だけでも、引き留めて…、おきたかったのかもしれない…。
それは、あくまでも私の推測に過ぎないのだけどね。
その後、私達五人は、エレベーターを降りると、揃って地下の駐車場に向かった。智彦くんの運転する車に乗り込む為である。
私は、以前、ココへ来た時に、智彦くんが運転していた車の型を記憶していたので、今度もそれに乗る(私達親子は初めて乗るのだが)のかと思っていたら、ドアが開けられたのは、別の車。それも、私の主人が乗っているタイプとよく似たワゴン車。
そこで、車の後部席に向かい合わせで、三奈子さんと優子、私と明生子が乗り込んだ後で、
 「以前、乗ってた車、どうしたの?。」
と、質問したら、その返事は三奈子さんからだった。
 「前に乗っていたのは、五人乗りで、しかも、年に二度、石川県までお墓参りに行くのに、智彦さんの両親も一緒に乗って行っていたから、それだと狭いので、これを買ったの。それに、来年には、もうひとり誕生するしね。」
 誕生?。
ってことは、三奈子さん妊娠してんだ!。
三奈子さんの言葉に私は、驚くというより、何故だか彼女には素直に『おめでとう。』とは言えないでいた。
 「それで、いつ生まれるの?。」
 「来年の三月末か、四月の始めが予定日。」
 「仕事は?。」
「辞めない。続けていくつもり。」
そこで、私は背中で運転中の智彦くんに前を向いて声を掛けた。
 「お兄ちゃんは、それでいいの?。」
 「え?。何?。聞こえない。」
そうでした。車のエンジン音で智彦くんの耳にまでは、三奈子さんと私の会話は聞こえてはないのでした。
 「二人目が誕生しても、産休開けからは、乳児園に預ける予定だし、産後の一年間は希望すれば仕事は午後四時半で終了にさせてくれるからね。優子の時もそうしたから、今度もそうするのよ。」
三奈子さんの意見は明確だった。
私なら、たぶん三奈子さんと同じ条件の相手と結婚していたとしても、子供のことに関しては、まず、同じ選択はしないだろうと思う。せめて、誕生後は三年間は我が子は自分の手で育てるものだと思うからだ。
自分なりの子育てができるのにそのチャンスをみすみす逃してしまうなんて私にはもったいなくてできそうにない。
しかし、子育てにそんなに関わらないのもそのヒトの人生だから、それを頭ごなしに悪いことだとも意見はできない。
 「予定日が三月か四月ってことは、優(ゆう)ちゃんと、学年が三つか四つ違いってことになるのよね?。」
 「だから、なるべく三月には生まれないようにしたいけどね。三月生まれだと四月生まれの子と一年は完全に違うし、小さいときの一年間の差って大きいからね。」
 「確かに、それはそうよね。私なんか、明生子を来年、幼稚園か保育園に入れるなんてことは、まだ、考えてないし、どのみち、我が家は自営業だから主人とふたりで子育てしようと思うのよ。それに、私には、まだ、第二子を産む予定がないからね。」
 「二人目は、まだ?。」
 「明生子にも姉妹は必要だとは思うけど、そのうちに、授かればね。お兄ちゃんとこは、結婚して直ぐに授かったから、そんなにプレッシャーはなかっただろうけど、私は結婚して二年目だからね。実家の母には『ゆきには子供ができないのかと思ってた。』って、言われたわよ。でっ、今は、その『二人目』コールってなわけ。」
 私はため息混じりな言葉をはいた。
もしも、私が智彦くんと駆け落ちした後、間に子供がなかったとしたら、やっぱりお互いの両親によって、その仲は引き離されてしまうのだろうか?。
それとも、誕生していたとしたら、やっぱり、『二人目』コールなわけだろうし、跡継ぎが誕生していなかったとしたら『次は男の子ね。』だろうし…、それも、ふたり共が男児だったりしたりしたら、お互いの両親が『養子にほしい。』と言うかもしれない…。そんなことを考えていたら、女ってなんて悲しい生き物なんだろうかと思う…。
子供が生まれなければ、欠陥人間のように言われ…、産む産まないの自由ぐらいはあっても罰は当たらないと思うんだけどね。
それに、三奈子さんだって、今度の妊娠は是非『男の子』であるようにと、周りの者も少なからずも期待しているに違いない。
そうなると、私もそう思われているうちのひとりになる。
しかし、期待されているその度合いは、私よりは三奈子さんの方が上だと思う。何故なら、智彦くんは有瀬家の一人息子だが、私の主人は三人兄妹の次男。その兄貴にも、また、妹さんの所にも、既に、男児が誕生していたので、我が家の第二子が女児であったとしても、何の問題もないのであった。
だた、二人目も女児が誕生してしまったら、一番その心が痛むのは、私の父かもしれない。
私の父はどうしても男の子がほしかったみたいなのだが、誕生した我が子はふたりとも女児。その後、この話しは、私が大人になってから、母の口から聞いたのだが、父は、私か妹かのどちらかが男児であった場合、三人目の誕生を希望していたみたいなのである。しかし、そのどちらもが、女児であったことから、三人目も女児であったら辛いということで諦めたらしい。その背景には、私の父は養子だし、当時、住んでいた自宅近所で誕生した私と同世代の子供は三人兄弟多く、その三人の内には必ずといっていいほど、男児が含まれていたからだった。
その父の心境を考える時、万一、私の産んだ子が男児だったりしたら、その喜びようは中途半端ではないだろうなということはなんとなく想像はしていた。
そのことは、神様だけが知っていることなんだろうけど、できればね、父のささやかなその夢叶えればなとも思う。
その後の私達五人は、予定どおり、ベビーと子供用品を扱っている問屋さんに到着。暫くはそこで過ごすことにした。
その店に入った時、驚いたことがある。
通りに面した出入り口を通ると、その奥には更にゲートがあって、会員証かその場で作られる本人を確認するカードがなければ、店の奥には入れないようになっていた。それも、その店内に持ち込めるのは、財布のみでその時に借りられる透明のビニールの手提げには『財布だけを入れて持ち歩いてください。』ということであった。だから、当然、私物はゲート前に設置されているコインロッカーに預ける仕組みになっていて、帰りの時は、キーを差し込むとコインが戻ってはくるようになっていた。
 三奈子さんはよくココを利用するのか、既に会員になっているらしく、私は全くの初めてで、智彦くん夫婦がいなければ、もしかしたら、こんなことは一生経験しないままだったかもしれないなと思った。
そこで、私は当日限りのカードを発行して貰い、店の奥に入ることができた。そのゲート前には、子供の遊び場のようなコーナーも設けてあり、子供連れで来店しても、母親がこの奥で買い物をしている間は、父親がここで子供と待っているという家族連れのような人達も何組か見かけた。
 その当時、私の住む町にも買い物の金額に応じてポイントが付くカードを発行している店はあったのだが、入り口でカードを提示しなければ入れないシステムになってる店というのはなく、財布だけしか持ち込めないというのは、ある意味、都会では万引き防止に一役かっているような気がした。 
智彦くん夫婦の家計がどうなっているのかまでの想像は出来ないのだが、智彦くんは私が気付いた時には既に外出用のセカンドバックを愛用。この時も持参していたのだが、そのバックはコインロッカーに預け、財布はズボンのポケットに入れていた。
店の奥は敷地の関係からか四階建てになっていた。それも、普通は各階に会計がありそうなものだが、一階の入り口付近に一カ所あるのみだった。
私は、店内に置かれていた商品の種類と数の多さにも驚いたのだが、なによりも、その商品に付けられていた値段が、問屋さんらしく良心的なことが嬉しかった。それで、欲しい物が沢山見つかったのだが、智彦くん宅からは電車でホテルまで帰らなければならず、さらにそこから、自宅までの移動を考えたら、軽い物しか買えそうにないことで、泣く泣く、布で出来ていた本を二冊だけ購入することにした。
その時の智彦くんといえば、
 「これを優子に買うから、一緒に買ってやるよ。」
と、言われ、智彦くんが手にしていたのは、キャラクターのついたショルダーバック。カバンのデザインは、優子にも明生子にも問題はないのだが、それに付けられていた肩から下げる細い紐。その長さはふたりの身長にはまだ無理のような気もしたが、『買ってくださる。』という智彦くんの厚意に甘えることにした。それも、
 「同じ色にするか?。」
と、聞かれたのだが、何故か私は自分好みの色の物と取り替えてもらうことにしてしまった。本当は、優子と同じ色のバックでも問題はなかったのだが、お揃いというのはどうもいまひとつ受け入れがたいものがあったからである。
当然、そのバックの支払いは智彦くんの財布から出された。そのバックを智彦くんから受け取る時、智彦くんには、
 「ありがとう。」
と、伝え。その傍にいた三奈子さんには、
 「頂いて帰ります。」
と、なんともちぐはぐな会話だなと思いながらも、黙って受け取るよりかは、可愛い妹みたいな奴だなと三奈子さんには思われていたいと思ったので、一言付け加えておくことにしただけだった。
どう考えたって、礼も言わない奴が智彦くんと親戚だとは、三奈子さんには思われたくはなかったからね。
私は智彦くんとは親戚である限り、三奈子さんの前では『良い奴』だと思われていなければならないことは、少しは面倒なことになったなとは思ったけど、この先も付き合っていくにあたっては、それはそれでしかたのないことだなと思う。
そして、次は、昼食タイム。
私達五人は、再び車に乗り込こんだ。
 「何処に行こうか?。」
 智彦くんは車のエンジンキーを回しながら、聞いてきた。
 「そうね。うどん屋さんにしない?。」
と、三奈子さん。
 「ゆきは?。」
そう言って、必ず私にも希望を聞いてくれる智彦くんの優しさは相変わらずだなと思いながらも、
 「連れて行ってくれる所だったら、どこでもいい。」
と、だけ返事をした。
智彦くん夫婦と私が連れているそれぞれのふたりの女児は共に二才六ヶ月前後の同級生。メニューの数も量もそんなに必要ないことぐらいは、それぞれが解っていること。
そこで、三奈子さんのお薦めのうどん屋さんを目指すことにした。
これが、大人だけの三人組だったとしたら、料亭かレストランで食事をすることになるのだろうけど、子供連れとなるとそれぞれの子がある程度の年齢になるまでは、子供中心でどんなことも考えなければならないのは大変だと思った。
それにしても、私達は相変わらず奇妙な関係だなと思う。
 智彦くんと妹・えりと私の時もそうだったけど、智彦くんと三奈子さんと私の場合も他人からみたら、不思議な三人組には違いない。それに、子供連れとなれば、どう理解すれば?みたいなことになるだろう。
私達三人を見て、瞬時に判断するとしたら、それは、『友人関係』にあることぐらいにまでにしか想像出来ないだろうと思う。
私だって、自分がこんな複雑な関係を体験していなければ、もし、町の中で私達と似たような組み合わせを見かけたとしても、血の繋がりのある関係だなんて想像もできないからね。
唯、このままこうして、交際を続けて月日を重ねていければ…。
私は他には何も望まないのだけれど…。
智彦くんと私の関係の行方は、神様だけが知っているんだよね。
それも、そのことは周りの誰にも気付かれない生き方をするって選択したのは私だから、その責任は神様だけではなくて私にも半分はあるような…。
でも、それはなんて心苦しい選択なんだろう…。
智彦くんは、その事に関しては、何を考えているのだろうか…。
少なくとも、私よりは冷静なんだろうね。きっと…。
ここで、今更、私がどんなことを思ってみても、智彦くんに本音を聞き出せるチャンスなんて無いに等しいからね。
今の私に出来ることは時が静かに流れゆくのを待つこと。
この苦しみは、時がいつか解決してくれるのではないのかとそう思ってしまう私はなんて弱い人間なのか…。
 それとも、この苦しみは、あの世に逝っても解決できないことなんだろうか…。
人を愛することは生きていくうえで大切なことだとはいえ、その『赤い糸』が間違って結ばれていたのは、智彦くんと私だろう。
私はその間違いに、かなり早い段階で気付いていたから、その修正をしなければ大変なことになるとは想像していたのに…。
今では、その修正さえ効かないばかりか、破壊が進む私の心はこの先何処へ向かうのだろうか…。
この壊れたままの心をこの先もずっと維持していくのか、それとも、更に破壊が進んでしまうのか…。
破壊が進んだ時、智彦くんはその両手を私に差し伸べてくれるのだろうか…。
智彦くんにそんな優しさがまだ残っているかどうかなんて私にはそこまでの想像はできそうにもない。
たぶん、知らない顔をされるのが落ちだろう。
そうなった時、私は私だけの力で立ち直ることなんてできるのだろうか…。
それは、そうなってみなければ分かりそうもない。
そんな不自由な恋に生きなければならない私だから、せめて、明生子だけにはこんな想いをしないですむような人生を歩いてほしいなと思う。
 「ここからは、店まで少し歩かないといけないんだけどね。」
 三奈子さんに言われて、周りを見ると智彦くんが車をバックさせて駐車場に駐車しているところだった。
 「飲食店街にあるから、駐車場がないのよ。」
と、三奈子さん。
都会ってこういうところは不便。
私は明生子の手を取ると三奈子さんと優子の後に続いて車から降りた。
車から離れておよそ五分ぐらいは歩いただろうか。智彦くん夫婦に案内されたうどん屋さんに到着。店に入るとちょうどお昼時であったから、それなりに混雑はしていたものの私達は空いていた六人掛けのテーブル席を見つけるとそこのイスに腰を下ろした。
私の正面に三奈子さんが、三奈子さんの右手側に智彦くんが、そして、三奈子さんの左手側に優子が座った。そして、私の右手側には明生子。
今回は主人とは別行動の為、席順にも気を配らなければならないのは面倒というより、これからは、智彦くんと一緒の行動はこうして距離をおくことになるのは辛いなと思った。 さらに、それぞれが注文したうどんの残りの行方。三奈子さんと優子の食べ残した物だけが智彦くんの胃袋に消えていくのを見るのは、今の私にとっては耐え難いぐらいの苦痛だった。
だけど、私には冷静であることだけが任務。
そんな私の辛い気持ちを智彦くんはどこまでキャッチしているのだろうか…。
 私が思っている以上に智彦くんに優しくされるのも辛いのだが、完全に突き放されてしまうのも辛い…。
誰かにこの複雑な想いを聞いてもらえることができたなら…、私の心は破壊されないですんだかもしれない…。
でも…。
 それを聞かされてしまった相手の気持ちを思う時、その解決法が今よりも更に面倒なことになってしまうのは目に見えていること。
それが解っているだけに、もし、智彦くんとふたりだけで話せるチャンスが巡ってきたとしても、たぶん、私のこと。涙が流れるだけで言葉にはならないだろう…。
智彦くんと私が現実ではどうにもならない位置に生きているなんてことは、きっと、誰にも気付かれはしないだろうし、そうして生きていくことは、智彦くんとふたりで決めたこと。
それは、ある意味考えようによっては、智彦くんと私はズルイ生き方をしていることにもなる。
しかし、智彦くんと私に選択の余地はない。
駆け落ちしたって…。
 心中したって果たせないことなら、この世で我慢して生きていくより他はない。    そうしたら、もしかしたら、智彦くんと私にも道は開かれるのではないのかと思うのが私の結論。
にしたって、神様はどうしてこう悪戯が大好きなんだろう…。
 「もう、出るか?。」
食事を終えて箸を置いた私に智彦くんが聞いた。
 「うん。いいよ。」
返事をした時には、三奈子さんは会計の紙を手にしていた。そして、カバンから財布を出そうとしていたから、
 「私が払います。」
と、言ったところ、
 「御馳走してやるよ。」
と、智彦くん。その言葉に三奈子さんも同意しているらしく、智彦くんの横でうなずいていた。そこで、また、智彦くんの厚意に甘えることにした。
 「ご馳走様。」
私は三奈子さんと智彦くんにお礼を述べた。
そして、うどん屋さんを後にした私達五人。
道行きながら、智彦くんが私に、
 「これから、どうする?。」
と、聞いてきたから、
 「できれば、お土産屋さんに行きたい。」
と、希望を口にしたら、
 「そんならそうしようか。」
と、智彦くんの一言で、私達五人は商店街を歩くことにした。
智彦くんは、私が極端な方向音痴であることを知っていたので、嫌な顔もせず、私を気遣いながら町中を歩いてくれたことは本当に嬉しかった。
こんな時、公認の恋人同士なら、街を堂々と手を繋いで歩けるものを…。
あ。でも、智彦くんとはお互いが独身時代だった時も、この手を繋いで街を歩くという行為だけはしなかったな…。
お互いが自分の育った町で、それをしていたら、万一、自分を知る人に会った時の言い訳が面倒だというか、大変だったから…。
誤解を招かない為にも手を繋いだりしたりしないことが美徳のような気がしたから…。
私は、もし、私の友達に会ったとしても、『親戚のお兄ちゃんだから。』と言っておけば通用したんだけど、以前、智彦くんと一緒に、しかも、その時はえりも傍にいたことから、たとえ、その時、手を繋いでなんかしてなかったとしても私達えりを含む三人が親しげに話していたところを、智彦くんの育った町で智彦くんの友達にそれを見られたことが一度だけあって…。それも私達姉妹がスタイルも良くて美人だったことから、また、えらく誤解を受けたようで…。
その時、友達に言い訳をしている智彦くんの顔が妙に可愛かったのを記憶している。
そうだよね。
大人になった智彦くんとえりと私を他人が見て、兄妹だとか、親戚だとかの見分け方というのは難しいことかもしれない。
さて。
お土産屋さん街を歩く私達五人。
私の両手が土産物の袋で塞がりだした頃、
 「どこかで、休憩しないか?。」
と、智彦くん。
 「そうしましょうか。」
と、三奈子さん。
と、いうことで、私達五人はそこから一番近い京都市内の有名デパートのオープンカフェで一息つくことにした。
その時の大人三人はクリームソーダーを、それぞれの娘達は、私達大人の勝手でチョコレートパフェを注文した。
そうしたら、また、それぞれの娘達の食べ方が個性的。
優子の方は、いつも食べ慣れているのか、自分が先にスプーンでアイスを一口食べたところで、
 「パパ、食べて。」
と、チョコのかかったポッキーを傍の智彦くんに向かって差し出す。智彦くんはそれをそのまま口で受け取ると、ポリポリと食べる。食べてしまったところで、また同じ物を一本差し出す。その次は、サクランボときた。
 「優(ゆう)ちゃんは食べないの?。」
と、聞いたところ、
 「いつも、ああして、ふたりで楽しんでいるのよ。」
と、三奈子さん。
その優子に対しての私の娘ときたら、これまた、のんびりやさん。明生子をこうして何処かへ連れ出さない私にも罪があるのだろうけど、自分の前に置かれているパフェに手も足も出ないのか、ただ黙ったまま見つめていた。
 「明生子も食べて良いのよ。」
私の一言で、明生子もようやく、スプーンを手にした。
それからのふたりは、想像以上の楽しい顔。特に口の周りときたら、白ひげがチョコレートの色で汚れているような状態。でも、ふたりの顔はとても満足そうだった。
 「ゆき。ここの一階に美味しい焼きたてのクロワッサンが売っているんだ。それも、一人二十個限定で、これから、並ばないと買えないのだけどどうする?。」
と、智彦くん。
 「あ、私まだ、買い忘れたお菓子があって、確か、ココの一階でそのお菓子売ってると思うのよ。」
 「ゆきと別行動というのは、危ないな。コイツ教えても戻ってこない確率が高いからな。」 「だったら、私がゆきさんにつくから、優子をお願い。」
と、三奈子さん。
 「ゆきは、子供どうする?。」
 「お兄ちゃんに、ふたりも見ていてとは言えないわよ。」
 「ゆきさん、買い物ってどれぐらいの時間かかる?。」
 「そんなにはかからないと思う。」
 「だったら、預けておきなさいよ。並ぶだけだから。」
三奈子さんに言われて、智彦くんには申し訳ないような気がしたのだが、三奈子さんの言葉に甘えて明生子を智彦くんに預けることにした。
そこで、明生子には、
 「このおじちゃんと一緒にいてね。」
と、声を掛けてから、席を離れ、会計は私が済ませて、三奈子さんとその場を離れた。
たとえ、その血は薄くなっていても、明生子も智彦くんとは同じ血が流れていることに違いはないのだが…。将来、明生子が大きくなった時、智彦くんのことを何と呼ばせたらいいのか?…。私はえりと共に智彦くんを『お兄ちゃん』と呼んで育ったから、この呼び方は永遠に変わらないのだが。『おじちゃん』と呼ばせるのもなんだか、智彦くんには気の毒なようで…。しかし、『お兄ちゃん』と呼ばせるには、智彦くんがそこまで若くはないしね。かといって、名前で呼ばせるのはもっと失礼だし…。こんなことまで悩まないといけないなんて…。
でも、それを逆に考えたら、私だって、将来、優子になんて呼ばれることになるんだろう?…。
 やっぱり、『おばちゃん?。』それとも、『お姉ちゃん?。』この問題って難しい…。
 そんなことを思いながら、私は一階の和菓子専門店へと歩いた。希望の品を購入後は、智彦くんの待つパン屋さんに取って返した。
そこで、私が三奈子さんと共に目にした光景…。
それは…。
智彦くんが、自らの左右の手に優子と明生子を抱きかかえたまま、列に並んでいたのだった。
これって、男の人でないと成せない技よね?。
と、思いながら、私は三奈子さんと共に智彦くんの傍にいくと、それぞれの子を降ろしてもらった。
 でも…。
 子供を抱くのなら、何故、我が子だけにしなかったのだろう…?。
智彦くんにとって、明生子は他人に近い子になる。たとえ、私の血を継いでいたとしても、遺伝子なんかは完全に他人だ。
明生子を抱く必要なんかどこにもないはず…。
それなのに、何故、智彦くんは私の子を抱いたのだろう…。
それだったら、一人だけ抱く方が楽だとは思うのだけど…。
しかし、我が子を足の傍に付けて、明生子だけを抱いていたところを三奈子さんに目撃されたら、言い訳なんかできない。
だったら、ふたり同時にという結論に達したのだろうけど…。
それにしても…である。
ただ、私が一つだけ思うのは、我が子はいずれ完治するとはいえ先天性の喘息で誕生。万が一、私と結婚できていたとしたら、その間に誕生した子は健康体ではなかったのか?。ということである。だから、健康体である明生子を抱いてみたかったのかもしれない…。
そう。
私の産んだ子は、健康体で誕生していると周りの誰もが思っているからね。
それとも、優子が喘息で誕生したのは、智彦くんと私が犯した罪の代償だとでも思っているのだろうか…。
 そこらへんは、永遠に解けそうもない謎の一つでもある。
そして、智彦くんの並んでいる列が少しずつ前に移動していくのを私は、智彦くんから少し離れた位置で三奈子さんと共に立ったまま眺めること十分。ようやく、列から解放された智彦くんが私達四人の待っている傍に戻ってきた。
 「ゆき。ほら。これお土産。」
智彦くんは、その手にしていた先程購入したパンの二袋のうち、一つを私に差し出した。 「え。いいの?。お金は?。」
 ためらう私に、
 「いいよ。やる。ホテルでおやつにしたらいいよ。それより、ゆき。もう一つ土産があるんだ。ついておいで。」
と、言って、私にそのパンの袋を持たせると、先に歩きだした。そこで、私達四人は智彦くんからはぐれないようにして後に続いた。
その智彦くんが立ち止まったところは、先程、私が三奈子さんと共に歩いた和菓子専門店街にあるうちの一軒。けれど、私が和菓子を購入した店とは名前が違っていた。
 「ここの和菓子、特に芋羊羹が美味しいからな。芋羊羹なんて、そっち(愛媛)にはないだろうし…。一度食べてみたらいいよ。」
と、智彦くんに話しかけられ…。
そこで、さらに私は、土産物を頂くことになった。
 「こんなに頂いていいの?。」
 「遠慮しないでいいのよ。」
と、三奈子さん。
 「そうしたら、頂いて帰ります。」
私は傍の智彦くん夫婦に御礼を言ってから、智彦くんの差し出した包みを受け取った。 「それで、土産物はすんだ?。」
と、智彦くん。
 「うん。」
と、返事をした私に、
 「そんなら、これから、何処行こか?。これから、夕食というのも早すぎるし…。」
と、自分の腕時計を見ながら智彦くんは問いかけた。
 「ゆきさんは、何処に行きたい?。」
更なる三奈子さんの問いかけに、私が、
 「この町のことは、そんなに細かくは知らないから、連れて行ってくれるところだったら、何処でもいい。」
と、返事をすると、
 「町はずれに、子供服のディスカウントショップがあるから、そこに行かない?。子供服って想像以上に高いから、いつもそこを利用しているのよ。安いわりには洗濯に耐えられるようにできているから。」
と、三奈子さん。
 その話しを聞いて、三奈子さんって意外としっかりした人なんだなと改めて感心した私だった。
 「ゆきは?。そこでいい?。」
智彦くんの問いかけに、
 「連れて行ってくれるのなら、そこでいい。」
と、私が返事をしたところ、
 「そしたら、車で移動せなあかんさかいにな、車まで戻るでよ。」
と、智彦くん。
 そこで、私達五人は、智彦くんがここへ来る時に停めてきた駐車場まで歩くことにした。
デパートを通り抜け、人通りが幾分少なくなった路上に出たところで、今まで、文句も言わず三奈子さんに手を引かれ歩いていた優子が突然、
 「パパ、だっこ。」
と、言って、三奈子さんの手を振りほどくと、先を行く智彦くんの足にしがみついた。その優子の様子に、智彦くんは立ち止まり、
 「しゃーないな。」(たぶん、仕方ないという意味だろうと私は思うのだが…。)
と、言ったかと思うと、人通りの少ない路上にしゃがみ込み優子をおんぶ。そのまま歩くのかと思っていたら、優子は楽々と智彦くんの肩に乗った。そして、智彦くんは優子が完全に肩に乗ったところで立ち上がり、また、歩き出した。
そのふたりの様子を後ろから、明生子の手を引いて眺めながら歩く私は、これは、智彦くんがいつもこうして移動しているんだろうなということが何となく想像できた。それに、比べ、私の主人ときたら、こうして町の中を歩いて移動中。明生子を抱くことはあっても、肩車をするということは今まで一度もない。それは、明生子が女の子だから遠慮しているのかもしれないのだが、これは、一度、試しに主人にやらせてみたいなとは思った。
 「あ・明生(めい)ちゃんは、おばちゃんがだっこしてあげる。」
と、三奈子さんは急に何を思ったのか私の先を歩いていたのにもかかわらず、立ち止まると私の娘を抱いてくれた。
その三奈子さんに嫌がることもなく、抱かれた明生子。
その明生子の体重はおよそ十二キロ。まだ妊娠三ヶ月とはいえ、身重の三奈子さんには持たない方が良い重さの荷物には違いない。そこで、
 「重いからいいです。明生子には歩いてもらうから…。」
と、私が断ると、
 「いいから。いいから。優子よりこれだったら軽いわよ。」
と、三奈子さんはそう言うと、明生子を抱いたまま、私の先をスタスタと歩き出した。
  『明生子を抱いて移動したせいで、流産しちゃった。』とか言って、後から、恨まれるのは辛いな…。と思いながらも、私は三奈子さんに従うより他はなく、その後ろを黙って歩いた。
優子・明生子共に二才と六ヶ月前後。
今のこのふたりには、今日歩いた距離は長かったのかもしれない…。
そんなふたりの娘達は、車に乗り込むと、どちらからともなく眠りについてしまった。その寝顔はどちらも天使のようであった。
智彦くんが運転を始めて、およそ十五分後。三奈子さんお薦めのお店にどうやら到着したようだ。
しかし…。
しかし…。
更に深い眠りについているような娘達ふたり。
起こすのもためらいがあり、そうかといって、大人三人が車から降りてふたりの娘を放置するのは危険が伴うことは確かだ。
そんなふたりの娘の寝顔を、車を駐車した後で見た智彦くんに、
 「ふたりで、行っておいでよ。僕はここでふたりを見ているから。」
と、言われ、私は智彦くんの言葉に甘えて三奈子さんと共に車から離れた。
それから、三奈子さんと共に入ったそのお店はちょうど、バーゲンセール中。その三奈子さんが言うには、年中こんな値段で売られているらしい。食べる物に関して言えば、瀬戸内海に面している所に住んでいる私の方が、生鮮食品を安く手に入れられているけど、装飾品や衣服に関しては、ココと比べると私の住んでいる町の方が随分高い気がした。
それで、欲とふたり連れな私。買いたい品が沢山見つかったのだが、ここで沢山買い込んでしまうと、後で荷物として、送ってもらわないといけないことになる。そんな面倒なことを共働きの智彦くん夫婦に頼めそうにもない気がした私は、中でも、一番、明生子に着せたかった夏物の青色系の普段着用のワンピースを一枚だけ購入した。もともと、私自身が青色系大好き人間で、もし、誕生した子が女児だったとしても、一度は青色系の服を着せてみたいと思っていたのだった。それに、私の住んでいる町の衣料品店。ここには女の子用の青色系の服じたいが売られていないというか、売られていたとしても、その数が少なく、私の目には今までふれたことがないままだった。
それも、私の町で売られている値段よりずっと安く、手に入れられたことは本当に嬉しかった。
都会に住むということは、沢山の情報や安い品物が手に入れられやすいとは思うけど、ずっと住むとなれば、また、話しは別で、やはり私は衣服類が高くても田舎派かなと思った。
そこで、買い物を済ませた三奈子さんと私。
智彦くんの待つ車に戻るとふたりの娘達は眠りから覚めていた。
 「ジュースでも買おうか?。」
と、智彦くん。
 「そこにな、自販機があるから、行って来てくれる?。」
車の中からジュースの自販機がある方向に指さしながら答える智彦くんの会話に反論もせず、車から再び降りた三奈子さん。そこで、私も続いて車を降り、ふたりの娘達が車から降りないようにそのドアを閉めると三奈子の後ろを続いた。
 「お兄ちゃんは、コーヒー?。」
自販機の前に立つ三奈子さんに聞くと、
 「普通のジュースで十分なのよ。ブラックなんか滅多に飲まないからね。」
三奈子さんの言葉を聞いて、智彦くんの甘党なのは昔っから変わってないなと思った。 「だからね、この間も優子とオレンジジュースの取り合いしていたのよ。家(うち)では、ジュースは必需品。それも、その時は優子に負けたとかで、後で、ひとりコンビニに出掛けてたのよ。」
娘・優子に負けた…?。
家でのそんな智彦くんを想像するのは、なんとなくわかるような…、楽しい気がした。 そういえば、以前、私の実家に独身時代の智彦くんが泊まりに来ていた時も、私の妹・えりと毎晩のように派手な言い合いをしていたっけ…。
その時も、智彦くんとえりが論議していて、最後はいつも勝ったとか負けたとかで、私にしてみれば下らないことだったから、仲裁する気さえなくしていた…。
 しかし、その論議も智彦くんの相手はえり限定だと思ってたんだけどね…。
まさか、その相手がこれからは自らの娘だとは…。
智彦くんには兄妹が存在しないことから、私達姉妹とも、また、自らの娘も兄妹のような感覚での会話を楽しんでいるだけなのかも…?。
にしても、相手にされる私達姉妹には迷惑なこと…。そして、いつかは、自らの娘にも迷惑がられる時はきっとくるだろうとは思う。それまでは智彦くんのささやかな夢に優子はお付き合いしてくれるんだろうね…。
優(ゆう)ちゃんが生まれてきたこと、もしかしたら、私達姉妹は感謝しなくちゃなんないのかな…?。
そうでなければ、私達姉妹は、永遠に智彦くんとバトルを繰り広げていたかもしれない…。
本当は、そうして、バトルを繰り広げる人生もまた、楽しからずや…、だったかもしれないのだが…。
永遠にそういうワケにはいかないからね。
そして、ジュースを自販機で購入した三奈子さんと私は、再び車に戻った。
すると、優子の方は三奈子さんが持っていた三本のジュースの中から、目ざとく自分の好みのジュースを見つけたのか、
 「ママ。これ。」
と、言って三奈子さんからジュースを受け取るとそれを抱えた。その様子に、智彦くん。
 「あれ?。パパのは?。」
と、車の運転席から後ろを向いて優子に質問。そうしたら、
 「パパは、ママからもらって。」
と、優子の返事。そこで、私が、
 「優(ゆう)ちゃん、パパには先に持って行かないの?。」
と、聞いたところ、
 「いつも、だいたいジュースに関してはこんな調子。他のお菓子なんかは、『パパ、どうぞ。』と言って、持って行くのだけどね。それも『パパはいらない。』って返事をしている時も、そのお菓子をパパの口に入れていたりして…。何度、私が注意しても、やめようとはしないのよ。そうでなくても、パパは少し太りぎみだから、甘い物を控えた方が本当はいいのだけどね。」
 そう言って、三奈子さんはため息混じりのような返事をしながら、持っていたジュースのうちの一本を智彦くんに差し出した。
言われてみれば、私達姉妹が知る頃から智彦くんは太りぎみだとは思ってはいた。しかし、本人には自覚がないらしく『自分が美味しく食べられたら、それで良い派』みたいで、いつもとても美味しそうに食事をしていた。
将来、病気にならなければいいのにね。
私は人ごとでありながらも、その胸が痛んだ。
 「ママ、開けて。」
早速、優子の攻撃。
 「優子、待ちなさいと言うてるでしょ。」
三奈子さんがジュースの缶のフタを開けるのももどかしい様子の優子。
その缶のフタが三奈子さんの手によって、開けられたかと思うと、その缶ジュースを両手に優子はもう美味しそうにジュースを口にしていた。
それに対しての私の娘・明生子。この子は優子と違い、乳児園や保育園でこれまで預かってもらったことがなく、ましてや、他人様との関わりが少ないことから、明生子にしてみれば、自分の周りのことは母である私が全てしてくれるとばかり思っているのか、優子のような積極性のある態度は全くない。まだ開いていない缶ジュースを持たせても、感心さえ無い様子だ。
 「明生子も飲む?。」
と、私が聞いたところでようやく、うなずくという程度。それに、これは、私が明生子を過保護にしてしまったせいもあるのか、優子のように上手く缶ジュースさえ飲めなければ、その缶を持って飲むことさえしない娘だった。
優子と明生子の成長の違いを目の当たりにした私は、ここで、少し反省した。これから自宅に帰ったら、明生子にもいろんな体験をさせなければならないなと思った。
その後、私達五人は車で再び移動。近くの公園に行った。
暫くの間、五人で歩き外の空気を満喫。そして、芝生のあるところで、それぞれ少し距離をおいて腰を下ろした。ふたりの娘達は、私達三人の周りをぐるぐると回っては、ふたりで追いかけっこをしているような様子。そんな私達から少し離れたところでは、何組かの親子連れが楽しそうに遊具で遊んでいた。
 「少し、早いかもしれないけど、夕食にする?。」
智彦くんは自らの腕時計で時間を確認しながら言った。
 「そうね。何処に行く?。」
と、三奈子さん。
 「昼間はうどん屋さんだったから、夜はファミレスでどう?。」
と、智彦くん。
 「そこだったら、子供達も困らないと思うから。」
と、三奈子さん。
 「ゆきもそこでいいか?。」
と、智彦くんは、私に確認を求めたので、
 「いいわよ。」
と、だけ返事をした。
そこで、私達五人は、智彦くんお薦めのファミリーレストランへ、再び車に乗って移動することに。
 暫く車で走って、着いたその先は、いくら町はずれのレストランであるとはいえ、私の住む田舎には無い大きさのレストランが一軒、そのネオンを夕闇迫る中、赤々と照らして建っていた。その建物は幹線道路沿いにあるのだが、周りは一面田んぼ。このレストランがなかったら、夜は寂しい田舎道だろうなと思われた。
さらに、私が驚いたのは、その駐車場の広さと既に停められていた車の数。さすがは都会に近い田舎だけはあるらしい。
だから、車を降りた私達五人がぞろぞろと店に入っても、玄関ホールも広ければ、席の数も中途半端ではなく、室内も複雑で田舎者の私には驚きの連続といったところであった。 そして、五人が案内されたのは六人掛けのテーブル席。
そのイスにふたりの娘達が座ったところ、少しテーブルの方が高かったので、それぞれに幼児用のイスを借りることにした。
そんなふたりの娘にはお決まりのように『お子さまランチ』を注文。大人三人はそれぞれが好みの物にした。
その最初に運ばれてきたのが、お子さまランチ。
優子の方は先に出されていたおしぼりで手を三奈子さんが拭くのももどかしいらしく、あいている手の方でもう、スプーンを握っている有様。
それに対する私の娘・明生子。食べる気があるのかないのか?…。自分の前に置かれている料理を黙ったまま見つめていた。
 「明生子もどうぞ。」
と、言って、私がその両手をおしぼりで拭いてやると、ようやく、自分好みの物をスプーンで口に運んだ。
そんな対照的な娘達ふたりだから、優子の方が食べ飽きるのが早い?。それとも、食べてしまうのが早いのか?。という状態が起きてしまう。
そうなると、優子を黙って席に座らせておくということ事態が難しくなり、私達大人三人は、それぞれが注文した料理を味わう時間さえ許してはくれそうもなくなる。しかし 優子は他人様から誕生したとはいえ、私の大切な一族のひとりには違いはないのだから、私はそんな優子を放っておくことはできずにいた。そうかといって、馴れ馴れしく、三奈子さんの前では、『優(ゆう)ちゃん、おばちゃんが抱っこしてあげようか?。』とも言えず、私は明生子の食事の世話をしながら、自分は黙って食事をするより他はないことが情けなかった。
あの時…。
 自らが結婚する事が決定した日…。
 この先の人生にどんなことが自分の周りで起こっても…。
冷静であることを選択したのは私…。
だけど…。
悲しいかな。
私はその前に、一人の人間であり、そして、一人の女性であることには変わりがない。 全ての感情を封印してしまうことは、あの時、何の疑問ももたず、簡単なことだと割り切れていたはずだった…。
しかし、今は違う…。
冷静であることを全うすることはこんなにも心苦しいことだなんて…。
人は、だったひとりの愛する人と結ばれる為にこの世に生を受けるのではないのか?…。 目には見えないその赤い糸が、ひとりの人間に対して沢山の人と結ばれているのは罪なことだし、また、そのたったひとつしかない赤い糸が、間違って結ばれているのも罪なことだとは思う。たとえ、それが不倫ではなかったとしても…。
そこで…。
 私の場合。
もしかしたら、この赤い糸というのは、途中で切れて誰とも結びついてはいないのかとも思ってしまう…。
もしそうだとしたら、それはそれで、私はここまで苦しまなくてすんだのかもしれない。 生涯独身であることは、私にとっては何の違和感もないのだが、それは、私の周りの人にとっては迷惑なことでしかない。
それが、分かっていたから結婚した。
そして、それは、智彦くんも私と同じことを考えていたとしたら…。
それも、私にとっては辛いことでしかない…。
たとえ、智彦くんに想われていたとしても…。
その心は、智彦くんと共に他の誰にも知られてはいけないこと…。
智彦くんとはお互いが独身であったときでさえ、心を通わせることは罪なことなのだから、それぞれが別の人と結婚してしまった今、それをしたら、更に罪が重くなる。
この苦しい胸の内を他の誰かに打ち明けることができたなら…。
そうかといって、打ち明けたところで、『そんな単純なことで悩むなよ。』と言われてしまうのもまた辛い。
あれこれと想いを巡らせたところで、今は黙って時間が過ぎるのを待つより他はないのかもしれない。
その時間が過ぎたとき…。
智彦くんと共に老いてしまった後で、自由の身になるのもまた辛い。
私が杖を突いたり、耳が遠くなったり、目が見えなくなってしまってからでは遅すぎる…。
 そこで、せめての慰めは…。
智彦くんと自由に会話が楽しめなくても、ただ、こうして、時々は家族ぐるみでお付き合いできたら…。
他には何も望まない…。
だけど、もしかしたら…。
智彦くんは、今、こうして私と会うのを望んでいないとしたら…。
私のこの胸の想いはいったい何処に持っていって処理したらいいのだろう…。
 それとも、私と同じように智彦くんも苦しんでいるのだろうか…。
それだけでも、知ることが…、確認することができたなら…。
 私はここまで苦しまなくてすんだはず…。
私の前の席に座る智彦くんと三奈子さんが、優子の機嫌を代わる代わる機嫌を取りながら食事をする姿を見るのはとてつもなく心が痛んだ。
「そしたら、出るか?。」
智彦くんは他の四人が食事を終えているのを確認すると、会計を手にしていた。
そこで、私が、
「連れてきてもらった御礼がしたいから、私が払うから。」
と、智彦くんの手にしていた会計を貰おうと片手を出したところ、
 「ゆき、そういうワケにはいかないだろうから、それぞれが、食べた分だけ会計を別にしてもらうことにしよう。」
その智彦くんの言葉に彼らしいなと思った。それに三奈子さんも、
「そうした方がいい。」
と、言うので、智彦くんの意見に従うことにした。
そして、それぞれが会計を済ますと、私達五人は智彦くんの車に再び乗り込んだ。
  「ゆき、これから、マンションに帰るけど、他に寄りたい店はないか?。」
智彦くんに聞かれ、
  「うん。ありがとう。お土産も買えたからいいよ。」
と、返事をした。すると、
「悪いなー。明日は仕事あるしな。昔みたいに長い時間は付き合えなくて…。」
 智彦くんは済まなさそうにそう言いながら、車にエンジンを掛けた。
『 そんなこと言われなくっても、分かってるよ。』
私はその言葉を飲み込んだ。
今日だって、私の為に夫婦で仕事休んで付き合ってくれたんだし…、私はこれで十分。 でもね。
昔みたいに智彦くんとふざけた会話が出来ないのは少し不自由かもしれない…。
言葉を選んで会話しないと、三奈子さんに余計な詮索されてしまうからね。
智彦くんと共有する秘密。
これを心に持っていることで、もしかしたら、私は強くも弱くもなるのかもしれない…。 今は、まだ、この調整がとれているけどね。
 そのうち、どこかでこの調整が効かなくなったとき、智彦くんは私を救ってくれるのだろうか…。
 たぶん。
悲しいかな。
三奈子さんの手前では、救いの手なんて差し伸べてはくれないような気がするんだよね。 だけど…。
私。
 そのうち。
きっと。
自分の力では、人生を歩けなくなるような時がくるような気がするんだよね。
その時がきたとき、どうするかは、今からでも考えておかないといけないかもな…。
そんな漠然としたことを何故か私はこの時から既に思っていた。

