千粒の涙
■第3章 解けない魔法
<3-1>

 その後、妹のえりは志望校に無事合格。
そして、私はそれから一年後の三月。無事、高校を卒業した。
本当は、県外の短大に行きたかったのだけど、私が知らない土地でひとり暮らしをすることを良しとしない父であったから、地元の企業に私は就職した。その会社までは送迎バスがあり、私は自宅近所からそれに乗って出勤。たとえ残業があっても、その時間にもバスが待っていたので、私は寄り道もできない箱入り娘になっていた。
単調で退屈な毎日。
 そのうえ、私の友人はみな女性ばかりで、異性には全くの御縁がないというか…。会社にも男性はいるにはいたのだが、その会社の全従業員数は、男女の割合が一対九と、圧倒的に女性が多かった。そうなると、あの手この手で意中の彼氏様を落とそうとしても、多くのライバルが存在。万一、めでたくカップルになったとしても、分かれたりなんかしたりしたら後が大変。噂が噂を呼んで真実がどこにあるのかさえ解らなくなってしまう危険があることを、幸か不幸か、私は同じ職場の先輩のお姉様方から聞かされていたので、異性には関心をもたないことにしていたのも事実だった。
そんな私の唯一の楽しみといったら、文通。
行ったことも、見たこともない所から届けられる数通の手紙。
その返事を自宅で書く時が私の幸せな時間だった。
そんな私を見ていて、母はこれはマズイと思ったのか、ある日のこと私に御見合いの話しをもってきた。
その母が言うには、
「学歴もないあなたには若さだけが勝負なんだからね。」
であった。
若さが勝負だとはいえ、親の勧めたヒトでないと交際は認められないっていうか…、認めてはもらえないのだということを、この時になって、私はようやく気付いた。
母がどこからともなく持ってきた、その見合い相手の写真を見ながら、私の方がもっと強くマズイことになったと思った。
今の今まで、異性と付き合うことのなかった私。
その私に突然見合いをさせて、上手くいったら付き合えって言われても、そんなに最初っから、上手くいくワケないじゃない!。
どう考えても、相手に好みがあるように私にだって好みがあるんだからね。
けれど、会社の女友達みたいに、それまで親には内緒で付き合ってた彼氏を、
『私、この人と結婚します。』
と、ある日突然、家に連れてきたりなんかしたら、きっと、私の両親のことだから、
『そんなふしだらな女に育てた覚えはない!!。』
と、言って、この家を追い出されることになるだろうなと想像してしまった。
でもね。
よく考えてみてよ。
自分で探してきた相手では交際を認めてもらえないのに、何故、見合いなら許されるの???。
御見合い相手にも、性格の悪い奴だっているのよ。
御見合いでの席で話すことなんか、双方が猫被っているのに決まってるじゃない。
そういう私もたぶん間違いなく猫を被ることになると思うな。
猫を被ったまま付き合うのって、大変じゃない?。
それも、御見合いって、話しが成立したら、挙式までの時間もロクにないまま、結婚させられるんだよって、誰かが言ってたような…。
そうなると、猫被ったままで一生過ごすことにならない?。
なんかそんなのって嫌だな。
願わくば、自分が探してきた相手と結婚できる家の子供に生まれてきていたら、どんなに良かったことだろう…。
これが私の運命…?。
幸せって、物質的にも精神的にも恵まれていてはじめて成り立つものではないの?。
だったら、私は精神的には恵まれてないってことよね?。
生きていくには、お金も無いよりはあるのにこしたことはないけれど、それよりも、もっと大切な『愛』に一生飢えたままの人生しか選べないのは、やっぱり、不幸よね?。
子供は親を選べないからね。
でもね。
 ちょっと考えてみて。
仮に、私が一生結婚しないとしたら、また、それはそれで、親に責められるのよね。
 しかも、今度は御近所の方から、
『美沢さん宅のお嬢さん、何かあったのかしらね?。結婚しないそうよ。』
っていう噂が流れて…。
そうなると、親の立場もなくなるそうだから…。
ああぁ。私って幸せ者?それとも、不幸なの?
なんでこんなややこしいところに生まれてきちゃったんだろう…。
たとえ、男に生まれていたとしても、親の認めた人とでないと結婚できないのなら、どちらの性に生まれていても、不幸に物差しがあるとしたら、その不幸度ってたぶん同じ。 だけどね。
決定的に違うのは、自分が男だった場合、好きな相手と駆け落ちもできそうだし、その後、そんなに好きな相手と幸せに暮らしていたら、親も許してくれそうな気がするのよね。しかし、自分が女であったら、男性の場合みたいに簡単に事は運ばないような気がするんだよね。
こんなこと考えてしまう私ってやっぱり不幸?。
それとも、ヒマ人間の考えること?。
でもね。
人生は一度っきりなんだよね。
何事も後悔のないように生きるってことは、そんなに簡単に答えなんて出ないものだと思いたいけど…。
私はこの親に逆らってまでは、生きようとは思わないし…、たぶん、逆らっては生きていけないような生き方しかしてないというか…、そういう生き方しか親に教わってなような…。
自分の人生は自らが努力して、切り開いていくものではなかったのかしら…。
そんな自由も私にはないんだよね。
たぶん、この先もずっと、私は親が敷いてくれたレールの上だけを歩くことになるんだよね。
 それって、退屈でない?。
余所見もできない人生なんだよね。
親にとっては、自分たちが敷いたレールの上だけを子供に歩かせる方が安心だし、それがその子供にとっても幸せであると信じているんだよね。
子供は親の所有物ではないはずなんだけどな…。
私もいずれ結婚して子供が誕生したら、私の親のように押しつけの人生を子供にもさせてしまうのだろうか…。
しかし、自分で決めた道であっても『こんなはずではなかった…。』と深く反省してしまうよりは、安全なレールの上だけを歩くほうが楽な人生だということぐらい私にも分かってはいるんだけどね。
それに、私がいろいろと思いを巡らせていたところで、人生なんてなるようにしかならないんだよね。
私って、やっぱり、生まれてくる所を間違えた内のひとりなのかもしれないな…。
神様って、本当は意地悪と悪戯が大好きなんだろうな…。
暫し、御見合い相手の写真を眺めていたら、傍にいた母に、
「とりあえず、会うだけでも会って来なさいよ。」
と、言われた。
あああぁー。
 ここでも、やっぱり親は強引だ。
 私には断る権利もないのね…。
「早く返事をしておかないと、仲人さんも先方も待っているんだからね。」
母の焦りとは裏腹に、私は気が進まないでいたのだが、
「会うだけならいいけど、その後、壊れた時は諦めてよね。」
と、言ったら、
「それは、その時だからね。」
母がそう言ってくれたことで、私の心は少し軽くなったような気がした。
しかし、御見合いの席で相手から好意を寄せられた時はどうしたらいいの???。
たった、一度っきりの御見合いで、話しがまとまるとは思ってはないけど、その…、もしも…、の時には、どうやって相手を攻撃したらいいの???。
これが、私の新たな問題になった。
しかも、これには数学を解いて答えを出せばいいというような簡単なモノではなく、答えなんて全くないのだから余計に始末が悪いというか…。
自分から断ったりなんかしたら、まず、相手に恨まれてしまうだろうし…。
高校を卒業して、少しは自由を満喫できるのかと思っていたのに…。 私にはそんな時間も余裕もないんだね…。 隙を与えないっていうのはこういうことをいうのね。
そんなことをしていたら、いずれは、私の親も息切れ起こすかもね。
そうなったら、私の親も少しは行き過ぎたことを反省するかもね。
でも…。
 それって…。
何時起きるの???。
何時まで私は待っていたら良いの?。
かくして、これが私の御見合い人生の始まりだった。

私の人生において記念すべき第一号の御見合いをするという返事をしてから、数日後、母の元に仲人さんから、先方からも、写真を見て、是非御会いしたいという返事があったらしい。
その話しを母から聞かされて、私は一瞬唖然とした。
釣書は自分で書くものだからということで、御見合いの話しを母から聞いたその夜に、どうにか書き上げたのだが、写真までは考えていなかった。
母は一体どんな写真を仲人さんに預けたのだろう…。
親には反論できないとはいえ、せめて、こんな写真を使うからぐらいの相談があってもいいと思うんだけどね。
今の私には選択もなければ、待ったもなしなんだよね。
逆に考えれば、親の言うとおりにしておけばいいのだけど、親の前でもこの先一生、猫を被ってなくちゃいけないんだよね。
四面楚歌ってきっとこういうことをいうのよね。
『自分の納得のいく人生を歩きなさいね。』
と、言われるのと、どっちが幸せなんだろう???。
でも、優柔不断の私には、きっと、決められないことなんだろうな…。
あああぁ。私には難しすぎて答えなんか出やしない…。
こうして日々、悩みと解決出来ないまま、青春時代を送らなくちゃならないなんて…。 やっばり、私は不幸だ!!!。
そういうことにとりあえずしておこう…。
これが私の答えだった。
そして、数日後の日曜日の午後。私は御見合いをすることになった。
その日の私の服装は、大好きな青系の長袖のワンピース。
靴とバックは白にした。
母の運転する車に乗って連れて行かれたのは、自宅からさほど離れていない所の一軒の民家だった。
車を降りてから 母とふたり、玄関でその家の方と挨拶をした。
すると、母は、
「後は、宜しくお願いします。」
と、言い残すと、さっさとひとり車に乗ってしまったのである。
帰っていく母の車を見送りながら、これは大変なことになってしまったと思った。
異性に対しての免疫が全くないといったら嘘になってしまうけど、完全な他人と改まった話しをするのはこれが初体験だからね。
 智彦くんと話しをするのとはワケが違うことを考えたら、見合いをする前から、どっと心が疲れてしまった。
いっそ、このまま結婚しないで一生を過ごすのも罪だし…。
かといって、猫を被ったままで結婚したら、したで、相手には失礼だしね…。
私はなんて面倒なことを引き受けてしまったのだろう…。
ま。会うだけ会って、その後はそれから考えても悪くはないだろう…。
等と考えながら、私はその家人に勧められるまま奥の部屋に入った。
通された御座敷には、もう先方さんは来ていた。
それならということで、仲人さんを交えてお互い挨拶だけは交わしたものの、はて?。そこで、会話が途切れてしまった。
見合い初体験の私にとって、先方さんは嫌な感じはしなかったのだが、相手がどうも乗り気ではないような感じがした。
そうなれば、私も同じこと。
私から率先して壊しに掛かろうかとも思ったのだが、無理にそうする必要はないと考え直し、ここは沈黙を徹することにした。
本来はお喋り大好き人間の私が話さないでいることの苦痛。
しかし、相手に気に入られてしまったが最後、御見合いだから、後は待ったなしで、私には言論の自由さえないままに、全てが整ってしまうことを考えたら、ここはじっと我慢するしか私には方法が浮かばないでいた。
と、突然。
「ゆきさんの御趣味は?。」
相手の方に尋ねられ、私はヤバイことになったなと思って、一瞬、返事に詰まったら、「お後は、あなた達ふたりで話してくださいね。私が居ては話しが進みませんでしょうからね。」
 そう言うと、仲人さんは、私達ふたりを残し、部屋から出ていってしまった。
ね。これって、マジでヤバくない??。あたし、智彦くんとでさえ、今までふたりっきりになったことがないのに…。相手は完全の他人よね…。
お願いだから、誰か私をこの場所から連れだしてくれない?。
このままこのヒトとふたりっきりでいたら、私窒息してしまいそう…。
あああぁ。御見合いをするなんてこと、軽々しく返事をしない方が良かったかもね。
たとえ、この御見合いが成立しなかったとしても、私の母のこと。また、メゲもしないで、次のヒトを探してくるか、誰かに頼んで探してもらうんだろうな…。
 そんなことを考えていた。すると、
「ゆきさんは、もの静かな方(かた)なんですね。」
 その言葉って、誉められているのか?。それとも、ただの挨拶言葉なのか?私にはよく分からないでいた。でも、とにかく、返事はしなくちゃと思うのだが、私には上手い言葉が見つからず、つい、可愛いふりをしてしまった。
「あっ。いえ…。」
それだけ言って後は黙っていたら、
「僕の趣味はドライブなんだけど、これから、どこかで、お茶でもしませんか?。それとも、これから、何か予定でもありますか?。」
御見合いってこういう展開もあるのだと薄々は気付いていたのだが、自分がいざそういう場面に出くわしたら、私って心の準備が不完全であったことにようやく気付いた。
この御見合いがたとえ、成立しなかったとしても、私の罪にはならないだろうけど、ここは相手のいうとおりにしておくのがいいだろうと判断した私は、
「行きます。」
と、だけ小さな声で返事をした。
「それじゃ。そういうことで、決まりだね。」
彼はそう言うと、スッと立ち上がり、先程、仲人さんが出ていった襖の方に声を掛けた。「すみませーん。これから、ふたりで、お茶に行こうと思うので、これで、失礼します。」 彼のその言葉を聞いて、さすがは私より六才年上の人だけはあるなと思った。
「はい。はい。」
 奥の部屋から、返事が聞こえたかと思うと、襖が開き仲人さんが現れた。
「そう、お茶に行くの。美沢さんは、車運転できないそうだから、気をつけてね。帰りは家まで送っていってあげてね。」
仲人さんの会話を聞きながら、彼が仲人さんに向かい会釈をしたから、私も遅ればせながら彼と同じ事をした。
そして、仲人さんの家を後にした私達ふたりは、ここから、そんなに離れていない所に車を駐車してきたと言う彼の言葉に従い歩くことにした。
仲人さんの所にも車が何台か置けるスペースはあったものの何故か、隙間なく車が止めてあったから、彼が言うには、近所の空き地のような所に止めてきたらしかった。
「どうぞ。」
 そう言って、ドアを開けてくれた車の外装は白で、国産車らしいふたり乗り。
国産車らしいというのは、私には全くといっていいぐらい車の知識がなかったからだ。たぶん、こういう時に私に本当の兄貴がいたら、少しぐらいの知識は持ち合わせているのだろうけれど、それが全くないというのは少し切ないかなと思った。
車の座席に座りながら、これが、親の知らない秘密のデートなら、どんなに楽しいことだろうかとふと、そんなことを思った。