それから、智彦くん夫婦の住むマンションの部屋に入った時刻は、午後七時を少し過ぎていた。
 「ジュースでも飲む?。」
と、対面式のキッチンから居間に居た私達四人に三奈子さんが声を掛けてきた。
 「あ、直ぐ帰ります。」
私がそう返事をすると、キッチンから三奈子さんが居間の方に出てきた。
 「そしたらね、これとこれは、持って帰ってね。」
先程、智彦くんの車から降りたとき、三奈子さんと共に買い物をしたものがそれぞれ、バラバラになったまま部屋のテーブルに置かれていたからだ。
 「はい。お薦めの芋羊羹。ホテルに帰ったら、みんなで食べて。」
三奈子さんは、私にその袋を差し出した。
 「すみません。頂いて帰ります。」
その言葉を発しながら、なんとも、穏やかじゃない私の心。
これから、私はこの場所を離れ、ホテルに…、そして、翌々日には愛媛に戻らなければならない…。
 智彦くんとはお互い近距離に住んでいたら、いつも、会えるのだけど…。
そういうワケにはいかないからね。
ここでの別れは、昔みたいに、『次はいつ会える?。』なんて約束は出来そうもないことが、私の心を一層苦しめた。それでも、気を取り直すと、
 「ありがとう、また、来るね。」
と、言いながら、荷物をまとめた。
 「下まで、送ってやるよ。」
と、智彦くん。その言葉に、優子が、
 「パパ、優子もー。」
そう言って、優子は智彦くんに抱きついた。智彦くんは自然に優子を抱き上げると、玄関へと移動した。
そこで、私も、傍にいた明生子に、
 「これから、帰るからね。」
と、声を掛け、荷物を持たない手で明生子のその片手をそっと握った。
玄関で明生子に靴を履かせ、再び五人でマンションの一階にエレベーターで移動。
片時も離れることのない三奈子さんが、智彦くんの傍にいることで、私はとうとう最後まで、智彦くんには何も言えない、聞き出せないままになった。
「ひとりで、大丈夫か?。」
と、心配そうな智彦くん。
「ここへ来るときだって、ひとりで来たのだから、帰れます!。」
 私が少し怒ったように言うと、
「そしたら、またな。」
智彦くんは、私にその一言をくれた。
智彦くんにとってはいつも通りの会話…。
には、違いはないのだが、智彦くんの傍には完全に他人の三奈子さんがいることで、私の会話は、少し違うことに…。
「是非、愛媛の方にも遊びに来てくださいね。」
と、私は三奈子さんにそう言うと、軽くおじぎをした。
それが、私流の別れの挨拶。
そして、私は荷物の無い手で再び明生子の手を握ると、今朝、降りた駅へ向かい歩き出した。
人生って、出会いもあるから、別れもあることは知っていた。しかし、智彦くんとえりと私の三人の関係って、なんだか、終わりのないような気がするのは気のせいなんだろうか…。
駅へと続く道を明生子とふたり歩きながら、こんなことを思っていた。