自分で探してきた相手だとダメで、御見合いだと異性と付き合ってもかまわないなんて…。何かどこか矛盾していない?と思ってしまうのは私だけなのだろうか…。そして、生涯独身でいることは、そんなに罪なことなのだろうか…。
そんなことを考えていたら、こんなヒトとお茶をしている時間さえ惜しくなってきた。このまま、私の家に直行してもらいたい気分になってきたのだが、待てよ。相手は私より六才も年上なのだから、何か面白い会話でも聞かせてくれるかもしれないと思い直すことにした。
そう─── ここは、冷静にならなくちゃね。
たとえ、この御見合いが成立しなかったとしても、それは、それで諦めればいい。
だって、私はまだ、十九才だからね。
慌てて結婚する必要もないし、それで、とんでも無い相手と結ばれたりなんかしたら、それこそ、そっちの方がかなり不幸だ。
ま・御見合いだから、変な相手はそうそういないとは思うけど、用心にこしたことはないからね。あたしって、なんて頭がいい奴なのかしら…。
と、突然、彼が質問してきた。
「ゆきさんの家はここから、どっちの方向になる?。僕は東の方から来たんだけど。」
「私はここからだと、西になると思う。」
私が遠慮がちに答えたら、
「それじゃ、西に向かって走った方がいいな。」
そう言ってから、彼は車のエンジンをかけた。
そうして、私達ふたりが乗った車は、仲人さん宅近所の細い路地から、幹線道路に出た。「ゆきさん、もしかして、御見合いは初めて?。」
彼の鋭い質問に、私はこれはマズイ展開になりそう?と思ったのだが、返事をしないワケにはいかないだろうから、
「そういうことになりそうです。」
って、答えた。すると、彼は、
「なんだかそんなような感じはしていたんだ。僕はゆきさんで三人目かな。」
彼の言葉を聞きながら、そういう見合いの数の問題じゃないような気がしたのだが、ここは何を言われても反論はしないことにした。すると、その後も彼は言葉を続けた。
「親が『どうしても御見合いをしろ。』って、うるさくてさぁ。それで、とりあえずってことになるかなぁ…。」
だから、それはそういう問題ではないような気がするんだけどね。だって、そんな気持ちで相手に会っていたりしたら、それは失礼ってことになんないのかしら…?。そういう私もだけどね…。ま・ここはお互い様ってことで…。割り切るにこしたことはないような気がした。もしかして、こういうのがことわざにあるように、渡りに船ってことなのかも?うなんてことを考えていた。
「で、ゆきさんはどうして御見合いをする気になった?。」
彼に聞かれて、私は一瞬返事に詰まった。本当は言いたいことはあるのだけれど、智彦くんを相手にしているみたいに、鳩に豆を蒔く勢いで話し出したら、止まりそうもない私のこと。きっと、この見合い相手には良い印象は残らないだろうと思った。『立つ鳥跡を濁さず』みたいに上手い言葉の一つでも考えて来れば良かった…。
「もしかして、ゆきさんも僕と同じ考えだったりはしないよな。ゆきさんは僕とは違って、真剣に見合いしている感じがするんだけどな。」
彼にそう言われて、私ってそんな感じに見えてるんだ…。それって、本当は損なの?…、それとも、得なの?…。そんな取り留めのないことを考えていたら、益々、曖昧な返事さえできなくなった。
「ゆきさんの年だと、そんなに焦らなくても、きっと、いい人が見つかると思うから、今日のお茶は僕が奢るよ。」
彼の返事は明瞭で的確だった。
そうよね。私みたいな子供を相手にしているよりは、この彼にも、きっと、他にいい人が見つかるような気がした。
「悪く思わないでくれよな。」
 彼に言われなくても、私はそんなこと全然思ってなかった。
 そんな会話をしているうちに、彼は喫茶店の駐車場に車を止めた。そこは、私の家からそんなに離れていない場所であった。
 そこで、私達ふたりは車から降りた。その建物の中に入る時、ドアは彼が先に開けてくれたから、その後に私も続いて入った。
店内は人も疎らであった。
 私達ふたりは窓際のテーブル席に向かい合って座った。
すかさずウエートレスがお冷やを手に、私達ふたりのテーブルにきた。
「御注文は御決まりですか?。」
ウエートレスの言葉に彼が先に答えた。
「僕はホット。」
私は一呼吸おいてから、
「同じ物を。」
と、答えた。
ウエートレスはそれを聞くと御辞儀をして、奥の厨房に入っていった。
彼は服のポケットからタバコとライターを取り出すと、その箱の中から一本手にして、それにライターの火を付けた。
私は彼の吸うタバコの煙が揺れるのを只ぼんやりと眺めた。
「タバコは嫌い?。」
彼の問いかけに、私は母方の現在同居中の祖父母と父が愛煙家であることを言おうかとも思ったのだけど、この人と将来結婚するわけでもないので、
「そうね。」
と、曖昧な返事をした。
「吸ってみようかとか、吸ってみたことってある?。」
この質問には私は驚いた!。
だって、私、まだ、未成年だよ。彼の世界では、成人前に体験するのが常識なのかもしれないけれど、健康には悪いって事分かっておきながら、成人前から吸うなんてこと私には考えられない質問だったから、彼には返事ができないでいた。
「そうだよね。美沢さんみたいな真面目そうな人に聞く質問ではなかったな。実は、僕は親には内緒で高三の時からなんだ…。」
彼は持っていたタバコの灰をテーブルにあった傍の灰皿に落とした。
「当時、僕が通ってた高校の悪友に勧められたのが始まり。でも最初は僕もこんな煙たいものを友達はよく吸う気になったなと思ったんだけど、僕も回数が増えるにつれて止められなくなったんだ。親は僕が吸い始めたのは大人になってからだと思ってるみたいだけど…。」
それって、やっぱり、自慢話ってことよね?そんなことを考えながら、私は只黙って彼が吸っているタバコから流れ出る煙の行方を見つめていた。
「美沢さんって、いつもそんなに話さないの?。」
 彼はどうにかして私から話しを引き出そうとしているらしかった。しかし、私の口から出た言葉は、
「あ…、いえ…。」
普段の私って、本当は話し出したら止まらないのに、ここで長い時間、沈黙を守るのはもう、そろそろ限界?がきていた。
しかし、ここで欠点を出してしまったが最後。たとえ、この見合いが成立しないと分かっていても、後々、何処かで私の噂話が流れるのは辛いから、ここはぐっと我慢するしかなかった。
すると、彼の方もそれ以上、私に問いかけても無駄かと思ったのか、黙ったままタバコをくゆらせた。
それから、しばらくすると、私達ふたりのテーブルに、先程注文をしたホットが運ばれてきた。
「御注文は以上でよろしかったでしょうか?。」
ウエートレスは月並みの言葉を並べた後、彼の方に会計の紙を置くと、奥の厨房に戻った。
 彼はタバコの火を灰皿でもみ消すと、砂糖もミルクも入れず、カップのコーヒーを口にした。
私はその様子を眺めながら、こんな時の智彦くんって、砂糖は多めにだの、砂糖とミルクを入れるにはそれなりの順番があるのだの、なんか、いつもややこしいことを言ってたような…、ことを思い出した。
それらのことを思い出したついでに、智彦くんって私の知らないことを傍にいて、さりげなく教えてくれていたことにこの時になって、私はようやく気付いたのだった。
でもね…。
 智彦くんとはね…。
ああぁ。あたしって、なんて不幸な所に生まれてきちゃったんだろう…。
私はそんなことを考えながら、コーヒーに砂糖とミルクを入れてから、それを口にした。 楽しくない相手と過ごす時間って、こんなにも退屈で窮屈だなんて…。
こんな単純なことに今まで気付かなかった私はなんておバカなんだろう…。これから、しばらくの間は、見合いなんて絶対にしないからね。
これが、初の見合いで私が出した答えだった。
でも、ここにいる彼には罪はないからね…。そろそろ、笑って『さようら。』をした方がいいかも…。
そう思いながら、私は静かにコーヒーを飲み終えた。
「それじゃ。出ようか?。」
彼はそう言うと、私の返事も待たずに会計の紙を手にすると、席を立った。
だから、私も急いで席を立つと彼の後に続いた。
「すみません。ごちそうさまでした。」
会計を終えた彼に私は一言礼を言った。
 そう言ったのは、これでこの彼とは二度と会わないことが分かっていながらも、このまま黙ったまま別れてしまうと、後々まで、礼儀知らずな女だったと思われるのは嫌だったからである。
そして、喫茶店を後にした私達ふたりはまた、彼の車に乗り込んだ。
「美沢さんの家はどっちの方?。」
彼のこの質問には答えないわけにはいかなくなり、私は助手席のシートベルトを締めながら、
「ここからだと、東の方。今来た道を少し戻った所。近くになったら言うから、そこで…。」
と、返事をした。
すると、彼は黙ったまま、また、ポケットからタバコを取り出すと、それを銜えた。そして、車に備え付けのシガーライターを左手で押し込んだ。
彼のその行動を見て、私は少し驚いた。
え?。
また、吸うの?。
今、さっき(先)吸い終えたばかりなのに…。
しかも、こんな密閉された場所で…。
それって、吸わない人に対して失礼だとも思わないのかしら…?。
そう思った私は彼に一言、言おうかとも思ったのだが、ここで、本性を現してしまったが最後。彼の気持ちが変更して、『付き合いたい。』と言われてしまうのを私は恐れた。
話し出したら、止まりそうもない私のこと。今まで我慢していた沈黙はなんだったのかと、後悔はしたくなかったから、ここは、ぐっと我慢した。
暫くして、押し込まれたシガーライターが戻る音がすると、彼はタバコにそれで火を付けた。
その瞬間、立ち上るタバコの煙。
私が座っているこの席は禁煙席ではなく、喫煙席だったみたいね…。
そういえば…。
智彦くんって、タバコは吸わないのかしら…?
確か…。
うちに居た間、『僕はタバコは吸わない。そんな煙たいもん吸うかいな。』とかなんとか言ってたような…?
それでいて、甘い物には目が無いときてたから、太ってたんだよね。
私がそんな物思いにふけっている間に、彼は車にエンジンを掛けると喫茶店の駐車場から車を出した。
そして、車は元来た道を走り始めた。
ハンドルを握る彼の左手にはタバコ。
その煙は私に吸い寄せられているかのようにつきまとう。
いつも家で間接的に吸わされているから、慣れているといえばそれまでだけどね。
こんな密閉状態で吸われるのは、ちょっと辛い…。
本人は納得の上で吸ってるんだろうけどね。
と。
 次の瞬間。
その煙を思いっきり吸い込んだみたいで、噎せてしまった。
咳き込む私に、ようやく彼は気付いたみたいで、
「それって、僕のタバコのせいだよな。」
慌てて彼は車に備え付けの灰皿を引き出すと、そこでタバコをもみ消した。
私は咳が治まったあとで、彼にはなにか悪いことをしたような罪悪感があった。でも、ここで、私が謝るってのもなにかおかしいかな?、と思ったので黙っておくことにした。 「美沢さんの家って、どの辺?。どこで、降ろしたらいい?。」
彼にそう聞かれて、私は、
「もう少し行った先の左側にガソリンスタンドが見えてくるから、それを通り過ぎた辺りで降ろしてください。」
と、だけ答えた。
それから、車が暫く走ると、私の言った建物が田舎道の田んぼの中から見えだした。
その建物を見つめながら、私は何故かほっとしていた。
 こんな窮屈な関係から、一秒でも早く逃げ出したかったからだ…。
「本当にこんな所でいいの?。」
再度、彼は私に尋ねながら、少しずつ車のスピードを落とし始めた。
彼が心配そうに聞くのも無理はない。
私が車から降りようとしているこの場所は、ガソリンスタンドの他には、家が離れた所にところどころあるだけの寂しい田舎道だったからだ。
でも、ここからは暫く歩けば小さいながらも集落があり、私の家はその集落のほぼ真ん中に位置していた。
しかも、そこの住人は土着民が多く、もし彼の車が私の家の前に止まり、その車から私が降りてきたところを住人の誰かに目撃でもされたりしたら大変!。翌日にはそこの集落の人全てに知れ渡ってしまうからだ。
「本当にここでいいの?。」
そう言って、念を入れる彼に、私は止まった車から、
「今日はどうもありがとうございました。」
と、だけ答えて彼の車を降りてドアを閉めた。
そんな冷たい態度の私に、彼は車を出すより他はなかったみたいで、その場から彼の車はエンジン音を残し走り去った。
次第に見えなくなっていく彼の車を目で追いながら、私はこれで良かったんだと思った。 たった、一回しかしなかった見合いが縁で、そのままスピード結婚をさせられたりなんかしたら、私、独身時代、楽しかった思い出なんてなーんにもないってことになるからね。そんな後悔しない為にも、私はまだ暫く、独身生活を満喫したいなと思った。   
 しかし…。
しかし…。
母親の方はそうは思ってなかったみたいで…。
「ただいま。」
いつものように私は元気よく玄関ドアを開けて家には入ると、そこでは珍しく母が古新聞を広げて生花を花瓶に生けていた。
「おかえり。」
なんだかいつもと違う母の声に、
「おかーさんも、何かいいことあったの?。」
って聞くと、
「そうね。ゆきがそのうちボーイフレンドを家に連れてくるようになったら、玄関先に花でも生けておかないといけないかなって思ってね。生けてるところよ。それより、どうしたの?。そんなに早く帰ってきて。お見合いはどうだった?。仲人さんにも先方さんにもきちんと挨拶したの?。」
ほらね。
やっぱり。
私の思ってたとおりの展開ね。
 だけど、母の聞き出そうとしていることに黙っていたら、さらに、
「おとーさんも心配してたわよ。ゆきのお見合いは大丈夫かって。」
言われてしまった。
 ああぁ。
 私ってなんて大変なところに生まれてきちゃったんだろう…。
『親の心、子知らず。』っていうことわざがあるけど、家(うち)はどうもその反対みたい…。
そんなよけいな心配なんかしてくれなくてもね…。
『あたしはあたしで、結婚する相手ぐらい見つけるわよ 。』って宣言できる家に生まれてたらな…。
 人生また違ってたかも…。
でも…。
うちの親って揃いも揃っての堅物。
 仕事だってふたり揃って地方公務員。
ときたら、鬼に金棒ってやつだからね。
ダメなものは、なんと言ってもダメで、一寸の隙さえ相手には与えてはくれないんだからね。
ま・でも、逆に考えたら、親の言いなりになってる方が、人生楽なことは楽なんだろうけど…。
そんな人生も…ね。
あると、この際割り切って生きていくのが勝ちか?…。
それとも、反旗を揚げて戦うか?