 それから、一年近くが過ぎたある日。
 私は主人の広志さんと明生子と共に、祖父母の住む家を訪ねていた。
 「ゆきんとこは、二人目はまだかい?。」
祖母に聞かれて、
 「そのうちね。明生子も一人っ子というわけにはいかないだろうから…。」
私が曖昧な返事をすると、祖母は、
 「智彦くんとこ、二人目は男の子だったらしいよ。そう言うて、智彦のおっ母(か)さんから、電話があって、喜んでたから。」
と、言った。
確かに智彦くんの母にしてみれば、智彦くんは一人息子だし、誕生した孫が、それぞれ別性であったことは、相当嬉しかったことには違いないとは思う。それも、三奈子さんが昼間、仕事をしていることで、智彦くんの両親にしてみれば、ふたりの孫との繋がりは、もしかしたら、母の三奈子さんより深いことになるかもしれない。
ただ、それには、一つだけ弱点がある。
智彦くんの両親は、高齢であること。ふたりの孫の成長を傍で見ることはできても、それぞれが、結婚するまで、果たして健在でいられるかどうかである。
その点、私の祖母にとって、明生子は曾孫。
智彦くんの母と私の祖母は姉妹なのに、兄妹が多いとこういうことになってしまうらしい。
なんとも、他人には説明のつきにくい関係だなとは思うけど、智彦くんの両親にも、私の祖父母もできれば、どちらも、長生きして欲しいと願わずにはいられなかった。