それらの大切な問題を私はまだ決められずにいた。

私が初の見合いを体験してからの三日後の夜。
夕食の後、私は居間のテーブルに向かい雑誌を広げて読んでいる時だった。
 その私の傍で、母は家計簿を付けていた。
と。
突然。
 母はため息混じりでこう言った。
 「ゆき、今日、あなたが仕事からまだ帰ってない時間に、仲人さんから電話があったのよ。その仲人さんが言うには、先方さんからお断りの電話が掛かってきたって言うのよ。その断りの理由まで聞かなかったんだけど、ゆきのことだから、相手に何か失礼なことしたのじゃないのかと、母は思ってるんだけど、何かやったの?。」
ほら。
 やっぱり。
最悪の展開。
断られたらまたそれで、説教を聞くハメになり、交際することになったらそれは、それで、また、説教。
どのみち、私は悪者扱い。
ま・それも、今では慣れっ子になっちゃったけどね。
しかし、普段、説教の多い父と違い、小言をあまり言わない母から聞かされるのはちょっと耳が痛い…。
それは、同姓として心配しているのはわかるんだけどね。
恋愛は許さない。
でも、見合いは勧める。
恋愛も見合いも私にしてみれば、同じことだとは思うんだけどね。
どうして、大人は形にこだわるんだろう…。
世間体ってそんなに大切なことなの?。
結婚はお互いの意志で決めることだから、お互いが幸せであれば世間体なんか考えなくてもそれでいいと私は思うんだけど…。
特に私の親は、それではダメってことなんだよね。
ほんとーに、私はなんてややこしいところに生まれて来ちゃったんだろう…。
親は子を選べても、子は親を選んで生まれてくるわけじゃないんだから、もう少し子供に寛容であっても悪くはないと思うんだけどね。
「ゆき!。真剣に聞いてるの!。」
母の聞いていることに対して答えなかったら、直ぐ、こんな調子で怒られてしまう損な私。
見合いは私がするんだからね。
そんなに母が熱くなる必要なんかないと思うのに…。
どうして、こうも、大人って勝手な生き物なんだろう…。
そんなこと考えてる私もいずれ誰かと結婚したら、こんな大人になってしまうのだろうか…?。
ああぁ 。
誰かこの環境をどーにかしてってカンジだね。
「ゆきの出来が悪いと母まで恥をかくんだからね。ほんとにもぅー、なんて子だろうね。」 母はそんな捨てぜりふを吐くと、家計簿を持って居間から出ていってしまった。
ふーう。
私はため息混じりで息を吐いた。
きっと。
母のことだろうから、一度や二度、見合いが失敗したって、また、メゲずに見合いの話しを持ってくるんだろうな…。
見合いって、若さが勝負だとかなんとか言ってたけど、私、まだ、十九だよ。
見合いして、即、結婚とまでは言わないだろうけど、私には荷が重すぎる。しかも、見合いをするのは私なのに母の希望は、次男以下、相手の歳は私の父の年より下であること。そして、相手の家の家業が否農家であること。この否農家であることというのは、私達家族に経験がないから、分からないわけでもない。  
 しかし、よく考えたら、見合いも大変。
男性の場合は、本人が爺臭くなっていても、お金さえあれば、相手に不自由はしないんだろうけど、女性の場合は、婆臭くなってから見合いをしようとしたら、相手はたぶん自分よりさらに年上になってしまう…。そうなると、見合いの条件に自分が当てはまる人の数も少なくなるということを忘れてはいけない。
と。
いうことは、女に生まれた私は損?ってことなのか…。
でもね。
もし、私が恋愛を許される家に生まれていたとしたら、こんなややこしいこと考えないで済んだだろうなと思う。
ま・いずれにせよ、これはどうも私の運命だったと思うしか仕方がないみたい。
残念だけどね。
こうして、私の記念すべき第一回の見合いの話しは終結した。

そして、その後もやはり、私の予想通りの展開になった。
母は本当に懲りてないらしく、最初の見合いの傷が癒えた頃、また、見合いの話しを私に持ってきた。
しかも、今度は何通もの見合いの写真を手にしていた。
「ゆき。この人なんかどう?。学歴もあって、しっかりした方(かた)だと思うんだけど…。」
居間にいた私にその写真を見せて母が言った。
そこで、母から渡された釣書を照らし合わせながら見ると、顔は今時のイケメン(格好いい人)。写真で見る限りではスタイルも悪くはなさそうだ。でも、母に言わせると一つだけ問題が…。
それは、現在本人が住んでいる住所だった。
「ゆきにはね。どうしても、結婚後も傍に住んでもらいたいのよ。母は一人っ子だし、おじいちゃんかおばあちゃんかが寝たきりになんかになったりしたら、母ひとりでは面倒が看きれないと思うのよ。」
それを聞いて、それは親の勝手だと思った私は即答した。
「えりだっているじゃない。なにも母と私だけが苦労することはないと思うな。」
「それがね。えりは外国に住みたいと希望しても別に何も思わないんだけどね。ゆきは長女だから、いずれはこの家を継いで貰わなくちゃいけないと思ってるのよ。だから、ゆきを遠くへは嫁に出せないのよ。」
ほら。
また、始まった。
母の言い訳。
恋愛はダメだの…。
見合いならいいだの…。
で。
今度は、何?。
 遠くに嫁には出せない!!。
一体、この両親は、私をどこまで苦しめたら気が済むの?。
このままでは、私、見合いを続けていても行き遅れになってしまうかもしれない…。
でも。
そうなったら、そうなったで、今度は誰の罪になるの?。
そうなっても、やはり、私の罪だと責められるんだろうな…。
「でも、ゆき。見合いをするのは自由だから、ゆきが会うつもりがあるのなら会ってきなさい。この人、本籍地は近所だから、もし都合が悪くなったら、仕事を辞めてこっちへ帰ってきてもらったらいいからね。」
ああぁ。
本当にこの母には敵というものが存在しないらしい。
そんなどこまでも強気な母に、私は敬服してしまった。

そして、私にとって二人目の見合い相手が決定した。
彼の歳は私より十才上。母の希望通りの次男。否農家。彼の現住所のことさえ目をつぶれば、後は申し分のない相手である。
私達ふたりの見合いの為に用意された席は、高級ホテルのレストランだった。
田舎生まれで、育ちの私にとって、そこは今まで縁のなかった場所。
だから、見合いが決まってから前日まで、何を着て行くかで、散々迷った末、自分では一番似合ってると思う、濃紺のスーツで出掛けることにした。もちろん、靴とバックはブランド物でね。    
約束の日曜日の午後。
いつものように私は母が運転する車で、指定された場所に到着した。
ホテルのロビーでは、仲人さんと先方さんが来ていて、私の到着を待っていたようだった。
そこで、私は急いで、そちらに向かい歩いた。
かなり接近してから、
「遅くなって、すみません。」
そう言って、私はそこで私を待っていた人に頭を下げて謝った。すると、
「私達も先程来ただけだから…。」
と、仲人さんに言われ、私はほっとした。
その後、案内されたのはレストランの丸いテーブルの予約席。
そこで、仲人さんをセンターに先方さんと私は向かい合わせの席についた。
そして、それぞれが飲み物の注文を済ませた後、お互いが自分で自己紹介をした。
私は見合いは二回目とあって、前回の時とは全く違ってリラックスして話しをしたり聞くことができた。
お茶を飲みながらの短い時間ではあったが、楽しい時間になった。

そして、私は、その方との交際が始まったのである。
しかし、相手の方は遠距離に住んでいて、会えるのは、月一回。こちらの実家に戻ってきた時に限られていた。しかも、今時のようにひとり一台携帯電話を持っている時代ではなかったし、有るのは家に一台の電話のみ。開発途中の静止画のテレビ電話はあったのだが、一台の単価が高く、持っている家は限られていた。
だから、そうなると、相手から電話がかかってきても、その電話の内容が家族の者には筒抜け状態になることから、とても、親密な話しなどできる気分にはなれないでいた。
でも、母にとっては、私が異性と交際するのはよほど嬉しいことだったのか、『時には、ゆきからも掛けてあげなさいよ。』と言って電話することを勧めてくれるぐらいだった。 だけど、やはりお互いにとって遠距離交際というのはどこかに無理があるらしく、見合いから、わずか二ヶ月で、またしても私は終結を迎えてしまった。
そんな私に、母の方は不満のようであったが、私の方は、また、晴れて自由の身になれたことの方がもの凄く嬉しかったりした。
その後、しばらくの間は、見合いをさせられずにすんだのだが、話しというのは成立し始めたら留まるところがないのか、以降の私の人生は見合い中心の生活になってしまった。 多い時で、月二回の見合い。
心に傷を受けるヒマさえ私にはなかったのだが…。
見合いをしていて気付いたのは、私が相手を気に入っても、相手には気に入ってはもらえないことがあること。そして、逆に、相手に気に入られても、私の方が好みのタイプのヒトではない場合があることだった。
こんな時、私に恋愛をする能力があったらな…。
でも…。
もし…。
私にそんな能力があったとしたら、今頃、この両親とは一緒に暮らしてはなかったかもしれないな…。
ただ…。
恋愛というのは…。
いつかは…。
冷めてしまうかもしれない…。
自分は冷めなかったとしても…。
相手に冷められてしまった時…。
泣いて相手を忘れることが出来るのか…。
ゲームのようにリセットすればそれでいいのか…。
人間って、たぶん、そんな単純な生き物ではないはず…。
少なくとも、私はそう思っている…。
 そう思いたいうちのひとりである。
だけど…。
私には、恋愛をする勇気がない…。
私の優しさが相手にとってはどの辺りが迷惑であるかという判断が、私には全くできないし、また、相手の優しさも私にとっては迷惑であることも考えたら、うかつに恋愛なんてできない…。
恋をしている時って盲目であるとはいうれけど、やはり私はいつでもどんな時でも冷静でありたいから、見合いをするより他はなかった。



 そして、私はそんな見合いを続けながらいつの間にか、二十二歳になっていた。
その間に、二十歳になった時、私は妹のえりとずっと前から行きたかった智彦くんの家に、ふたりだけで出掛けていた。
その時に味わった、誰に遠慮もいらず、また、文句も言われず、智彦くんとえりと私の三人で智彦くんの父所有の車に三人だけで乗り出掛けたドライブ。
ショッピング。
外食。
時間にも縛られず、その時に必要なお金の心配もいらず、本当に心から楽しい時間であった。
もし、これが、全くの他人であったなら、こんなに自由には、どちらの親もさせなかったことだろうと思う。
しかも、私達は周りから見れば不思議な三角関係。
男性ひとりに対して、女性がふたり。
おまけに、男性側がひどくブ男でそれについて歩いていた私達は美人なふたり組。
さらに私達ふたり姉妹の顔は似ても似つかないから、誰も姉妹だとかは想像もできない。
また、外出先で食事をすれば、それぞれが別の料理を注文。
それを三人でつつき合ったり…。
 でも、大抵は大食漢の智彦くんのお腹に料理が消えていくことが多かった。
そんなステキな三人組。
こんなにも楽しい時間。
いつまでも続けたい…。
近い将来、それぞれが結婚してしまっても、今度は、その配偶者も加わり、今よりも、もっと楽しい時間を共有できたら…。
どんなに楽しい人生だろう…。
でも、本当は…。
私…。
結婚なんか考えないで、この先もずっと、ステキな三人組でいられたら…。
本望なんだけどね…。
だけど…。
どんなことにも始まりがあって、終わりがある。
だから、こんな関係もいつかは終わりがやってきて…。
そう…。
こんな関係は、終わりにしなくちゃならない時が必ず、私達にもやってくる。
しかし…。
今は…。
こんなにも優しくて、静かな時間に私はどっぷりとつかっていたい…。
たとえ、こんな関係に終わりがくると解っていても…。
そして…。
そのいつか、終わりがやってきた時、私が冷静でいられるように…。
今は…。
その充電期として、私に時間を与えてほしい…。
それが、今の私の最大の悩みであり、願望…。
だけど…。
それは…。
たぶん…。
私の我が儘…。
きっと、私の想像もできないぐらいの早いスピードで、その別れはやってくるだろうと思う…。
でも…。
今は…。
智彦くんとの関係を大切にしたい…。
たとえ、お互いに恋愛感情がなかったとしても…。
私は、永遠に智彦くんの妹でありたい…。
えりと共に智彦くんにとって可愛い妹であれば、それでいい。
いつの間にか…。
私は、そんなことを考える大人になっていた。


そして、私は二十二歳。
智彦くんは二十七才になっていた。
当時、それまで、同居していた母方の祖父母は、今まで住んでいた家が私達姉妹も大きくなったことで手狭になり、増築も考えたのだが、都合良く近所に売りにだされていた土地が見つかり、そこに新たに家を建築。そこで祖父母ふたりだけの生活が始まっていた。しかし、私達家族は仲が悪くてそうなったわけではなかったから、このスープの冷めない距離にあった祖父母の家にはよく出入りしていた。
妹のえりの方は進学の為家を離れていたこともあり、いつの間にか家族は核家族になり、そして、私はひとり娘になっていた。
元々は六人で住んでいた家。
そのうちの三人が住まなくなると、家が逆に広くなりすぎで、冬は特に暖房がなければ住めない有様だった。
そんな生活にも慣れた頃。
智彦くんは、自らの母方の高齢の祖母とその祖母を迎えに行った私の母方の祖母 (つまり、この高齢の祖母からは、私のお婆ちゃんは娘にあたるのである。)と三人である日突然、やってきた。
その数日前、祖母からは、
「曾婆を迎えに行って来る。」
とは、聞かされていたので、そのうち来ることは知ってはいたのだが、まさか、智彦くんが…。
しかも、今回は智彦くんの父所有の車を彼が運転。
ここまで、どんなに急いでも、当時四国は高速道路網の整備もよくなかったから、休憩を入れて五、六時間はたっぷりと掛かる道のり。
そして、その智彦くんは、曾婆と私のお婆ちゃんを祖父母の家の方に先に降ろした後、私達核家族が住んでいる家の方になんの前触れもなくやってきたのだった。
その時の私ときたら…。
仕事を終えて、帰宅したばかり。
しかも、普段着になろうとその着替えの最中。
で。
智彦くんが来たことに私が気付いたのは…。
そう。
車のエンジン音だった。
父がいつも帰宅するのは、もう少し後の時間のはずなのに…。
何でこんな時間に家の車庫で車のエンジン音がするのかと不思議に思い、私はつい、着替えながら、自分の部屋の窓から車庫を見てしまったのである。
その時私が使用していた部屋は、一階八畳間。
もし、カーテンがなかったら、車庫が丸見えという場所。
その時は運良くレースのカーテンが閉まっていたから、車庫入れ中の智彦くんと目を合わさないですんだのだが、なかったらどうなっていたことか…。
それでも、やはり、慌てに慌てた。
そうなると、智彦くんが車の車庫入れを終えて、私の家に入ってしまわないうちに着替えを終えなければならない。
しかし、私は、今着替えようとしている服を着たらいいのか 、それとも、今まで着ていた服を着ればいいのか、一瞬考えてしまった。
なにしろこれから、着替えようとしていたのはトレーナーとジーパン姿。
今まで着ていたのは、スカート姿の私。
彼女として連れ歩きたいヒトって、やはりスカート姿なのかも…?。
と、思った私は、今まで着ていた物にもう一度腕を通したり、はいたりの大忙し。
それでも、どーにか、智彦くんが家に入ってくるのとほぼ同時に、なんとか私も服を着終えることができた。
「こんにちは。」
「あら。いらっしゃい。よく来たわね。」
玄関で母の智彦くんを迎える声がした。
そうなると、私も早くその場所に移動して会話に入らなければ…。
私はスカートのファスナーを上げ終えると、急いで玄関の方にいった。
「ねえ。今日、仕事は?。休みだったりはしないよね?。」
 私の質問に、
 「あ。仕事は今日休んだ。」
智彦くんの単純で分かりやすい返事。後は智彦くんと私のふたりの会話。
「それで、いつ、帰るの?。」
「明日中には帰る。」
「それって、大変じゃない?。もっと、ゆっくりして帰ればいいのに…。」
「そういうわけにはいかないからな。僕はここへふたりを送り届けにきただけだから。」 「それにしても、ここまで来るのも大変だったのに、帰るときはひとりだなんて…、寂しくない?。」
「時には僕だってひとりになりたいこともある。」
「それでも、その移動距離って長くない?。」
「鼻歌でも歌いながら帰るよ。」
「でも、家に帰り着くまで歌っていたら、喉が大変なことになっているかも…。」
「そんなことまで、心配してくれるんかいな。だったら、ゆきちゃんがついて来る?。」 「あら。そういうわけにはいかないわよ。私だって明日は金曜だから、仕事休めなーい。」 「だったら、お互い諦めるしかないな。遊ぶのはまた今度ってことで。次は僕の方においでよ。いつでも歓迎するから。その時は、たぶん仕事休んで付き合ってやるよ。」
「えー。本当に付き合ってくれるの?。でも、仕事休んでまで付き合ってもらうの悪いような…。」
そんな会話をしていた時、台所の方から母の声がした。
「あなた達、いつまでも玄関先でしゃべらなくても、こっちに来なさいよ。」
そうでした。私、智彦くんと話し始めたら、時間がもったいなくて、つい、移動することさえ忘れてしまうぐらい楽しい時間になっていたのだった。
「智くん、お婆ちゃん達今夜の夕食どうするか、何か言ってなかった?。それとも、智くんだけが、ここで食事して、泊まるのは、あっちにするの?。」
私の母にそう聞かれて、智彦くん何か思い出したようだった。
「僕、ゆきちゃんを食事に誘いに来たんだった。ゆきちゃんのお婆ちゃんが、『これから、ここにいるみんなで食事に行くから、なんだったら、ゆきも誘っておいでって。』言われていたんだ。」
そんなことを急に言われるとは、私は想像もしていなかったのだが、母の方は、
「丁度、良かったじゃない。ゆき行って来るといいわ。」
と、理解のある返事に、私の方が驚いた。そこで、
「母はどうするの?。」
と、聞けば、
「母は父を待ってふたりで食事するからいいわよ。」
と、実にさっぱりとした返事。
「智くん、お婆ちゃん達、足はどうするって言ってた?。」
「婆達はここから、タクシーで行くから、ゆきちゃんと後からおいでって、言ってたけど。」
 「御店の名前は?。なんて?。」
「ゆきちゃんに言ったら場所は知ってるって。」
「あら。そう。だったら、今から行かなくちゃ。ゆき支度して、行きなさい。」
そう言う母の言葉に後押しされながら、私は、これが完全の他人相手であったなら、こんなにスムーズに事は運ばないだろうなと思った。
しかも、時は夕暮れから夜になる。
私の場合、相手が同性であったとしても、こんなに急に外出許可は下りない。
いつも何日か前より、親に昼間の時間、友達と外出の約束を報告していても、いつ帰るだの、どこに行くのだの、誰が迎えにきてくれるのか、誰と行くのか、費用はいくらかかるのか 等々。聞かれだしたら留まるところなしで、質問責めに遭い、こんなに一度にたくさんのことを聞かれるのなら、外出なんかしない方がよっぽどマシだと、今まで何度そう思いながら外出したことか…。
それに比べたら、智彦くんって、私にとっては本当に有り難い人物だった。なにしろ、智彦くんと会っている時間。どちらの親もその行動には無関心なところがあった。  
 だから、それは、もしかしたら、智彦くんも私と同じ事がいえているのかも?しれないなと私は思った。
どうも、私の親にとって智彦くんはケタ外れに信用度の高い異性ということらしい。
たぶん、どちらの親達も私達ふたりには恋愛感情は成立しないと高を括っているところはあるのだろうと思った。
「それより、智くん、今晩はどこに泊まるつもり?。」
私の母が聞くと、
「僕は、今日ここに泊めてほしいけど…。」
 智彦くんにしては、どうも遠慮がちな返事。
「それは、別にかまわないけど、御婆ちゃんにはそう言ってある?。」
「ここへ来る前にそう言っといた。」
「そうだったら、布団の準備しとくから。ほら。ふたりとも早く行かないと食べ外れてしまうわよ。」
 そうして、私達ふたりは母に追い立てられるようにして家を出ることになった。
 私は玄関でお気に入りのヒールの高い靴を履きながら、いつもこんな調子で外出させてくれたら、文句なんてないんだけどな…。
 なんてことを考えていた。
 本当にこの先、こんなふうに家を出ることなんかそうそうないだろうなと思うと何故か切なくなってきた。 
 ああぁ。
 私はもしかすると一生、箱入り娘のままの人生かもしれないな…。
 玄関ドアを閉めながら私はひとり複雑な心境に浸っていた。
「今日はここの席に乗るのかいな。」
智彦くんの運転する車に乗り込んだ時、そう言われて私はハッとした。
そう。
いつもならこの席は妹のえりが座る助手席。
そして、私はいつも後ろの席に座ることが多かったのだ。
「その言い方って、私が座ったら悪いってことよね。いつもなら、えりがいるから、私は後ろの席で十分だけど、ふたりしか乗らないのに、ここの席が空いているのは、不自然だと思ったからそうしたのに…。悪かったわね。」
私が嫌味たっぷりの返事をしたら、
「そんな話しをするから、また、ややこしくなるんやないかいな。『そうよ。』とでも言えば、少しは可愛いのに…。」
ほら。
 また。
 始まった。
智彦くんの私への攻撃。
どうして、会えばいつも私に絡んでくるの?
妹のえりには、そんなこと言って苛めたりしないというか…。そう言っているのを私は未だ嘗て見たことがないというか…。
それって、もしかして、えりは完全に妹としてとしか見ていないってことなの?。
それとも、本当は、私の方が完全な妹扱いになっているってことなの?。
ま。
そんなこと真剣に考えたって、どのみち、答えはもう出ているんだけどね。
だけど、チャンスがあれば、一度は聞いてみたい智彦くんの本音。
でも。
本当は、そんなこと聞くものではないよね…。
聞いてどうにかなるものでもないしね。
たとえ、聞いてみたところで、たぶん今みたいにちゃかされてしまう確率の方が高いような気がするんだよね。
それに、本音を聞いて、逆に悲しくなってしまうのも辛いしね。
聞いて後悔するよりも、想像して楽しむ手もあることだし…。
そうね。
私は生涯において、智彦くんとはこんな穏やかな関係であれば、他のことは望まない。 望んだりなんかしたら、たぶん、罰が当たる?。
しかし…。
こんな関係って、いつまで続けられるの?。
私達ふたりがこんな関係を続けられるのはいつまでが許されているんだろう…。
やはり、お互いが別の相手と結婚したら、そこでおしまいってことなんだろうか…。
でも…。
それって、なにか切なくない?…。
こんなに仲良く?なっておきながら、尻切れ蜻蛉のような結末なんて…。
すくなくとも私はそんな結末は望んではないのだけどね。
神様…。
お願い…。
もし、妹のえりを含む私達三人の未来が悲しい結末を迎えるのであれば、どうかこのまま時間を止めて…。
それが、できないのであれば、これまで三人が重ねてきた時間のことを三人の記憶からを消してほしい…。
そうすれば…。
今だったら、まだ間に合う。
誰も傷つかないですむ。
そんな祈りにも似たようなことを考えていた時だった。
「ここから、先はどっちだった?。」
不意に智彦くんに聞かれ、私は現実に引き戻された。
「次の信号を左。しばらく行くと、お兄ちゃんの記憶が戻ってくると思うから、そこの店よ。」
「そんな店あったか?。」
「あったわよ。ここの通りはお兄ちゃんが前に来てた時に、私の婆ちゃんと爺ちゃんの軽トラ(トラック)にふたりで乗ってよく運転してた通りなのに、もう、忘れちゃったの?。」
「忘れたわけではないけど、夜は外出しなかったからな。それに、夜って見えにくいだろ。」
「なに、寝ぼけたこと言ってるのよ。元々、ここに住んでいる私よりこの辺の道に詳しいくせに…。」
「それは、昼間の話しだろ。」
「昼間だとか、夜だとか、言い訳ばかり並べないのよ。そんなことばかり言ってたら、いまに彼女に振られちゃうからね。」
「僕はいつ彼女の話をした?。」
「前に来てた時。えりの前で堂々と彼女の話をして、えりを泣かせてたじゃないの。そんなことも忘れた?。」
「その時、ゆきちゃんも傍にいた?。」
「あたりまえじゃない。あんなに派手にえりいじめてたら、聞こうとしなくても耳に入ってくるわよ。」
「別に僕はえりちゃんをいじめてはないんだけど。」
「また、そう言って、言い訳ばかり並べてたら、本当に彼女に振られちゃうからね。」
「ゆきちゃんって手厳しかったんだね。」
「それは、お兄ちゃんがだらしがないからそう思うだけよ。あたしはいたって普通人間です!。」
「ゆきちゃんが普通人間だとは思わなかったな。」
「だったら、なに?。お兄ちゃんの方が普通ってことなの?。」
「普通っていうよりも、たぶん僕の方が何事においても、ゆきちゃんより数段上かな?。」 「それは、勉強に関しては負けるけど、他のことにおいてはね、私の方が出来がいいに決まってるじゃない。」
私がそう断言した時だった。
「ほら。ここの店だったら、着いたよ。」
智彦くんは車を駐車場に乗れ入れた。
車から降りた私達が店に入ると、私の祖父母と私にとっては曾婆ちゃんで、智彦くんにとってはお婆ちゃんの三人がもう、私達ふたりの到着を出入り口のイスに座って待ってたようだった。
「もう、料理は頼んであるからね。」
祖母にそう言われて、私はこの先智彦くんとは一緒に食事をするチャンスはもう何度もはないだろうなと思った。
そんな私達五人が通された部屋は人数が中途半端であったことから、店の奥にある八畳の和室だった。
部屋の中央のテーブルを囲むようにして置いてあった六枚の座布団。
それを見て、一瞬、私は何処に座ろうかと迷ったのだが、遠慮なく智彦くんの左側の座布団に座った。
私達の前に注文の料理が運ばれてくる間も、祖父母と私にとっては曾婆ちゃんの三人は、三人で話しに花を咲かせていた。そして、それに対して、智彦くんと私も相変わらずの調子で喋っていた。
すると、曾婆ちゃんに、
「長生きしてたら、孫と曾孫との年齢差がなくなるなんて考えてなかったね。」
と、言われた。
そうだった。
この曾婆ちゃんにとっては、私の祖母は長女であり、智彦くんは孫、そして、私は曾孫なのだ。
だから…。
もしも…。
もしもだよ…。
智彦くんと私が結婚して、その間に子供が誕生した時。この曾婆ちゃんがまだ健在していたとしたら…。
誕生した子は、曾孫なの?。それとも、玄孫になっちゃうの?。
法律上は、智彦くんと私が結婚しても何の問題もないんだけどね…。
たぶん、そんな事はあり得ない。
どうせ、智彦くんにとって、私はおバカな妹ぐらいにしか思われてないと思ってるからね…。
それに…。
智彦くんは、有瀬家の跡取り息子。しかも一人っ子ときてる。
そして、私は美沢家の長女。二つ下の妹がいたって、私は嫁には出してはくれそうもない存在…。
こんなふたりが結婚したら、それこそ、後がどうなるか、私の頭では想像もつかない。 でも…。
一つだけ想像出来るのは…。
智彦くんと私の間に誕生した子が、男女どちらかの一人っ子であり、突然の不幸で、智彦くんか、私のどちらかが急死した場合。その子の親権はどちらになるかで、お互いの両親は一歩も譲り合ったりはしないだろう…。
そうなると、誕生した子までもが不幸だ…。
だから…。
私は智彦くんとは永遠にこんな穏やかな関係でいたい…。
誰に遠慮もいらず、お互い会いたくなったら、自由に会いに行き来する。
それが、智彦くんにとっても、私にとっても最良の方法。
それに…。
 私…。
智彦くんにどんな配偶者が現れるのか…。
実は、とっても楽しみにしていることなの…。
智彦くんのお嫁さんになるヒトは、私にとっても『頼れるお姉さま』であってほしいのよ。
「さあさあ。食事がきたから、食べましょうや。」
祖母の言葉を合図に、私達五人の宴会が始まった。
「智くん、遠慮しないでね。智くん、ビールでも頼もうか?。」
祖母の問いかけに、
「僕は、車に乗ってきたから、叔母ちゃん遠慮しとくよ。」
「おや。そうだったね。ゆきの家の方に帰ったら、ゆきのおっかさん(母)に言って、飲んだらいいよ。」
と、そう言ったので、
「お婆ちゃんって、最近、もの覚えがいいんだか、悪いんだか、なのよ。」
と、私が答えたら、
「これも、年のせいだと思ってくれてたらいい。」
と、言って祖母は小さく笑った。
私は目の前に並ぶひとりひとり別々の豪華なお膳の料理に箸をつけながら、こんな楽しい時間…。
私にはあとどれくらい残されているんだろうかと思った。
楽しい時間を過ごす時のスピードって、嫌な時間の何倍もの早さで過ぎてしまう。
しかも…。
今回、智彦くんと過ごす時間って今宵限りの短い時間。