その後の私は、それから、またしても、一年後、予定どおり妊娠した。
私としての希望は、第二子も女児がほしいところだった。
理由は簡単。
明生子のお下がりが全て使用できることにあった。
しかし。
しかし。
今度の妊娠は、前回とはどこか違う。
明生子の時には軽くて済んだ悪阻。
これが、妊娠悪阻状態になり、動けず、食べられず、飲めず。
見かねた実家の母に連れられ、産科を受診したところ、入院を勧められ。
けれど、当時、実家の母は仕事があり、主人の両親に至っては、高齢。とてもじゃないけど、まだ、満四才の明生子を預けてまでの入院は考えられないことだった。
そこで、何度か点滴に通うことで、どうにか、一ヶ月を過ごすことができた。
 それから、その年の四月。
明生子は保育所に入園。これで、晴れて、昼間は主人とふたりになることになった。
明生子の通う保育園は自宅から二キロぐらい離れているのだが、通園バスがなく送迎は家族の者がしなければならなかった。しかし、当時の私は、運転免許こそあるものの全くのペーパードライバー。そうなると、送迎は主人がしなければならないのだが、明生子の帰宅時間頃、丁度、主人は仕事中であり、皮肉にも、自宅隣近所には明生子と同じ保育所に通う友達がいなかったことから、主人の両親に明生子の迎えをお願いすることにした。 そのお迎え。主人の両親はそれを拒否することもなく、喜んで協力してくれたような…。それも、主人の母は車の運転は出来ないので、車の運転は主人の父がすることになり、当然、その車には主人の母も同乗することになるだろうから、ふたりして、私達家族の為に、毎日、自宅から保育所、そして私達家族の住んでいる家まで往復三十分の時間を割いてくれたことは、感謝しなければ、罰が当たりそうだった。
そうして、迎えた、妊娠二十九週目。
季節は、子供達が夏休みに入って間もなくのことだった。
しかし、明生子は、保育所へ通っていたことから、日曜日以外は、毎日、元気に通園していた。
 そんな穏やかな日々の中。
それは、ある日、突然、だった。
量こそ少なかったものの、出血。
これには、普段、慌てることのない私でも驚いた。
直ぐさま、産科に連絡すると、
『直ぐ、来てください。』
と、言われ、幸い家には主人が居たことから、自宅から車で五分の所の産科に明生子と三人で直行した。
 診察の後、主人と共に告げられたのは、
 『このまま、入院してください。』
だった。
え!?。
私は、驚きのあまり言葉も出なかった。
今日、今の時刻は午後七時を少し回ったところ。
明生子と私は、主人より先に夕食は済ませていた。
が。
しかし、この時間からは主人の夕食の時間になる。普段なら、この時間から、更に二時間、主人は教室で仕事をしているのだが、子供達の夏休み中とあって、午後七時には仕事を終了することにしていたのだった。
だから、今夜の夕食は主人がいつ仕事を終えても良いように、食卓に準備だけはしてきた。
 としても…。
明日からは、どうなる?。
もともと、細かいことにはこだわりの無い私でも、今回は弱った。
私はこれぐらいの軽い出血なら、自宅に帰れると高を括っていたから、今の持ち物といえば、保険証と僅かな金額が入った財布のみ。
しかも、入院するなんてことは全く考えてもなかったことだし、出産まではまだまだ時間があったので、当然、家に入院用の荷物なんて準備はしていない。
そこで、ようやく、先生に、
 「入院の準備をしていないので、今から帰って準備をして来たいのですが…。」
と、言ったところ、
 「家に帰って、あれこれと用をしているうちに、陣痛がきたら、取り返しのつかないことになるから、荷物は御主人さんに持ってきてもらいなさい。直ぐに退院できることはないと思っていてください。」
産科の先生にしてみれば、僅かな出血も大変な事態なんだろうけど、当妊婦の私。
これが、身体のどこかが痛いわけでもなく、動けないわけでもないから始末が悪い。
それでも、産科の先生の一言で地獄に堕ちたような気分になった。
 これから、長い時間を過ごすことになろうであろう、二階の病室に続く階段を看護師さんと主人と明生子と移動しながら、私は真剣にこれはマズイことになったなと思った。
その階段を上りきったところで、
 「部屋はふたり部屋とひとり部屋があるけど、どうされますか?。」
と、その看護師さんに聞かれ、
ひとり部屋で過ごす一日は同じ時間でも随分と長く感じるだろうから、
 「ふたり部屋を希望します。」
と、答えた。
そこで、看護師さんに案内された部屋に入ると、ベットは二つあるのだが、そのどちらも空いていた。そして、それぞれのベットの足元には小型テレビも備えられていた。
 「直ぐには家に帰れないでしょうから、奥の窓際がいいわね。」
そう言うと、看護師さんは私の返事も聞かないままベットを整え始めた。その手際の良さ。
 「ロッカーはこれを使ってね。」
ベット脇のロッカーの扉を開け中に何も無いことを確認すると、その看護師さんはいそいそと部屋を出て行ってしまった。
私は綺麗に敷かれたベットの真ん中辺りに腰を下ろすと、主人は、ベット脇に置かれていたイスに腰掛けた。
主人と二人して沈黙。明生子はこんな場所に来るのは生まれて初めてのこととあって、部屋が狭いのにもかかわらず、うろうろと歩き回っていた。
 「夏休み中で良かったな。」
主人がポツリと言った。
確かに、普段の日なら、主人の仕事終了時間が遅いことから、明生子の世話まで出来そうにないことは分かっていた。それで、主人のその一言は、私が家に居なくてもどうにかなるという自信の表れのようだった。
コンコン。
 病室のドアがノックされた。
その後、病室に入って来た看護師さんの手には、点滴が…。
そうなると、私はベットに横になるより他は無い。
横になった私の左腕には否応なしに点滴の針が打たれ、更には、その後から部屋に入ってきた看護師さんが、ゴロゴロと引っ張ってきたこれまで私が目にしたことも無い機械をお腹に取り付けられた私。
 「これで、お腹の胎児の心音が分かるからね。」
と、言って、看護師さんがスイッチを入れると、その針が動き始めた。
 「このまま、三十分測るからね。」
そう言い残すと、ふたりの看護師さんは部屋から静かに出ていった。
 病室で再び三人になったところで、
 「そんなら、御飯食べて、また、来る。明日の朝やったら、明生子を保育所に送っていってからでないと来れんから。」
と、主人。そこで、私が、
 「そんなに急がなくてもいいわ。帰って、御飯食べて、明生子と風呂に入ってやって。そうやないと、明生子が明日の朝なかなか起きんことになるから。」
と、言うと、
「まっ。考えてみる。明生子、帰るよ。」
主人は、病室のカーテンのところでひとり遊んでいた明生子に声を掛けると、ふたりして、病室を出て行った。
その時、一瞬、私を振り返って見た明生子の表情といえば…、なんと言ったらいいのか…。
この時、明生子、満四才と五ヶ月。
 何故、母親の私がひとりココに残ることになるのか?。
そんな理由、よくは分からないにしても、その胸の内は複雑であったに違い無い。
そして、とうとう病室には私ひとり…。
 左腕には点滴、お腹は胎児の心音を聞く為の装置があることで、全く身動きの取れない状態の私。
が、考えることといったら、明生子と主人の明日からの生活。
朝食は、これまでパン食だったから、主人にもそんなに負担はかからないだろう。
しかし。
明生子が通っている保育所。
ここの昼食は、おかずは調理された物が出されるのだが、主食になる物は本人が食べる分だけ、アルマイトのお弁当箱に詰めて毎日持参することになっていた。
当然、明生子はおにぎり派。これまでは、毎朝、私が握ったおにぎりを持参していたのだが…。
主人といえば、食べることに関しては全く無関心な人。
結婚して、主人が食事の準備をしてくれたことなんかこれまで、一回もない。
そんな人が、娘・明生子に初めて握るおにぎり…。
その味は、きっと、心はこもっているのには違いはないのだろうけど…。
そのおにぎりがどんな味でどんな形をしているのか…。
 想像してはみるものの、主人にピッタリなイメージはなかなか思いつかないでいた。
その時。
コンコン。
ドアが再びノックされ、病室に入って来たのは、先程の産科の先生とひとりの看護師さん。
 「どうですか?。何か変わったことはありますか?。」
と、産科の先生。
 「いえ。別にありません。」
と、私。すると、
 「妊娠初期の段階の出血であれば、子宮口を縛って退院出来るのですが、花岡(はなおか・結婚後の私の姓)さんの場合、妊娠二十九週目なので、もし、その手術を受けて、陣痛が始まったら、取り返しかつかなくなるので、その手術は受けられません。そこで、本来なら、導尿してもらって、歩かないでほしいところなんですが、そうしてしまうと、一日が長くなりますので、トイレだけは行ってください。それ以外はなるべく歩かないようにしてください。」
 それだけを言うと、産科の先生は一緒に来た看護師さんと病室を出ていった。
はぁー?。
私って、そんなに悪い状態なんだ…。
にしても…。
お腹が痛いワケでも、動けないワケでもないから、やっぱり始末が悪い。
点滴が終わって、胎児の心音を記録する装置が外されたら、きっと、私のこと。じっとなんかしていられそうもない。
 なにしろ今の私には、もう一つ、気掛かりなことがあった。
 それは、今から、約二ヶ月前のことにさかのぼる…。

妊娠五ヶ月目の頃、その日の朝は明生子を主人と共に車で保育所へ送り出した後、自宅には戻らず、そのままそこから車で十分の私の祖父母の住む家に直行した。
何故なら、数日前、祖母から電話があり、自宅庭の家庭菜園で野菜が出来たから取りにおいでと言われていたからだった。
そこで、祖母と畑で雑談をしながら野菜を収穫。
楽しいひとときを過ごした。
その時、別れ際に祖母が、
 「ゆき、身体には気を付けてな、元気な子を産めよ。」
と、言った。その時の私は別に気にもとめず、
 「ふたり目やから、心配せんでも、生まれてくる時がきたら、勝手に生まれてくるよ。」と、言って、主人と再び車に乗り込み帰宅したのだった。
その時、畑から手を振ってれた祖母を見たのが、祖母の元気な姿を見るのが最後になるとは想像さえしていなかった。
祖母は、私達が野菜を頂きに行った日から数日後、自宅の和室で転倒。その時、重い物を持って移動していたワケでもないらしいのだが、運悪く転倒した場所と身体を打ち付けた場所が悪くそのまま寝たきりになっていたのだった。 それも、あまりの激痛故に入院することさえできず病院の先生の方から往診していただく有様だった。
その連絡を私は実家の母から、祖母が転倒してから数日後に受けてはいたのだが、なにぶん、我が家は自営業。自由な時間はあるように思っても自由は無いのに等しく、当時の私は全くのペーパードライバー故に車を運転することさえできず、さらに、身重で子育て中。そうなれば、祖母の家に行ったところで、私は邪魔になっても協力さえできないことから祖母にはずっと会わないままでいた。
私が大人になった時。いつだったか、まだ家族六人が一つ屋根の下で仲良く住んでいた頃、こんな約束が交わされていた。
それは…。
私の母はひとり娘であったことから、当時、同居していたこの祖父母が万一寝たきりになった時は、母と私の妹えりと私の三人が交代で世話をするというものだった。
その約束ごとが話された時、私は当然だと思っていたので、何の文句もなかったのだが…。
神様はなんて悪戯が大好きなんだろう…。
母は地方公務員。寝たきりになった人が自らの母であるとはいえ、仕事を休んでまで、看護をすることは不可能に近い。
更に、運悪く、妹えりも嫁いでいて、彼女にはまだ子供がいなかったものの実家へ来るとなったら、車をえり自らが運転しても片道一時間はかかる。
そのうえ、まだ、運の悪いことに、私の両親が住んでいる家と祖父母が住む家は、いくらスープの冷めない距離だといっても、一、五キロ離れていた。
当時、私の父は既に定年退職。自宅で日々、第二の人生を満喫していた。だから、母は父にも食事の世話をしなければならないこともあり、祖母が寝たきりになってからは、朝、自らが食事を済ませば、出勤前に祖父母宅に移動。そこで、家事を済ませた後で出勤。昼休み時間は祖母が寝たきりになったことで、祖父の持病も悪化。祖母より一足先に祖父は母の勤務先からそんなに離れていない総合病院に入院していた為に、母は毎日、祖父の洗濯物を病院に取りに行っていたのだった。それで、仕事が終われば、帰り道にスーパーで食品の買い出しに。その後、先に祖父母の家に行って夕食の準備。片付けが終わってから、自宅へ。そこに帰ってからも、また、食事の準備が待っていて、それからの夕食後も日によっては夜の会合に出席することがあったので、そんな、待ったなしの母の生活に、とてもじゃないけど、明生子の世話までよろしくというワケにはいかないでいた。
そうかといって、主人の両親は高齢。
しかし、今の私には高齢でも主人の両親に明生子を預けるより他に道は残されてはいないことへの心苦しさ…。
それでも、主人の両親はきっと快く明生子を預かってはくれるだろう。
日々、明生子を保育所まで迎えに行ってくださるだけでも、申し訳なく思っているのに、更に、世話までしてもらうことになろうとは…。
私は、病室でひとり点滴を受けながらこんなことを考えていた…。
コンコン。
病室のドアがノックされ、部屋に入ってきたのは、主人と明生子。
だけ?。
かと、思っていたら、後から、入ってきたのは、主人の両親。
 「ゆきちゃん、どんな?。」
心配そうに私に尋ねた主人の母。
私が驚いたのは言うまでもない。
主人の父は、職場を定年退職するする数年前、身体を悪くし入院。その時、医師から、『長生きしたいと思うのなら、お酒をやめなさい。』と、言われたことがきっかけで、その時、一緒にタバコを吸うのもきっぱりとやめていたので、身内に何かあった時は、夜間だろうと、車で出掛けることは可能だとは思ってはいた。
が。
まさか、こんなに早く、病院へ私を訪ねてくれるとは思ってもないことだった。
 「広志(主人の名前)が、電話でゆきちゃんが入院することになったと言うてきたから何事かと思って、驚いたんよ。ゆきちゃんの顔を見たら、安心した。これの。ココへ来る時に開いていた店で買ってきたから。」
と、言って、主人の母は私に紙袋を差し出した。
 私は寝床から起きあがって、せめて、お礼の一言でも言わないと罰があたりそうな気がしたので、起きあがりたかったのだが、見ての通りの点滴姿にお腹にはモニターが。そこで、
 「お義母さん、すみません。ありがとうございます。」
と、だけ言って、その袋を受け取った。
 「俺はまだ、ご飯食べてないから、今夜はこれで、帰るけど、明日の朝、明生子を保育所に送った後で、ココへ来るから。ほんなら、お休み。」
と、主人。
 「明生(めい)ちゃんのことやったら、心配せんでもええよ。家で預かるからね。」
と、主人の母がそう言ったことで、帰りかけていた主人が、
 「夏休み中で良かった。明生子は保育所から家へ帰らなくても、晩ご飯は俺の実家で食べたらええし、俺も仕事が終わったら実家で飯食ってから、明生子と共に家に帰ればええし、後は、明生子と風呂に入るだけや。」
と、言葉を繋いだ。
そこで、私が、慌てて、
 「朝はどうするの?。」
と、聞くと、
 「そんなん、なんとかなる。心配せんでええ。」
と、主人。
確かに、ここで私があれこれ心配してもどうにかなるものでもないのだが、心配ごとは尽きないでいた。
 「そしたら、明日。」
 「ゆきちゃん、お大事に。」
主人と主人の母は、それぞれ、私に言葉を残すと、主人の父、明生子の四人は揃って、廊下へと消えていった。
そして、再び、私の周りは静かになった。
第二子を妊娠することは、希望してではあったのだが、ある日、突然、入院のオマケがついてくることまでの想像はしていなかった。
しかも、今夜から始まる明生子との別生活。
その彼女の年齢もまだ、四才と五ヶ月ととるか…、それとも、もう、四才と五ヶ月だから、どうにかなるととるか…。私の心は複雑だった。
明生子誕生後は、彼女が保育所生活を始めるまで、片時も私が彼女の傍を離れることはなかったのだが…。
しかし、今度ばかりはどうにもならないことで、私は深いため息をついた。