 『 また、いつでも、会えるよ。』
と、智彦くんは簡単そうに言うけど…。
今の私にはそうは思え無い…。
だって。
どう、考えたって、智彦くんの住む町と私の住んでいる町の間の距離を考えたら、そう簡単には会えない距離だからね。
次に会う約束はできそうもないけど、会っている時間は誰に遠慮もいらないという奇妙な関係。
今だって、こうして、食事をしていて、私が食べ残した料理を祖父母や私にとっては曾婆ちゃんの前で智彦くんが食べていたとしても、何も注意されることもない。
そう。
私達は同じ一族だからね。
これが、結婚前で、完全な他人同士であったとしたら、たぶん、許されはしないと思う。 こんなにも傍にいて…。
親密であっても…。
私達ふたりは恋愛感情を成立させてはいけない関係だなんて…。
 これが運命なら、私はなんてとんでもないところに生をうけてしまったのだろう…。
それとも、今、智彦くんも私と同じことを考えているとしたら…。
罪なのは一体誰?。
私…?。
智彦くん…?。
それとも、私達を引き合わせた私の祖母なの?。
こんなことの答えなんて出ない…。
答えなんてそう簡単に出せるはずがないじゃない!。
たぶん、答えは永遠に出ない…。
悲しいけれど、この難問をこれから一生かかって考えていくんだろうなと思う。
そこで、そうして過ごす時間はなんて重いんだろうかと思ってみる。
同じ時間を過ごすのなら、日々楽しく過ごす方がいいのに…。
誰か…。
 私に…。
楽しかった時間に決着がつく方法を教えてほしい…。
今なら、まだ、間に合う。
誰の心も傷つけ遭わないですむ。
だけど、もしかしたら、もう取り返しのつかないことになっているとしたら…。
その罪は、私?。
智彦くん?。
 考えれば考える程、悲しくなってくる。
そんなことを真剣に考えながら私は食事をしていると、
 「食べ残すのは、もったいないから、帰りにパックでも貰って、詰めて帰るといいよ。」と、祖母。
そこで、一同そうすることにしたのだが、ふと、智彦くんが食べていたお膳を見ると、さすが成人男性。料理は殆ど残っていない状態。食事をするのも早ければ、残ってもないなんて…。
 おまけに、私が冗談で、
 「私の分も食べる?。」
と、残っている料理を指さして言うと、
 「ああぁ。食べるよ。」
の返事。
ま・別にいいけどね。
この時、既に少し肥満気味の智彦くん。
まだいくら若いからといっても、油断大敵。
身体のことを考えたら、少し控えめにした方がいいと思った私は、
 「もう、止めていた方が…。」
と、言ったのにもかかわらず、
「美味しく食べられる間に、食べておかないとな。」
と、言ってまだ、私のお膳に箸をつけていた。
 そんな私達ふたりの様子をよそに、祖母は仲居さんを呼ぶと、パックを持ってきて貰うように頼んでいた。
そして、そのパックに詰められそうな物を入れると、祖母は、
 「婆達は、これから、ここのお金を払ってタクシーで帰るから、ゆき達も早く帰りなさいよ。」
と、だけ言い残し、店の電話でタクシーを呼ぶと店から三人とも出て行ってしまった。
後に残されたのは、私達ふたり。
これが、全くの他人で男女の仲だとしたら、そうは問屋が卸さないことになっていただろうと思った。
そう思いながら、今度は智彦くんの食べ残した私のお膳の料理を私は、黙ってパックに詰めた。
そんな私達は、今、他人の目から見ると一体どんな関係に見えるんだろうかと、ふと、想像してみた。
お互い顔は似てないから、兄妹ではないし…。
確率として高いのは、恋人同士ってことになりそう?。
しかし、私達は恋人同士でも、また、兄妹でもない。
不思議な関係。
それでいて、仲はいい。
こんな複雑な関係。
他人に説明しても、たぶん、理解なんてされないし…。できそうにないことだと思う。
なにしろ、当事者どうしの私達でさえ、よく分からない関係だからね。
 「そしたら、行こか。」
智彦くんは私が料理をパックに詰めてしまうのを待ってから、声を掛けてくれた。
それって、やはり、智彦くんの優しさなんだろうなと思う。
こんな優しさに、たとえ短い時間であってもどっぷりとつかっていたら、他人の異性なんてそれこそ無関心になりそう…。
本当はそういうわけにはいかないんだけどね。
でも…。
 今だけは… 。
こんな優しさにどっぷりとつかっていたい…。
それは、私の我が儘だとわかっていても…。
その後、私達ふたりが店を出ると、祖父母達三人の姿はなかったので、たぶん家に帰ったんだろうなと思った。
そこで、私はまた、智彦くんの運転する車に乗り込んだ。
 助手席のシートベルトを締めていると、
「ゆきちゃん、これから、ケーキ屋に寄ってかない?。まだ、店開いてるところあると思うんだけど、どう?。」
と、きた。
 この甘い物の誘惑にさえ負けなければ智彦くんも理想のスタイルを維持できていたのかも?だけど、本当に智彦くんと甘い物の関係って切っても切れない縁なんだと感心するやら…。呆れるやら…。
で。
ここで、反論しようものなら『甘い物は別腹なんだよ。』って、言うに決まってるから、私は、
 「そうね。寄ってもいいわよ。」
と、言うより他はなかった。
 もし、『行かない。』なんて言ったりしたら、たぶんココに置き去りにされそう…。
でも、そんな展開もまた楽しかな?とも思ってみる。
 「前にここに来てた時、美味しいケーキだったから、向こう(智彦くんの家がある町)に帰って探してはみたんだけど、この辺にしかないみたいで。また、ここへ来るときがあったら食べたいと思ってたんだ。」
今の智彦くんは色気より食い気ってことらしい…。
そんな智彦くんを彼女はどう思っているのか、できれば、その彼女とやらに会って聞いてみたくなった。
 「そんなに食べてばかりいて、大丈夫なの?。太っていたら、彼女に嫌われないの?。」 「大丈夫だよ。今より太りはしないと思ってる。」
智彦くんは車にエンジンを掛けた。そして、車を駐車場から出すと、私に道も聞かずに走り出した。それも、私の自宅とは逆方向。一体何処まで行くのか…、連れて行かれるのか…。少し不安にはなったのだが、暫くは智彦くんに任せることにして、私は黙っていた。すると、十分ばかり走ると、どうも、智彦くん好みのケーキ屋さんが見つかったみたいだった。先程夕食をとった料亭への地理はないとかなんとか言っておきながら 、自分に関心のあることは記憶に残ってみたいだった。
 「ここのケーキ屋だったんだ。降りる?。」
智彦くんはケーキ屋の駐車場に車を止めながら聞いてきたから、
 「降りるわよ。」
と、返事をして私も車から降りた。
 田舎の田んぼのど真ん中に建つ一軒の小さなケーキ屋。
その明かりは、周辺に障害物の建物が何もないから、よく考えたら、この辺の地理がなくても来られそうであった 。
店に入ると、お客は、私達ふたりだけ。
それはそうよね。
どう考えたって、夜こんな時間にケーキを買いに来るお客なんてそうそうはいないはず…。
でもね。
これが、智彦くんの住んでいる町だとしたら、何人かのお客様やカップルなんかが目につくんだろうけどね。
ここは、田舎だから、逆に目立ってしまう。
 「何にするの?。」
智彦くんに不意に聞かれ、
 「お兄ちゃんが食べると言ったから来たのに、私なんかに聞かなくても、お兄ちゃん好みでいいわよ。」
私が冷たい返事をすると、
 「そういわけにはいかないだろうから…。七個あったら足りるな。」
なんてことを智彦くんは独り言のように唱えると、ショーウインドーのケースに入ってるケーキを指さして、注文していた。
それらのケーキ代の会計は、もちろん智彦くんの財布から支払われた。
 その様子の一部始終を傍で黙って見ていた私。
いつもは必ずえりも一緒で、ステキな三人組での行動が多く、智彦くんとふたりだけの行動はこれまで皆無だった。
こんなふたりだけの行動に今まで、憧れがなかったといえば、もしかするとそれは嘘になるかもしれない…。
しかし、憧れは憧れとしてとっておくのも人生かなとも思ってたし、こんなに突然、ふたりになるチャンスが巡ってくるとは想像もしていなかったから、、逆にどうしていいのか分からなくなりそう…。
買い物を終えた智彦くんの車に再び乗り込みながら、私はそんなことを考えていた。
 「ほら。これ。」
車のシートベルトを締め終えた私に、智彦くんからケーキの入った箱を渡された。
 「持って帰る人の方が責任重大なんだからな。もし、帰ってぐちゃぐちゃになってたら、ゆきちゃんが責任もってその壊れていたケーキは食べてもらうんだからな。」
 半ば強制的な智彦くんの言葉に、私も言って返した。
 「あら、お兄ちゃんが食べるんじゃなかったの?。」
 「誰もひとりで食べるとは言ってないだろうに。」
 「そうよね。ひとりで食べるにしては数が多いとは思ったけどね。で、これは、帰ったら食べるの?。」
 「帰ってからでもいいし、明日の朝でもいいよ。」
 「夜になんか食べたら、太らない?。」
 「そんなに簡単に太るかよ。」
 「なんなら、ゆきちゃんで試してみるとか…。」
 「どうして、私で試すのよ。言い出した人が試してみたら?。」
 「ゆきちゃんがそこまで言うのなら、明日の朝にするよ。でもな、たぶん残ると思うから、後は適当に食べといて。」
 「やっぱり、最後はそう言うと思ったわよ。でも、食べたかったんだから、心おきなく食べて帰った方が…。いくらなんでも、京都までは持って帰れないとは思うんだけど、それとも、持って帰るつもりだったとか…。」
 「そんなわけないだろ。ケーキはみんなで食べるのが美味しいと相場が決まってるからな。」
 「ひとりで食べるケーキって、そんなに不味く感じるの?。」
 「それはな。雰囲気にもよるし、店の味にもよるよ。」
 「私は、お兄ちゃんみたいに甘い物三昧な生活はしてないからね。」
 「近いうちに、また、こっちに遊びに来いよ。甘い物巡りに連れてってやるから。」
 「なに、それって、いかにも太りそう。」
 「そんなに急には太らないから。」
 「だったら、お兄ちゃんはどうしてそんな体型になったのよ。」
 「気付いたらそうなっていた。」
 「その気付くの、遅くない?。普通はもっと早く気付きそうなものだけど…。やっぱり、自覚のなさってことなのね。」
 「まあな。そういうこともある。」
 「『そういうこともある。』って開き直ってたら、今よりもさらに太って、そのうち彼女に愛想を尽かされるわよ。」
 「そんなこと心配してくれなくてもいいよ。」
 「だって、お兄ちゃんがどんな人と付き合ってるのか興味あるもの。」
 「別れたりなんかしないから、大丈夫。」
 「だったら、私がそっちに遊びに行った時、彼女に会わせてくれる?。」
 「それは、まずいかもな。」
 「どうして、まずいのよ?。」
 「相手にも都合ってものがあるだろ。」
 「そんなぁー。何日も付き合ってもらうわけじゃないんだから、一日ぐらいなんとかならないの?。」
 「まっ。考えとくよ。」
 「私がそっちに遊びに行ってから、彼女に連絡したら会えなくなるじゃない。」
 「本当はそれが、目当てだったりしてな。」
 「どうして、いつも、肝心な話しになったら、はぐらかすのよ。そんな性格してたら、そのうち、彼女に嫌われるからね。」
 「ゆきちゃんにまで、心配されなくても大丈夫だからさ。」
智彦くんとそんな会話をやりとりしているうちに、いつの間にか私の家に帰り着いていた。
 「ほら。ケーキ落っことさないように行けよ。」
 私が助手席のドアを開けて車から降りようとしていたら、智彦くんに言われた。
 「どうして、あたしじゃなくてケーキが心配なのよ?。」
 「そんなこと聞くなよ。僕が買ったケーキだからな。心配するのはあたり前だろ。」
 「だったら、お兄ちゃんが持って降りればいいでしょう。あたしは親切でやってるんだからね。」
 「僕は車を入れなくちゃならないだろ。そこで、ごちゃごちゃ言ってないで早く降りてくれよ。」
ごちゃごちゃ言ってるのはどっちよ!。
本当に、もう、頭に来ちゃう!。
そんなことを思いながら、私は車のドアを閉めた。
 「ただいまー。」
智彦くんが車庫に車を入れている間に、私は先にケーキの箱を持って家に入った。
 「お帰り。早かったわね。」
母はリビングから玄関に出迎えてくれた。
私ひとりがこんな時間に帰宅することはないけどね。それにしても、玄関まで出て来るとは思っても無いことだった。
 それも、これが完全の他人とのデートだったりしたら、こうもすんなりと家には入れてはもらえなかったと思う。
きっといつものように質問責めに遭い、『何処に行ってたの?。何を食べてきたの?。相手の方にちゃんとお礼を言ったの?。次に会うのはいつ?。』等々。そのひとつひとつ、母の納得のいくように説明しなければならない煩わしさを思えば、智彦くんとの外出は私にとっては本当に有り難いものだった。
 「お婆ちゃん達はどうしたの?。」
 「料亭で別れた。私達、ケーキ屋に寄り道してたから、たぶん、もう、帰ってると思う。これは、智彦くんから。」
そう言って、ケーキの入った箱を母に渡した時だった。
玄関のドアが開いて、智彦くんが旅行カバンを片手に入ってきた。
 「お帰り。布団はいつもの部屋に敷いてあるから。それと、ケーキのお土産ありがとう。」 母はなんだか嬉しそうだった。
 「あ。ゆき。ゆきの布団は二階に敷いたから、今夜は二階で寝なさい。」
────そうだった。
現在、私が住んでいる家の構造というより、この部屋割りというのが、他の家よりかなり変わっていたのだった。
以前、母方の祖父母を含む六人家族だった時、祖父母は座敷横の襖一枚隣の部屋を使用していた。そして、来客はその座敷で寝泊まりしていたものだから、当然、お互いの話し声は筒抜け状態。でも、現在は、妹も家を出ていたから、私は三人家族になってからは、来客も泊まり客もそんなに来なくなっていた為、以前は、祖父母の部屋だったところを私が使用していたのだった。しかも、結婚前の私が下の階に、両親は二階で寝ていた。
普通は二階に娘が、階下に両親がというのが一般的なんだろうけど、私は両親の信用度が厚かったためにそうなっていたのだった。
なので、今夜、私がそこの部屋で就寝してしまうと、襖一枚隣の部屋に智彦くんが寝るということになってしまうのだった。
そんなことになっても、私達は同じ血を受け継ぐ者同士。しかも、お互い子供の頃からよく知る者。
たとえ、それぞれが男性に、女性に成長していたとしても、襲ったり、襲われたりなんてことは論外。