私が緊急入院してから、三日後の午前。
実家の母がようやく私の病室を尋ねてきた。
 「荷物を何も持たずに入院したと広志さんから電話があったので、ひととおり必要な物を持ってきた。」
そう言って、母は点滴して横たわっている私のベットの足下に荷物を置いた。
それから、母はベット脇の小さなイスに腰掛けた。
 「明生子はどうしてる?。」
 「毎日、保育所に行ってるみたいよ。」
 「食事は?。」
 「夕方、保育所帰りのまま広志さんの実家へ行って、晩ご飯を食べさせてもらって、広志さんも仕事が終わったら、実家で食事した後で、家に帰って風呂に入ってるみたい。」 「そしたら、朝は?。」
 「朝は、パンを焼くだけだから、どうにかなってるみたいよ。」
 「それにしても、ゆきまでが入院してしまうとは…。婆ちゃんがコケた時も一時はどうなることかと思ってたのに…。その婆ちゃんが、ようやく、動けるようになったから、これから、爺ちゃんと同じ病院に入院させようと思って、今、ベット空き待ちなんよ。」
 「えー。ふたりとも入院するの?。」
これには、私が驚いた。
 「そうして、もらった方が、あちこち行かないで済むと思ってね。どのみち、ゆきにもえりにも婆ちゃん達を看てはもらえないだろうしね。」
母はポツリとそうこぼした。
普段、弱音を吐かない母の一言で私の心は揺れた。
母は自らが希望したわけではないのに当時としては珍しい一人っ子として育った。
だから、周りで何かあった時には、この母の娘である私達姉妹が協力しなければならないことは百も承知していた。
しかし、これが本当にタイミングが悪いとしかいいようのない状況に、私は母を慰める言葉がみつからないでいた。
 「ま、くよくよしたって、しかたないしね。ゆきが元気な子を産んでくれることだけが、周りの人達への恩返しになるんだから、じっとしてなさいよ。」
母はそう言うと、イスから立ち上がりながら言葉を続けた。
 「これから、爺ちゃんの入院先に洗濯物を取りに行くから、来れたら、また、来るけど当てにはしないでよ。」
母はそれだけ、言い残すと、廊下へと消えて行った。
そんな母の姿に、今度は母までが倒れないかと心配でならなかった。
それから、数時間後、入院生活一日のうちの数時間だけ、点滴で繋がれない時間が巡ってきた。
早速、ベットから起きあがると、実家の母が持ってきて置いて帰った紙袋の中を見ることにした。
中には、下着が数枚とタオル、テッシュペーパーが一箱。切り取り可のメモ帳が一冊、カラーページの雑誌が一冊、そして、少し小さめの紙袋にさらに何かが入っているものがあった。そこで、それを開けると、中には、美味しそうな饅頭が三個とメモ書きが入っていた。
その紙には、
 『爺ちゃんの御見舞いにもらいました。』
と、書かれていた。
実は私、大の甘党人間。これまでは一日に一度は量は少なくても、必ず甘い物を口にしていた。それも、祖父の仕事柄、交際範囲が広かったことから、頂き物が多く、それを口にして育った私。しかし、主人は甘い物を殆ど好まない人で、普段のこれまでの生活で、私が甘い物を好むことは主人も承知ではあったのだが、何が好みであるのかもたぶん知らないだろうし、教えたところで、好みの甘い物を口に出来ないのはかなりの痛手ではあった。
だから、その饅頭を目にした時、私は涙が出る程嬉しかったのは言うまでもない。
だが、問題はその饅頭の消費期限。
一日に一個しか口にしなかったとしても、三日後にはなくなってしまう…。
これから、四日後に母が再び私の病室を訪れるという保障はない…。
しかし、病院で出される三度の食事とおやつがあれば、食べることに困ることはないとしても…、妊婦の私。食べることの楽しみだけは失いたくはないなとは思う。
でもね。
今回だけは、諦めるより他はない。
片田舎の産婦人科。
周りは田んぼに囲まれ…。
昼間や夜間、病院を抜け出そうとしても、一番近い店までも歩くのは遠すぎる…。
 それに、今の私は、トイレ以外の歩行は禁止。階下に降りて、院内に一台しか設置されていないジュースの自動販売機へさえも行けない身…。
拘束され…、好みの食べ物にさえもありつけないなんて…。
弱り目に祟り目というのはこういうことをいうのだろうか…。
それは…。
もしかしたら…。
今の私の母にも当てはまる言葉なのかもしれない…。
こんな不幸は、なかなか体験できないことなんだろうけど、それにしても…である。
神様。
私の家族は、前世でとんでもない悪いことをしてしまったのでしょうか…?。
これまでの人生は順風満帆であったのに…。
これがいけなかったのかしら…?。
 もし、そうだとしても、せめて、一つだけ願いが叶うとしたら、現在、病床にある祖父母に、私のこのお腹にいる第二子の産声だけでも聞かせたい…。
たとえ、このまま寝たきりになったとしても、長く生きて、その耳で第二子との会話だけでも楽しんでもらえたら…。
私は他に望むことはない。
神様。
祖父母に残された時間はどのくらいあるのでしょうか…?。
私の第二子が誕生するまで、祖父母は待っていてくれるのでしょうか…?。
出来の悪い私が祖父母に出来る恩返しとしたら、もうこれしかありません…。
本当は、これから、誕生する我が子に…、そして、今、育っている明生子に私が祖父母から受けた愛や恩をかえしていけばそれでもいいような気もするけれど…、それだけでは、これまで、私を慈しんで育ててくれた祖父母に申し訳ないような気がするの。
今の私は、どんなに望んでも、祖父母の見舞いに行くこともできなければ、その世話も出来ないなんて…。
 このまま、ある日、突然、祖父母との別れがきたりしたら…。
私はいずれあの世に逝った時、地獄に落ちるかもしれない…。
そうなれば、この祖父母には永遠に会えないかもしれない…。
そうならない為には、今は唯ひたすら、私は祈ることしか出来ない。
神様。
どうか、祖父母の世話が出来る時間を私にください…。
このまま別れが来るのはあまりにも悲しすぎます。
そんなことを考えながら、私は病院のベットでひとりの時間を過ごした。
明生子は、主人の両親に連れられて、時々、私に会いに来てくれた。
四才と六ヶ月。
それは本人の性格なのか…?、別に祖父母との生活に愚図ることもなく、生活しているらしい。
それが、私にとって唯一の救いではあった。
私が入院したことに関しては、私が悪いワケでも、他の誰かが悪いワケでもない。でも、誰の責任が一番重いのかと尋ねられたら、勿論それは私…。
周りの者に自己管理が悪いと責められても、私に反論はできない。
おなかの子にしてみても、私のおなかはよほど住み心地が悪いのか…?、はたまた、おなかの子、本人がせっかちなのか…?、それは私にも解らない。
暫くの間、おなかの子から贈られた休暇だと思えばいいのだが、それが、通用するのは、第一子を妊娠している場合に限る。
主人の世話なんかしなくても、勝手に食べることは可能だし、洗濯や掃除なんかはしなくても、別に命には関わらない。しかし、第一子が誕生しているとなれば話しは別で、それも、その子供がまだ手の掛かる幼児としたら…、母親はうっかり入院もできない。そういうことに、私は気付いていたから、これまで、何事もなく過ごしてきたのに…。考えれば、考えるほどその思いは複雑というか…、私はよほど出来の悪い娘ということになりそうだ。

それからの私は四十日間の入院生活を終え、帰宅。
一ヶ月後、予定日に無事出産した。
第二子は男児。
産科の先生から言われていたとおり、陣痛よりも破水が先という、どうも、何事においてもせっかちな子らしい…。
 それでも、五体満足で誕生したことは、私に関わってくれた全ての人に感謝したい。
私の産んだ子が男児だったことで、一番喜んでくれたのは、私の父だった。我が子も孫も女ばかりだった父にとって、その嬉しさはケタ外れだったに違いない。
そんなふうに周りから喜んでもらった彼に付いた名前は廉太(れんた)。
廉太は周りの関心を一身に受け、すくすくと成長した。
その廉太に比べ、日増しに、衰弱しているという祖父母の話を母から電話で聞いてはいたのだが、なにしろ、私は子育て中の身。祖父母の入院先が自宅からそんなに離れてはいないのにも関わらず、私は当時、ペーパードライバー故に、自由に面会にも行けなければ、祖父母の世話もできないでいた。
そうなれば、廉太が大きくなるのを祖父母に…、たとえ、このまま長い時間寝たきりになったとしても、待ってもらうより他はない。
廉太が誕生したことは、幸せのうちの一つには違いはないのだが…、廉太との会話を入院中の祖父母に楽しんでもらえるようになるまでには、まだまだ時間が必要だ。
廉太を育てることも大切なことなのだが、この先何があっても、祖父母には長く生きてもらいたい…。
 本当にタイミングが悪いというのは、こういう時をいうのだと思う。
 祖母が自宅、和室で転倒さえしなければ…。きっと、祖父も、まだ、寝たきりになることはなかっただろう…。
明生子と廉太とも、まだまだ、沢山の思い出を共有できただろうに…。
それが、私にできるたった一つの祖父母への恩返しだったのに…。
もしかしたら、もう、そんな時間は私達一族には残されてはいないのかもしれない…。 それが、予測できていたとしたら…、私はもしかしたら、他の生き方をしていたかもしれない…。
でも、神様はどこまでも、意地悪だ。
 私達一族が、あまりにも幸せな人生をこれまで歩いてきたことに立腹したのだろうか?…。



 「今ね。婆ちゃんが亡くなったと言うて、病院から連絡があったから、今から行くから。」 そう言って、母から電話をもらったのは、日曜日の昼食時間。それも、普段なら、我が家は自営業故に、土曜も日曜も主人はめったに家には居ないのだが、何故かこの時は自宅で珍しく家族揃って食事の最中だった。
主人には電話の内容を伝え、明生子にも解りやすい言葉で曾婆が亡くなったことを教えたのだが、明生子は当時、五才と三ヶ月。人が亡くなるという実感はまだ未完成のようだ。 祖母は亡くなる一ヶ月前。突然、危篤状態に陥っていた。その時、私の母は、その数日前に看病の疲れからか出血性大腸炎を併発。祖父母の入院している病院ではなく隣町の総合病院に入院していた。そうなると、祖父母の世話の出来る身内がいないことから、母は家政婦さんを雇いお願いしていたようだった。
そんな状況の中での祖母の突然の危篤。しかし、その病院には設備が整ってはいなかったことから、祖母は母の入院先の病院へと転送されてきたらしい。
そうなると、私は見舞いに行かないワケにはいかなくなり、急いで、主人とふたりの子を連れ、母と祖母の見舞いに行くことにした。
母の方はだいぶん回復したようで、顔色も良くなっていて、あと数日で退院できる予定らしい。しかし、問題は祖母。
母から祖母の病室を教えてもらい、訪ねて行った先が、ICU(集中治療室)。窓ガラス戸越しに見たそこでの祖母には沢山の管が取り付けられて自由を奪われ、顔色も悪く、以前、元気だった頃の祖母の面影は全くなくなっていた。
それでも、私はまだ、心のどこかで、きっと、祖母のことだから、再び元気になって、祖父の入院先へと戻っていくだろうと軽い気持ちでいた。
それなのに…。
それなのに…。
祖母はひとり病院で、家族の者には看取られることなく、息を引き取ってしまった。
享年八十才。
せめて、たとえ、このまま寝たきりであったとしても、あと十年の時間は生きていてほしかった…。
そうであれば、少なくとも、明生子には鮮明な記憶として曾婆の思い出は残ることになっただろう…。
そして、廉太にも曾婆のことを話して聞かせる機会もあっただろう…。
さらに、私は、祖母の看病を後悔のないよう十分にできたかもしれない…。
そのどちらも果たすことなく祖母との別れがこんなにも突然におとずれようとは…。
私の涙は、その後暫くの間、止めどなく流れた…。