 でも、私の両親にとっては、納得がいかなかったのかもしれない…。
 特に、母親は、万一、何かが起きた時に困るし、とりかえしがつかなくなる前に手を打っておこうと思ったのかもしれない。
その後も、私達ふたりは、リビングで向かい合わせにテーブルを囲み座ると話し込んだ。
友達のこと。
お菓子やパンのこと。
都会の店のこと。
智彦くんの話はどこまでも尽きず、それでいて、飽きさせない。
それは天性なのか…。
それとも、私に話すからそうなのか…。
私には今ひとつ分からないでいた。
 「あなた達も、喋ってばかりいないで、そろそろ、風呂に入りなさいよ。」
 リビングのドアも開けず、部屋の外の廊下から母の声がした。そこで、
 「そういうことらしいから、お兄ちゃんお先にどうぞ。私は後で入るから。」
と、言うと、智彦くんは素直に腰を上げた。
 それから暫くの間、智彦くんは持参していた旅行カバンを開けて、なにやらごそごそしていると思ったら、
 「ほい、これ。渡すの忘れるところやった。」
そう言って、私に向かって投げてきたマッチ箱サイズの箱。
受け取ってその箱に描かれてある絵を見て、私は恥ずかしいやら…、驚くやら…。
 「何が入っていると思う?。」
 聞かれても、私は返事が出来ない…。
 「まぁ。僕が風呂に入ってる間に開けてみたらいいよ。それは、ゆきちゃんにあげるから。僕も店で最初見たときは、何か分からんかって、一緒に行ってた友達と『なんやそれは…。』と言ってしもうたんや。で、分かってからは、それぞれが話しのネタに買おうかということになって、買って帰ったわけやわ。えりちゃんの分も買うてあるさかいに、後で、渡したってくれる?。」
と、言い終えると、私に同じサイズの箱の二個めを投げてきた。
そして、智彦くんは風呂へ入る為の物を持つと、風呂へと移動した。
リビングには、私ひとり。
そのテーブルには智彦くんがくれた謎の箱が二つ…。
それをよく見ると、『一度、お試しください。使用に関しては副作用はありません。』と、書かれてある。そして、その絵はどうも女性用の下着が入っているらしい。
そこで、私は少しドキドキしながら、その箱を開けて見た。
すると、そのマッチ箱サイズの箱の中には、小さく丁寧にたたまれたハンカチのような物が一個入っていた。触ってみると、それは薄い紙で出来ていた。そこで、広げてみて、私は言葉を無くした…。
その箱には、絵にあるとおり本当に女性用の下着が一枚入っていたのだった…。
しかも、その全体はすけすけ。
だけど、よく見ると、ウエストや足の周りには細くてもしっかりゴムが縫いつけてあった。
 その柄は白地に黄色の水玉模様。
しかし、全体が透けて見えるのだから、その柄はそんなにお役には立たないように思えた。
そんな恥ずかしい物を見つめながら、こんな物何処に売っていて、何のお役に立つのだろうかととても不思議に思った。
でも、そのままテーブルに広げたままもなんだから、私は元のようにたたむと箱にしまっておいた。
それから、私は自分の部屋にいって、これから風呂に入るための準備をすることにした。
いつもなら、三人家族だし、この時間はそろそろ両親は眠りにつく頃なので、私が風呂上がり後何も身に付けないで階下の部屋をうろついても何も支障はないのだけれど、今夜だけはそういうわけにはいかないだろうから…。仕方なく準備をすることにしたのだった。
そうよね…。
もし、智彦くんと私が本当の兄妹だったとしたら、いくら兄妹だとはいえ、もう、裸で家の中をうろついてはいけない年齢にお互い達しているんだよね…。
ましてや、私達ふたりは同じ一族だとはいえ、男性と女性。
これが、どちらかの同性同士であったなら、一緒に風呂に入ることも可能なんだろうけど…。
悲しいかな…。
私達ふたりはお互い異性…。
でも…。
もしかすると…。
私達はお互い異性であったからこそ、こんなにも仲が良かったのかもしれない…。
だけど、こんな不思議な関係、一体いつまで続けられるの…。続くの…?。
こんな関係にきちんと終わりがくるの…。終わりにする自信はあるの…?。
それが、今の私にとって最大の悩みであった。
その後、暫くして、風呂へ入る為の荷物を抱え私がリビングに戻ると、智彦くんは風呂から出ていた。
 「なんだ。もう、出ていたの。だったら、一言、言ってくれればいいのに…。いつもの持ってきたらいいのよね…。」
と、言って、私はそのまま先に脱衣場へ移動。棚に抱えていた荷物を置くと、台所にいき、いつもの物をお盆にのせて、再びリビングに戻った。
 「はい、どうぞ、いつもの。セルフサービスだから、後は自由にどうぞ。私はお風呂に入ってくるから、その間テレビでもつけて見ていたら…。これ、新聞、リモコン。」
そう言いながら、私は智彦くんが座っている傍のテーブルに置いた。
そして、私はひとり風呂場へと移動。 
 着ていた服を脱ぎながらふと、こんなことを考えた…。
 いつもの…物。
そう───── 。
私の家には智彦くん専用のものがいくつか置いてある。
歯ブラシ、マグカップ、お茶碗、箸、パジャマ、そして、私の父が智彦くんにすすめたウィスキー等々。それは、彼がいつ私の家に遊びに来ても不自由のないようにと、私の母や祖母が準備していたのだった。
そのいつもの物が使われなくなる日…。
それは、もう何年も過ぎないうちにやってくることだろう…。
そして、今までの楽しかった時間が過去に…、思い出になってしまう日…。
こんなにいつまでも現在進行形ではいけないこと…。
そんなこと…。
 本当は私…。
何故だかよく分からないのだが、智彦くんに初めてあったあの日…。
智彦くん十七才、私が十二才だった時に既に気付いていた。
気付いてはいても、それを認めたくはなかった…。
もしかして…。
これが、人を恋する気持ち…?。
人を愛しく思う気持ち…?。
だけど、それは、私の片思い…。
今の私にできることは、智彦くんにとって単純で可愛い妹であること…。
他には何も望まない…。
たとえ、望めたとしても、望んではいけないこと…。
それぐらい、いくらおバカな私にでも容易に理解できる。
だだ、智彦くんが私と同じ考えでは無かった時、それらの言動を否定できる自信はない…。
でも…。
きっと…。
そんなことは有るはずないわよね…。
私の取り越し苦労ってやつよね…。
そうでなくっちゃ、この先の人生楽しくないからね。
そんな考えに達したところで、私は湯船から立ち上がった。
身体や顔を洗い、シャンプーもして、もう一度湯船に浸かってから、シャワーを浴び、身体をタオルで拭いて、風呂から出た。
そして、もう一度バスタオルで身体を拭くと、下着を身に付けた。
いつもならこの時間、どんな姿で階下をうろついても誰にもとがめられないんだけどね。 ああぁ、面倒くさいな。と思いながら、パジャマを着た。
そして、濡れた髪にタオルを巻いて、汚れ物は傍の洗濯機に放り込んだ。
そういえば、この洗濯機。
智彦くんが私の家に家族の一員として住んでいたあの日。
智彦くんの汚れ物もよくこの洗濯機で洗ったわよね。
洗濯機のスィッチは母が、干すのと、たたむのが私の役目だったような…。
でも…。
 そんなことをすることも、もうたぶんないんだよね…。
だけど、近い将来、また智彦くんが私の家に泊まりに来ることがあれば、智彦くんのお嫁さんも一緒に来てもらえたら、また、違った楽しさが生まれるだろうなと思った。
そう───── 。
ステキな三人組から、それぞれが結婚して、今度はステキな六人組になることが、私のこれからの目標だった。
そして、永遠にお互いの家を行き来して、たくさんの思い出を共有すること。
それが、私のささやかな望みだった。
せめて、これぐらいの夢を持っていたって罰は当たらないだろうなと思いながら、私は台所に移動。そこの冷蔵庫から缶ジュースを取り出すと、また、リビングに戻った。
部屋に入ると、智彦くんはテレビを見ながら、つまみのあられを口にしていた。
傍のグラスには、氷の入ったウィスキー。
ストレートかと思ったのだが、瓶入りのサイダーが減っていたので、少しは甘くなっているようだった。
私はいつものように智彦くんの傍に、腰を下ろした。
「ところで、さっき私に投げてきた物だけど、あれって、何処に売ってたの?。」 
 「遊園地。」
 「遊園地には彼女と?。」
 「男友達。」
 「遊園地に男友達と行くなんてなんか変。やっぱり、彼女なんていないんだ。」
 「そいつとは、下見に行ってたんだ。」
 「嘘ばっかり。顔に嘘つきって書いてあるわよ。」
 「嘘じゃないって。」
 えらく慌てて弁解する智彦くん。そんな智彦くんを見ていたら、なんだか可愛いというより、嘘をつくのはかなり下手みたいだ。だから、ここで、話題を変えることにした。
「それって、遊園地の何処に売ってたの?。」
 「ジェットコースター乗り場の近くの売店。そこの遊園地はそれを売り物にしているから。」
 「もしかして、それが怖いってことなのね?。」
 「ああ。そうらしい。」
 「そうらしいって、また、人ごとみたいな…。」
 「僕はまだ、乗ってないからな。」
 「だったら、そこへ何しに行ったのよ?。」
 「単なる下見。男同士でジェットコースターに乗ったって、つまんないだろう。」
 「それは、そうだけど…。」
「そしたら、今度、ゆきちゃんがこっちに来た時に連れていってやるよ。」
 「いいわ。私、遠慮しとく。その彼女とやらと行って来たらいいのよ。」
 「本当は、怖いんだろう。」
 「そんなことないわよ。」
 「だったら、乗ってみるか。僕がさっき渡した物持参で行けばなんとかなるだろう。」
 「お兄ちゃんって、エッチなのね。」
 「ゆきちゃんには必要でないにしても、必要な人もいるから、そういう物が売ってるんだろうと思うよ。」
 そこで、ようやく、私が缶ジュースを開けようとしていたら、
 「ゆきちゃんも飲んでみる?。」
と、智彦くんは私にウィスキーの入ったグラス、しかも、飲みかけのをすすめてきた。
これまで、缶ジュースを回しのみしたことはあるけれど、お酒の入ったグラスを回しのみするのはこれが初めてだった。
 「どう?。いけそう?。」
智彦くんの問いかけに、
 「あたしは、やっぱり、ジュースのほうがいいわ。」
と、言ってグラスを智彦くんに返すと、缶ジュースの方を口にした。
 「ゆきちゃんって、甘党だったんだよな。今度、京都に来たときは、お酒の飲める店に連れて行ってやるよ。ゆきちゃん好みの甘いお酒を出してくれるお洒落な店知ってるから。」
 「本当にいいの?。」
 「これも、社会勉強のひとつだと思えばいいよ。」
 「だって、夜なんか出歩けると思う?。」
 「僕と一緒なんだから、かまわないよ。それとも、僕では相手不足だとか…。」
 「そんなこと思ってないけど…。」
と、言った次の瞬間。
私は智彦くんに唇を奪われ、そのまま床に押し倒された。
抵抗しようにも、二階ではもう両親が眠りについている頃。そんな場所が場所で、時間が時間なだけに、私は声も出せないでいた。
「ゆき。」
聞こえるか聞こえないかの小さくその甘いささやき声に、私は益々抵抗出来ないでいた。
そんな私に智彦くんのその手は、動きを止めることなく私のはいていたパジャマのズボンの上から太股辺りを触っている。
智彦くんとのこんな関係…。
 望んでいなかったといえば嘘になる…。
嘘にはなるけど…、それは…。
やっちゃいけないこと…。
頭では十分解っていたつもりだった…。
それなのに…。
いざ、その場面になると抵抗もできないなんて…。
でも、もしかして、これは智彦くんが仕掛けていた罠に私がすっぽりとはまってしまったってことなの…。
それに…。
この瞬間を…。
 私が大人になるのを、智彦くんがあの出会いから十年間待っていたとしたら…。
罪なのは、私?。
それとも、先に手を出した智彦くん?。
それとも…。
それとも…。
私達を引き合わせた、私の祖母?。
悲しいかな。
元を正せば私達ふたりは同じ一族。
しかし、その血を智彦くんが四分の一、私が八分の一しか受け継いではないのだから、お互いを好きになっても、ちっとも不思議なことではないのだが、私達の仲はお互いの親にとっては許されない仲であることは確かなのだ。
こんな私達の関係を他のたとえにするなら、一国の御姫様が家臣に恋をするようなもの。 それぐらい達成度が低い関係の私達でありながらも、万一、その関係が許されるとしたら、それは、ヨーロッパの中世時代。お互いが貴族であればの話しである。
でも、残念ながらここは現代の日本。
戸籍上は何の障害がなかったとしても、私達が結婚することを親戚一同は認めないことぐらい私にも分かっていた。
だからこそ、智彦くんと付き合う時の私は、今まで、冷静でいて、尚、単純で可愛い妹を演じていたのに…。
それが、逆にこんな関係になってしまうなんて…。
泣きたいぐらい辛いのに、涙の一滴も出ない私。
今まで、私がしてきた努力は無駄だったってこと?。
私は、智彦くんに抱かれながら、そんなことを自問自答していた。
その後、どれくらい時間が過ぎたのだろうか…。
本当は、極短い時間なんだろうけど、私にはとても長い間智彦くんに弄ばれていたような…。
それでも、救いだったのは、場所が場所で、時間が時間なだけ、いつ私の両親が階下に降りてくるか分からないから、私は着ていたパジャマを脱がされずにすんだことだった。
暫くして、その手を緩めた智彦くん。
今度は、どうするのかと思えば、私の右手を取り私を起こしながら、自分も床に座り、そのまま、私に自分のモノを握らせようとした。
これには、私もビックリ!!!。
慌てて私が手を引っ込めたら、
 「自分ではしないの?。」
と、冷静な智彦くん。
そこで、しかたなく、
「わたし、関心がないの…。」
と、小さな声で答えた。
だって…。
 そんな恥ずかしいことする必要今までなかったというか…。
私にとって、本当に関心の無い世界だった。
好きな人に抱かれるという行為。
それは、人間の世界においてのみ成立する自然なこと。
だけど、私の場合抱かれてはいけない相手だと知っていたから…。
割り切って、智彦くんとは付き合っていたんだけど、こんなことをされたら、私は今まで通り智彦くんの可愛い妹でいられるの?…。
そんなことを考えるとちょっぴり悲しくなった。
「もう、寝るよ。」
そう言うと、智彦くんは、テーブルに置いてあったグラスの飲みかけのウイスキーを一気飲みした。
そして、智彦くんは寝床を用意してある座敷へ行ってしまった。