翌日の葬儀は、朝から晴天だった。その空を見上げて、母はぽつりと言った。
 「人ってね、生まれてきた日と同じ天気の時に亡くなるんだって。だから、婆ちゃんの生まれた日は晴天だったのね。」
母のその一言は私の心に深く響いた。
葬儀の時に雨模様だと、天気までが故人を悲しんでくれているという話しを耳にしたことはある。それでも、雨が降ると外での焼香は不自由だ。だから、晴の方が葬儀には何かと都合がいいことはわかってはいた。
祖母はその最後の別れの時まで、計算して息を引き取ったのではないのだろうかとも思う…。
祖母から頂く最後の優しさが、『晴天』だなんて…。
でも、こんなにも天気がいいと祖母は迷わずあの世に行き着くことができるかな?。私はひとりそんなことを思ってみる。
その手で慈しみ、祖母に育ててもらった私…。
しかも、その時間が三十数年間にわたる長い時間(とき)。
その思い出と私はこの先どう決着をつければいいのだろうか…。
祖母とはまだまだ沢山の思い出を共有したかったな…。
手先が器用で私とえりの服を縫い、セーター、帽子、マフラー、手袋を編み、また、料理も得意でお菓子もよく作ってくれた大正生まれのお洒落な祖母。
 晩年は、切り絵に紙人形作りに励み、祖父と共に国内外を問わず旅行に出掛け行動的だった祖母 。
若かりし頃は、育ちがお嬢様であった故に、祖父との結婚後は苦労もあったらしい…。 しかし、祖母の持ち前の性格からか、一代で財を成し、その晩年は悠々自適生活だった。 そんな祖母の人生を思う時、私は少々羨ましくさえもある。何故なら、私のこれまでの人生といえば、この祖父母と両親のおかげで、谷もなければ、山もない、全く変化のない道だけしか歩いていないからである。
チャンスさえあれば、私だって、道を外れもすれば、よそ見だってしてみたい…。
しかし、私にはその育ち故に、そんなチャンスは未だに巡ってはこない…。
だったら、そのチャンスを自らがつくればいいのかといえば、そういうわけにもいかない。
 あたしはたぶん、他の動物にたとえれば、一生、飼われた犬か猫なんだろうな…、と思う。

 祖母の葬儀は、滞りなく終了。
出棺の時、ふと、親戚の顔を見れば、祖父の親戚のみ。
祖父は地元の人だから、親戚も近所に住んでいるのだが、祖母は石川県金沢市出身で、さらに、その弟妹が北海道を始めとする日本全国に散らばっている故に、突然、決まった葬儀には参列出来るはずもない。そのうえ、周りの者も高齢に近く、乗り物を乗り換えてここまで来るのにはかなりの時間が必要になってくる。
それは、それで、仕方のないことだと、祖父の親戚も理解していることだろう…。


 そして、これからの難題。
 それは、祖母の死を知らされてはいない入院中の祖父のこと。
きっと、いつかは祖父にバレるにしても、今は、祖父に告げないことにしようと、親戚連中と合意。
私の本音としては、これからは、たえず祖父に会いに行きたいところであるのだが、なにせ、嘘をつくのが苦手な私。どこかで、祖母の死を気付かれるのも辛く、暫くは、いつものように祖父の世話は母に任せることにした。
祖母の死に気付かなければ、祖父はもう一度、元気になるかもしれないと、私はまだ、そんなことを密かに願っていた。
祖母の看病は全く出来ないままの別れになったから、せめて、祖父には、このまま寝たきりであっても、私の後悔のないよう看病ができれば…、と思っていた。
 しかし…。
 しかし…。
やっぱり、神様は、意地悪が大好きな方(かた)だった。
祖母の死から、わずか十日後。
祖父も病院でひとり静かに息を引き取った。
享年八十五才。
学生時代に父を亡くし、その後の人生は、母親や弟妹の為に、身を粉にして働いた人。 それでも、時代が良かった為か、祖母と出会ってからの人生は、幸せだったのではないのかと思う。
晩年は、家庭菜園をして、取れた野菜を私達家族に分けてくださり、また、自宅近所の川で魚釣りを楽しんでいた祖父。
高級茶や甘い物が大好きで、祖母と行く旅行先のお土産には必ず饅頭を買って帰っていた祖父。
また、お酒も大好きで、私の父と毎晩、仲良く晩酌をしていた祖父。
いずれ、廉太が大きくなったときは、四世代で、宴会のひとつでも催したかったな…。 あたしは、なんて、出来の悪い孫なんだろう…。
祖父母には何のお礼もできないなんて…。
私はそのあまりにも深い悲しみ故に、流す涙もなかった。

祖父、葬儀の日。
その日は、朝から曇り空だった。
親戚連中が集まっていた和室で、こんな会話が流れた。
 「義姉さんは、やっぱり、ひとり、爺さんを置いては、あの世へ逝かれへんかったんと違うやろか?。」
 「そうやね。そうでないと、こんなに短い間に、葬式がふたつになったりはせえへんよね。」
 「よほど、仲がよかったんやね。」
確かに、そう言われれば、そうかもしれない…。
祖母の死後、祖父の入院先に見舞いに行った親戚はいるだろうが、祖父には祖母の死を伝えてはなかったと思う。
祖母が祖父を迎えに来たと思われても、それは、ちっとも、不思議ではないような気がする。
 「あ、ゆき。有瀬のおばちゃんが、来る言うてたから、もうすぐ、来る頃だと思うよ。」 言われて壁時計に目をやると、時刻は午前九時半。
 生後七ヶ月の廉太を抱いて、廊下を歩いていた私をそう言って、母は呼び止めた。
 「どうやって、ここまで来るの?。」
 「さあ、電車ではないと思うけど、おいちゃんの車でても来るのと違う?。」
 「その移動距離って、長すぎない?。」
 「母もそうだと思うけどね。」
 「もしかして、智彦兄ちゃんの運転で来るのと違う?。」
 「さぁね。そんなことは言わなかったと思うけど、来たら、分かるから。」
 「ゆき、車に忘れ物してきたから、取ってきてくれるか?。」
  母と会話をしていた私に、通りかがった広志さんが言った。
 「で、何を取ってくればいいの?。」
 「上着。車から降りる時、持って降りようと思ってたのに、つい、置いてきた。」
 「だったら、その間、廉太を抱いていてくれる?。」
そう言い終わらないうちに、私は広志さんに廉太を渡すと、靴を履いて玄関を出た。
家の前は、祖父が生前、事業をしていたこともあって、車が何台も止められるちょっとしたスペースがあった。
その一番奥に、主人の車が止められていたので、私はそこへ行こうと、歩き始めた時だった。
車のエンジン音がするので、その方に、目をやると…。
どうも、私の方に向かってくる一台のワゴン車。
その運転席を見たら…。
智彦くんだった。
助手席には、智彦くんの父の姿…。
明生子を連れて、智彦くん宅を訪れてから、既に、三年の月日が流れていた。
懐かしい顔に会うのは、嬉しいのだが、身内の不幸でもなければ、こうして、もう、智彦くんとは自由に会うことも出来なくなるのかと思うと、その思いは複雑だった。
親戚がたくさん揃うこんな日に、智彦くんとの再開。
 今までのように、馴れ馴れしい会話は禁物。
 よほどのことがない限り、智彦くんと会話を交わすことは無いに等しくなるだろう…。 そう。
それも、意味深な、ふたりだけでしか分からない会話を誰かに聞かれでもしたら、それこそ、とりかえしがつかなくなる…。
 智彦くんもおバカさんではないだろうから、そんな言動はしないだろう…。
これが、智彦くんと私の暗黙の了解。
人は、秘密を共有することで、強くも優しくもなる生き物なのかもしれない…。
 しかし、三年ぶりに会っても、智彦くんと自由に会話も楽しめないなんて…。
このまま、私の心は八方塞がりになってしまうのだろうか…。
それだけは、避けたいとは思うけど、智彦くんと繋がりのある祖母を亡くしてしまったことで、以前のような付き合いは出来なくなるかもしれない…。
もしかしたら、これが、他人の始まりかも…。
何事においても、冷静を求められるのは辛いなと思う。
唯。
 それを選択したのは、他の誰でもない私だ。
生涯において、秘密は秘密として、口外はしないと決めたのも私だ。
それなら、いっそのこと。
智彦くんと結ばれそこなった夜。
あの時、駄駄を捏ねて、智彦くんを困らせていたとしたら…。
 今。
 ここで。
 こんなに苦しまなくても済んだかもしれない…。
ま。
今は、ここで、冷静であるのも私の人生。
 いずれ、時が解決してくれるのを待つより他はないことだけは確かなのだ。
それぞれ、伴侶を得てしまった今は、葬儀の間も、智彦くんとは別の場所に座らなければならない悲しさ…。
両手を差し出せば、握り返してくれるぐらい傍にいながら、遠い人…。
以前のように、無邪気で可愛い妹には、もう、もどれないんだよね私…。
これまで過ぎていった時間が、智彦くんと私を大人にかえてしまった悲しさ…。
 この先、どのくらい後悔の涙を流したら、私は救われるのだろうか…。
もしかしたら、永遠にこの苦しみからは逃れられないのかもしれない…。
私は、祖父の葬儀の間、エンドレスでこんな事を思っていた。

 「あ。お兄ちゃん、こんなところに居たの?。別に用はないのだけど、横に座ってもいい?。」
 私は葬儀の後、智彦くんが洋間の長椅子にひとり腰掛けていたその端に、廉太を抱いたまま腰掛けた。
この場所は、廊下に面したガラス戸が開け放されてはいたものの、部屋には智彦くんと私だけ。
本当は、智彦くんに寄り添うようにして腰掛けたかったのだけど、他の誰かに余計な詮索をされない為にも、智彦くんからだいぶ離れて腰掛けた。
 「元気だった?。」
 「あ。うん、え、まぁ…。」
私の問いかけに、なんとも智彦くんらしい返事。その優柔不断なところはどうも結婚後も変化がないみたい。
そこで、もう一つ掘り下げて質問してみる。
 「ね。今、幸せ?。」
 「えっ。まぁな。」
私の問いかけに、『幸せだよ。』 と、はっきり返事があるのかと想像していたのになんだかがっかり…。それでも、気を取り直し、
 「幸せだったら、それでいいじゃない。」
と、言ったら、
 「ゆき。その抱いている子は男か?。」
 「そうよ。去年の年賀状に『長男が誕生しました。』って書いて送ったはずだけど…。」
 「そんなん見てへんわ。」
そう、返事をした智彦くんは何故かそれ以上の会話を続けようとはしないでいた。
だから、私も黙ったままでいた。
もしかしたら…。
智彦くんは…。
私の産んだ第二子が女児であったなら、我が子の第二子、長男と引き合わせようと考えたのかもしれない…。
私達ふたりが結ばれなかったぶん、ふたりの子にその夢を託すつもりだったのかもしれない…。
しかし、私の産んだ子が智彦くん宅と同じように、第二子が男児であったことから、そのショックが大きく、それ以上の会話がみつけられずにいたのだろう…。
唯。
それは、私も同じだ。
智彦くん宅に誕生した子の順番が、女児、男児で、しかも、私の第一子も女児で智彦くん宅の女児とは同級生になる。
そのどちらかが、逆で、今後もこうして智彦くん一家と交際を続けていたら、誰かが結婚に発展していたかもしれない。
正に…。
夢破れたり…。
であった。


  第5章 千粒の涙 に続く

        ホーム

[PR]動画