リビングにひとり残された私。
ふと、テレビの上に置いてある時計を見たら、午後十一時をだいぶ回っていた。
どのみち、ひとりあれこれここで考えていたって、どうしようもないこと。
そう思った私は、リビングのテーブルに残されていた物を台所に持っていき、グラスは洗って片付けておいた。
それから、洗面所に移動。まだ、乾ききってなかった髪をドライヤーで乾かしてから、二階に上がり、私も眠りにつくことにした。
しかし、いつもなら、床についたら三分と起きていたためしのない私なのだが、この晩はどんなに努力しても、とうとう、朝まで一睡もできないでいた。
けれど、昨夜の智彦くんとの仲が原因で仕事を休むなんてこと、口が裂けても言えないから、私はいつも通り定刻に起きた。
 「おはよー。」
パジャマ姿のまま台所に入ると、母は起きてお弁当を作っていた。
 「昨日は何時まで起きていたの?。」
 「十一時頃。」
私の返事に母には昨夜の事はバレていないようだった。
 「あなた達ってどこまで仲がいいんだろうね。ついでだから、智彦くんも起こしてきて。」 母に言われて、私は智彦くんが眠っている座敷にそっと入った。布団の傍までいくとまだ、小さな寝息をたてている智彦くんがいた。その寝顔はまるで悩みなんか全くない少年のようだった。
本当はまだ暫くこのまま起こさないでいられたらいいんだけどね。私も仕事に行かなくちゃならないし、智彦くんは今日中には自分の家に帰らなくちゃならない。昨夜のことを思い出すと、どんな顔して会えばいいのか分からなくなるのだが、出勤時間が迫る私にそんな悠長なことは出来ない。
「ほら。お兄ちゃん、起きて。」
 私はいつもの調子で、智彦くんを揺すり起こした。
「ん…。今何時?。」
「昨日の今頃。」
「昨日の今頃っていつ?。」
「昨日、お兄ちゃんが自分宅(ち)で起きた時間に決まってるでしょう。」
「だったら、まだ、少し眠れる。ゆきも一緒にはいるか?。」
そう言うと、智彦くんは自分の布団に私を引き込もうとした。
「って、そういうわけにはいかないよな。」
智彦くんは、ぽつりと言ってから、握っていた私の右手を放すと、身体を起こした。
「わたし、時間ないから先に食事するね。お兄ちゃん、気をつけて帰ってね。」
その時の私は智彦くんと顔を合わさないように、言い残すと、私は座敷を後にした。だって、そんなこと目を合わせて言っていたりしたら、また、とんでもないことが起きそうだったから…。
そんな智彦くんがようやく座敷から出てきたのは、私が出勤する時間だった。
玄関で靴を履いた後、
 「行って来ます。」
と、言ったら、まだパジャマ姿のままの智彦くん。何も言わず頷いていた。
せめて、『行っておいで。』とか、『気をつけて行けよ。』ぐらい言ってくれても、罰は当たらないとは思うんだけどね。ま、そこが智彦くんらしさなのかも?なんてことを思いながら私は家を出た。


 その日の夜。
いつもの時間に私は自宅で両親と夕食を済ませ、ひとりリビングにいた時だった。
不意に鳴る玄関先に置いてある電話のベル。
そうだった。
 今時のように、国民のひとりにつき一台必ず持っている携帯電話が無かった時代だったから、電話が鳴れば、家中に響き渡るベル音。
しかし、私の家では、この電話の取り次ぎでさえ私の役目。
両親のうちのどちらかが電話に出るなんてことがなかったから、私は渋々電話に出た。 「はい、美沢です。」
 「もしもし…。」
その声の主はどうも智彦くんらしい。
 「いつ頃そっちに帰った?。」
 「二時間ぐらい前。」
 「高速混んでなかった?。」
 「普段の日だからね。そんなに酷くはなかったよ。」
 「そう。良かったじゃない。ひとり帰るのに時間が掛かったら大変だろうなって心配してたから。」
 そう、私が言った次の瞬間だった。
 「ゆき。昨日はすまない。」
その小さくてかすれるような不意に謝る智彦くんの言葉を聞いて、私の心は一瞬にしてその一部に亀裂が生じた。しかし、この言葉を伝える為に、智彦くんが電話をくれたことを即座に理解した私は、変な会話をしていたら、お互いの両親に疑われてしまうことも同時に悟った私は、とっさに、
 「感謝してる。」
と、返事をした。すると、
 「また、近いうちにこっちにおいで、その時は、また食事に行こう。」
と、智彦くんに誘われ、私達はまた遊ぶ約束を成立させてから電話を切った。
そうしたら、案の定、母が二階から降りてきた。
 「今のは誰だった?。」
 「智彦くんよ。」
 「何て言ってた?。」
 「二時間ぐらい前に無事に帰りましたって。」
 「あっ。そうだったの。実は、母は智彦くんがいつココを出たのか知らないのよ。母達も仕事に出るから、その時に智彦くんもこの家から出て行ってもらったのよ。そうでないと、鍵を渡すわけにはいかないし、そこで、お婆ちゃん宅に行ってもらうことにしたのよ。だから、しばらく、お婆ちゃん宅に居たってことね。」
母のその話は何ともややこしい話しだなと思った。
 「ゆきもそろそろ、風呂に入ったら?。」
 「母達はもう、済んだから。おやすみ。」
 「もう、降りてはこないの?。」
 「たぶん。」
 「それなら、おやすみなさい。」
そして、私はまた、リビングでひとりになった。
それにしても、智彦くん。
これまで付き合ってきて、今まで一度も誰かに謝っている姿とか、謝るなんて言葉自体持ち合わせてはいないのだと思っていたのに…。
どうして、私なんかに謝ったりしたのだろう…。
謝るのなら、昨夜、私の両親がいつ私達の行為を覗くかもしれない危険な場所と時間で何故、私を襲ったのか…。
その時の私は、悪いことをしているのだとか、されているなんてこと全く意識してはいなかったのだけどね。
だけど…。
智彦くんが私に謝ったということは、本人が悪いことをしたという自覚があったからに他ならない。
でも…。
智彦くんに謝られたことはショックだった。
智彦くんは私に謝ることで少しでも自分の罪を軽くしようとしたのかもしれない。
だけど、私が智彦くんを好きだというこの気持ち…。
この気持ちは一体どこに捨てればいいの?…。
きっと、智彦くんのことだから、私の複雑な気持までは考えていなかったのかもしれない…。
謝って済むような単純なことではないのよ。
私達って。
他のどの恋愛よりも複雑なんだからね。
 だって、私は智彦くんに謝られても、好きになることも、嫌いになることもできない…。
それに、私達は同じ血を継ぐ一族として、この先もずっと、付き合っていかなければならないのに…。
それなのに…。
この先の人生…。
どんな顔をして、冷静に付き合えばいいの?。
願わくば、智彦くんに謝ってほしくはなかった…。
そこで、私はその真相を探るべく、半年後、会社の休みを利用して、智彦くんの住む町へ行くことにした。


そして、約束の日の午後。
私は母に見送られて、電車にひとり乗った。
以前、私が祖母に連れられて智彦くんの住んでいる町に行った時から、既に約十年が経過していた。。その間に私が住んでいる町の交通も発達。今では、智彦くんの住んでいる町まで、電車と新幹線を乗り継いで片道約五時間もあれば、おつりがくるようになっていた。
智彦くんの住んでいる町と私の住んでいる町の間の移動時間が短くなるのはとてもうれしいことには違いないのだか、智彦くんとお互いに持っている心の壁は、お互いの生涯において越えられない確率の高いことが私には辛かった。
そして、今回の旅のもう一つの憂鬱。
それは、半年前、妹のえりが就職。
その先がなんと、智彦くんの住んでいる町の隣の市だった。
だから、今回、私の宿泊先は、智彦くんの家族三人が暮らしている家ではなく、えりが借りているワンルームマンションだった。
そうなると、昼間は自由にできても、夜は必ず、妹のえりの方に帰らなければならなくなる。私が今回滞在出来る時間は五日間。その間に、智彦くんが一日だけ会社の休みを取ってくれるらしい。
そんなにしてまで、私に付き合ってくれる智彦くんの優しさ。
その優しさがかえって私を苦しめる。
だって、その優しさは、永遠に私に注がれるわけではないのだから…。
いつか、必ず他の誰かにその優しさを注ぐことになるはずだし、また、そうなってくれることを祈っていなければならない。
そして、私は、心は智彦くんを想っていても、身体は他の誰かに嫁いでいかなければならない現実が待っている。
その現実は、もう、タイムリミットに入っているはず。
本当に、神様はなんて悪戯が好きなんでしょうね。
子供時代、私は智彦くんに会っていなかったら、こんなに心を痛めることも、また、智彦くんを苦しめることもなかったかもしれない…。
でもね。お互いが同じ血を継ぐ一族であったからこそ、心から素直に楽しみながら付き合えたのかもしれない…。
これが、完全な他人であったなら、ここまで深くお互いを知り尽くすことはなかったと思う。
そして、私は智彦くんと肉体関係をもった夜から、単純で可愛い妹ではいられなくなってしまった現実…。
それまでにも智彦くんにだって、私は妹にしかなれないことも、自らも私にとっては兄貴にしかなれないことは十分にわかっていたはず… 。
それなのに…。
どうして、その仲を自ら破壊するようなことをしてしまったのか…。
その罪は一体誰にあるの?。
自問自答したって答えなんか永遠にみつからない…。
確かなのは、これまで、私の純粋で透明なガラスのようだった心には、もう二度とは戻れないこと。
今までのように単純に可愛い妹でいられる自信はない…。
でも、他の誰かに知られちゃいけないことぐらいは、おバカな私にだって理解できる。
しかし…。
チャンスがあれば、智彦くんのこと。
きっと、再び私に手を出すだろう…。
ただ、その時の私は、たぶん、前回のように冷静ではいられないはず…。
私の心にだって限界はある。
その限界を知っていたからこそ、これまでの私は冷静でいられたのに…。
電車の窓越しに流れる景色を見ながら、私の心は落ち込む一方。
本当は、二度と智彦くんに会ってはいけないような気持ちが半分。残りの半分は会って真相を確かめたい…。
だけど、それをしたら、智彦くんに嫌われてしまうかもしれない…。
しかも、今回、いくら智彦くんが仕事を休んでまで私に付き合ってくれると言っても、ふたりっきりになる時間があるかどうかもわからない。
無闇に会ってまた思い出を重ねるだけなら、心の傷が深くなるだけ…。
そんなことは、ずっと前から気付いていた。だけど、今は智彦くんに会って話しがしたい…。
私達ふたりの他にえりや他の親戚がいたら、智彦くんだって私に手を出すようなおバカなことはしないだろう…。
だけど、そうして、他の誰かがいると、智彦くんに本当の事を聞き出すことは不可能になる…。
しかし、このまま破壊された心を抱えて生きていくのはあまりにも辛すぎる。
そう───
私の心はこの時、既にどうにもならないぐらい破壊しかかっていた。


それから、約五時間後。私は京都駅に着いた。
その日は、日曜日の夕方だったこともあり、私が京都に行く話しを妹のえりにした時から、えりと智彦くんが駅まで迎えに来てくれる約束になっていた。
そこで、えりに指定されていた駅の改札口に行くと、既に私の到着をふたりが待っていてくれていたようだった。
 「ようやく、着いたか。」
私がふたりの傍まで行くと、智彦くんはいつもと変わらず私に話し掛けてきた。そこで、
 「これ、お土産。こっちに来るのならってことで、約束してたお菓子。」
そう言って、紙袋を智彦くんに差し出しながら、私もいつもと変わらない会話をした。
 「これから、どうする?。」
と、えり。
 「そんなん、晩ご飯に決まってるだろう。」
 智彦くんの一声で、私達三人は食事に行くことにした。
 「で。何処行くの?。」
と、私。
 「食事に行くにしたって、まずは、その荷物を置いてからだな。」
 「コインロッカーに預けるの?。」
 「兄ちゃん、叔父ちゃん(智彦くんの父)の車に乗って来てるみたいよ。」
 「電車では不便だからな。」
 「電車で不便なって、何処行くの?。」
と、私。
 「そんなこと言わんでも、ついておいで。」
と、言うと、智彦くんはさりげなく、私の荷物を片手に、私達姉妹の先を歩き始めた。
 そこで、私達姉妹も智彦くんの後を行くことにしたのだが、私にとっては久しぶりの都会。人が多くて智彦くんを見失わないように歩くのが大変だった。
 それでも、そこから五、六分程歩くと私達三人は地下街を抜け人の数も疎らになったところで階段を上がると地上に出た。
 「ここで、えりと待っといで、車取ってくる。」
と、言い残すと、智彦くんは私の荷物を持ったまま、私達姉妹の視線から外れてしまった。 私は智彦くんが車でココへ戻って来るまでの間、これから始まることを考えていた。
今はえりがいるから、智彦くんも私に手を出すようなおバカなことはしないとは思うけど、えりがいることで、智彦くんとの会話も今ひとつ楽しめないような気がするのは何故なんだろう…。
出会った頃みたいに、単純で楽しかった時間に戻れたら、どれほど楽しいことか…。けれど、今から、過ごす智彦くんとの時間は、急速に別れに向かっていることは確か…。
智彦くんと肉体関係があろうとなかろうと、いずれ私達は、それぞれ他の誰かと結婚しなければならない運命…。
だけど、智彦くんへの気持ちに偽りなんかはない。
ただ、智彦くんがちょっとした出来心で私に悪戯をしただけなら、それは、その方が悲しいし、許せない…。
でも、それを今回の京都観光で確かめてしまうのは辛いし、智彦くんを責めるのも避けたい…。
だからといって、確かめないままで、お互いが他の誰かと結婚してしまうのは、もっと辛いこと…。
しかし、今の私にはどうしたらいいのかさえ判断できずにいる。
以前なら、どんなことでも、自分なりの考えで納得ができていたのだけど、今回のことは、私にはお手上げ状態だった。
さらに、困ったことに、私の涙腺が故障。ブレーキがろくろく効かない状態になっていた。
それでも、今は傍にえりがいるから、なんとかなっているのだが、これがひとり智彦くんを待つことになっていたら、大変な事になっていたと思う。
あの日の夜────
 私の家で──── 
智彦くんに手を出された夜から、私は生涯において心は隠して行きていく覚悟は出来ていた…。
だから、こそ、智彦くんに抵抗しなかったのに…。
こんな結末になるなんて想像もしていなかった…。
これは、私に下された罰…。
だとしても、なんて複雑でいて重い罰なんだろう…。
恋愛は普通、他人同士がめぐり会うことが多い。
だから、嫌いにもなれば、好きになることだって許される。
そして、大っ嫌いになって、別れたら、以降は会わなければすむことだし、そのうち、自らの記憶から消えていくこともあると思う。
でも、智彦くんとは特殊な関係で知り合った。
本当は、子供だった私が巡り会ってはいけない人物だった。
そんなことをぼんやりと考えていたら、智彦くんが車に乗って、私達姉妹の前に現れた。そこで、私達姉妹はいつものように妹のえりが助手席に私は後部席に座った。
本音は、助手席に乗りたかったのだけど、智彦くんが深く考えずに私の身体の一部に触ったりするのを妹のえりに見つかったりしたら、言い訳なんか立たないからね。それにその方が、智彦くんに手を出されるという心配がないと思ったから…。
だけど、今の私は既に智彦くんとこうして会うのも辛いし、会えないままでいるのも辛い心境だった。
いずれは、必ずどこかで終わりにしなくちゃならないこんな関係…。
きっと、智彦くんもそれは分かっているはず…。
それなのに…。
何故?…。
私を生涯の妹にはしなかったのだろう…。
一体?…。
どこで…。
私を見る智彦くんの目が変わったのだろう…。
それに…。
えりだって、この都市に住むようになって既に半年。住む部屋探しから、引っ越しまで智彦くんには何から何までお世話になっている。だから、その間に智彦くんと肉体関係があってもちっとも不思議じゃない。
でも、それを智彦くんに確かめるのも勇気が必要だし、そんなことえりなんかに口が裂けたって聞けやしない。
智彦くんとお互いが子供だった時は、こんな日がくるとは想像もしていなかった私…。 いつまでも、ステキな三人組でいられたら良かったのに…。
そういうワケにはもういかないんだよね…。
 それは、私達三人が成長した証。
だけど、それは私にとっては辛い証…。
智彦くんとは永遠に兄妹関係でいたかったな…。
私はもう、妹にも戻れないのよね…。
こんな中途半端な私…。
そして、もしかして、えりも私と同じ目に遭っているとしたら…。
本当に、それだけは想像したくないことだったが、どうしても、頭から離れない。
だとしても、私はそれを確かめる勇気さえない…。
本当に神様は私をどこまで責めたら気がすむんだろう…。
智彦くんには、今回会った瞬間から、聞きたいこと話したいことがたくさんあった。しかし、今はえりが同席している以上、智彦くんに聞き出すチャンスはない。そんな私はえりの前では悲しいけれど、沈黙を守るしか他に道はなかった。
だけど、時間は私達三人に平等に流れる。それが、さらに私を苦しめる。何故なら、私はえりのように、智彦くんの住む町の近くで、ひとり暮らしを満喫して、智彦くんに会おうと思えばいつでも自由に会える環境ではなく、五日後には両親の待つ自宅に帰らなければならない。こんなに心も体も雁字搦めの人生なんて、今の今まで想像していなかったこと。この五日間で一体どこまで今私が抱えている難問、不安を解決できるのだろう…。もしかして、智彦くんに何も聞き出せないまま、五日間が終了してしまったら、次に近いうちに必ず会える保障もない。だって、私は自宅に帰ったら、また、見合いが待っているのだから…。そんな見合いの合間を縫って、智彦くんと会っている私。 しかし、この辺りで、智彦くんとの仲に決着を…、きちんと終結を迎えていなければ、私達ふたりはどちらも不幸。でも、今の私には智彦くんとの仲を終わりにしてしまうのは、とても辛い…。たとえ、智彦くんに嫌われていても、私はやっぱり智彦くんの妹でありたい…。それも、どうせ、私達は結ばれちゃいけない関係なら、永遠に妹でありたい…。
私はひとり後部座席で静かにそんなことを考えていた。
 「ゆき。もうすぐ着くからな。」
車を運転中の智彦くんに、不意に話しかけられて、私は現実に引き戻された。腕時計を見ると、もう、車に乗ってから二十分近く過ぎていた。
そう────
この腕時計──── 
実は、前回、妹のえりと智彦くんの家に泊まりに行った時、三人で京都の町に出掛け、そのとき、智彦くんが私に買ってくれた物だった。
他の人からは、この腕時計は安物にしか見えないかもしれないのだが、私にとっては大切な物のうちの一つだった。他にも智彦くんからは、数枚のハンカチ、トレーナー、目覚まし時計、イヤリング、ネックレス等々、細々とした物を頂いていた。
これらの贈り物の送り主が、完全な他人の恋人だったら、その仲が破局したときに、それらは処分してしまえば済むことなのだが、私の場合は、たとえ、智彦くんとの仲が終結してしまったとしても、処分すること事も出来ず、この先の生涯においてもそれらの物を見る度に、胸を痛めなければならない。
実はそんな覚悟は、智彦くんと肉体関係があろうとなかろうと、ずっと以前から私は気付いていた。
 智彦くんから、私に『やるよ。』と言って、これまで、御丁寧にも私の家まで持ってきてくれたり、郵送してくれたりした物を『いらない。』と断るワケにはいかず、こんな中途半端な関係が私にはとても辛かった。
そんなふうに智彦くんが私のことを大事にしてくれるのは有り難いことではあるのだが、されればされるほど、私の心は逆に満たされないでいた。
でも、それを私の周りの人達に気付かれるのも辛く、本当に、私はなんてややこしいところに誕生してしまったのか、運命を呪いたい気分だった。
 「着いたよ。」
と、智彦くんに言われ、車から降りたところは人里離れた山の中。こんな所に何があるのかと見渡すと、小高い丘のてっぺんにその建物はあった。
「先、行くよ。」
そう言って、智彦くんが先に登り始めたので、私達姉妹もついて行くことにした。
 「えり、行ったことあるの?。」
「ここは、初めて。」
 えりのなんだかその意味ありげな返事に、いつも仕事休みの時は誰と行動しているのか気になって、問いつめようかとも思ったのだが、ここで姉妹が言い争いをしたって単純に解決なんかしないことがわかっていたから、私はそれ以上えりを追求しないことにした。 店に入ると、私達三人は空いていた窓際のテーブル席につき、私は智彦くんと向かい合わせに、えりは私の横の席に座った。
透かさず、ウエートレスがお冷やとメニューを持って、私達三人の席に来た。
 そして、お冷やをテーブルに数だけ置くと、
 「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください。」
と、言って下がった。
ウエートレスが置いていったメニューは一冊。
私達は同じ一族の者だから、一冊でも別に困りはしないのだが、これが、そんなに親しくない間柄のカップルだったら、少し困るだろうなと思った。
 「何にするの?。」
私はメニューを智彦くんに字が読めるような向きで開いた。
それを三人で囲んだ瞬間から、何故だか、私は心が弾んだ。
弾みながらも、もう、こうして、三人が揃って食事をすることは、数がないことに気付いていた。いつも辛いことを考えていたって、時間は過ぎてしまう。それだったら、今、この時を楽しむしか私には残されてはいないのだ。
 「そしたら、そういうことにしよう。」
智彦くんの一言で、私達三人はメインがそれぞれ別々の和食を注文した。
その注文した料理が先に運ばれてきたのは私だった。
「先に食事してたらいいよ。」
と、言ってくれた智彦くんに対して、えりからは、
「待ってるのが常識でしょう。」
と、小さな声で喝を入れられてしまった。そこで、仕方なく待っていたら、次に運ばれてきたのはえりの注文した料理だった。
すると、
「先に、二人とも食べていたらいいよ。僕は食べ終わるのが早いから。」
と、智彦くんに言われたことで、私達姉妹が料理に箸をつけ始めた時、ようやく、智彦くんの注文した料理が運ばれてきた。
そうなると、智彦くんの食事をするスピードと食べる量に私達姉妹が勝てるはずもなく、私達姉妹が食べきれない分はほぼ毎回、智彦くんの胃袋に料理が消えていた。
私は何故だか、そうやって美味しそうに何でも食べてしまう智彦くんを見るのが好きだった。でも、もう、こんなシーンを見られるのもあと僅かしか、私には残されていていなのかと思うのは本当に辛かった。
食事が済んだところで店を出ようかということになったのだが、先に伝票を取ったのはえりだった。それを見た智彦くん、
 「僕が払うよ。」
と、言って、えりから伝票を取ろうとした。すると、
 「お兄ちゃん、三人とも働いているのだから、ワリカンにしない?。」
と、えりの方も譲らない。
そうだった。
私達三人が何処かへ出掛ける時に掛かる費用。実は、智彦くんが私達姉妹の家に来ている時は、私達姉妹の母か祖母が、そして、私達姉妹が智彦くんの家の方に来ている時は、智彦くんの母が支払っていたのだった。そこで、
 「私もワリカンにした方がいい。」
と、私が言うと、それならということで、それぞれが食事をした分だけ支払うことにした。
会計を済ませ、外に出ると、既に日は落ちていて、辺りは闇に包まれようとしていた。灯りといえば、駐車場までに下り階段に一カ所しかなく、その駐車場でさえも薄暗い灯りが一カ所あるだけで周りは林に囲まれている。こんな場所に、智彦くんとふたりで来るのは、今の私には危険過ぎるなと思った。
これから暗くなっていく東の空には、満月が。
こんな景色を見ることも、もう、私にはあと僅かな時間しかない。
自由でいて、楽しかった時間。
『井の中の蛙 大海を知らず』と、智彦くんから言われればそれまでだけど、私には、他人に会う前に、衝撃的な人物、智彦くんに会っていたことで,他の誰かに出会っても、心がそこからどうしても動かないでいたのだった。
好きだと告白されても、自分が告白してもいけない関係の私達ふたり。
そんな複雑な関係であったからこそ、私達は今まで仲良く時間を過ごせたのかもしれない…。
嫌いになったとき、相手に『さようなら』とか『ありがとう』等の言葉を贈って 、綺麗に別れられる恋人達が私はどれほど羨ましく思ったことか…。
私は智彦くんに『ありがとう』とは言えても、この先もたぶん『さよなら』は言えないと思う…。
「これから、次行こか。」
私達三人が、再び車に乗り込んだ時、智彦くんは車にエンジンを掛けながら言った。
「次行くって、何処行くの?。もう、帰るんじゃなかったの?。」
と、えり。
「帰るってそんな、デザートがまだだろ。」
「お兄ちゃん、まだ、食べるつもり?。」
と、えり。
「デザートは別腹。なっ、ゆきもそうだろ?。」
と、後部座席に座るに私に質問を振ってきた。そこで、仕方なく、
「うん。まぁね。」
と、私は答えた。
「それで、どこまで行くの?。あんまり遠くだと、叔母ちゃんに心配されるわよ。、」
と。えり。
「そうだな。十五分ぐらいはかかるかもな。」
と、いうわけで、私達三人は智彦くんのお薦めのケーキ屋さんに行くことになった。
十五分後に着いたお店は、私の住む町にはないお洒落な喫茶店という感じだった。
店内に入ると、ケーキが並んでいるショーウインドーのみが明るく、他は照明がかなり抑えられていた。周りを見ると、テーブル席に幾つかのカップルと、女友達の二人組が何組かいた。そういう人達の中に、突然、現れた私達三人組。そんな私達三人を見た周りの人達は、きっと、私達女性のうちどちらかがカップルで、残りは友達だと想像するだろうなと私は思った。でも、私達はそういう関係になってはいけない間柄だとは気付かれないところを想像するのがちょっと嬉しい?私だった。
ケーキと飲み物を注文した後で、テーブル席についた私達。そのテーブルは丸い形だったから、私達姉妹が智彦くんを囲むようにして席についた。
暫くして、それぞれに注文の品が運ばれてきた後が、賑やかだった。
相変わらず、私達三人は別々のケーキを注文してたので、いつも通りの試食会状態。私自身、甘い物は元々好きだったこともあって、いろんな味を一度に楽しめるのは嬉しかった。
そのケーキを食べ終えた後、席を立つとき、智彦くんが先にテーブルに置かれてあった伝票に手を伸ばした。
 「これは、僕が誘ったから、僕が払うよ。」
と、言うので、私達姉妹は御馳走になることにした。
レジで支払いを済ませた智彦くん、そのまま、店を出るのかと思ってたら、
 「みやげがいるな。」
と、言うから、私達姉妹は智彦くんの傍で黙ったまま、彼の様子を眺めるていた。すると、智彦くんはケーキを四個注文。にしては、数が悪くない?と思ってたら、
 「これ、明日の朝ご飯に。どうせ、パン食なんだろうから、ケーキであっても変わりはないだろう。」
と、言って、ケーキの支払いを済ませた智彦くんはえりにその箱を渡していた。私は叔母ちゃん(智彦くん母)に買って帰るのだとばかり思ってたので、
 「叔母ちゃんにはいいの?。」
と、聞いてみた。
 「ああ。あの人はいいんだ。年中食べてるからな。」
と、冷たい返事。
 「本当にいいの?。」
心配になって、再度尋ねた私に、
 「そういう時は『ありがとう。』と言っとけばいいんだよ。」
と、逆に怒られてしまった。

その後、私達姉妹はえりの住んでいるワンルームマンションの前で、明日は、えりも智彦くんも仕事なので、夕食のみ三人で街に出て取ることを約束して智彦くんと別れた。
そして、私が京都に来て三日目は、えりが会社の有給休暇をとってくれたので、終日、姉妹ふたりで行動を共にした。
四日目は、智彦くんが有給休暇をとってくれたので、私はえりが朝仕事に出掛ける時刻と同時にえりのワンルームマンションを出た。
えりの住んでいるところから、智彦くんの家までは、電車を乗り継いで約一時間のところにある。
田舎生まれで、育ちの私がこんな行動をとれるようになったのは、智彦くんの存在があったからこそなのだ。 智彦くんがいなければ、こうして、京都から他の町へ行く知識は
私にはついてなかったと思う。
しかし、この時間にひとり電車に乗るのは、私にとって、これが最初で最後になるかもしれないなと思うのは辛かった。
智彦くんの家の最寄りの駅で下車。そこからは、徒歩三分で智彦くんの住む家はあった。この見慣れた景色とさよならするのが迫っていることを想像するのはもの凄く辛い時間だ。
「こんにちは。ゆきです。」
それでも、気持ちを入れ替えて、智彦くんと過ごす最後の時間になるかもしれないことに気合いを入れ、智彦くんの住む家の玄関に立った私だった。
「あら、いらっしゃい。この間はありがとう。お菓子美味しかったわ。」
玄関に出迎えてくれたのは 、智彦くんの母だった。
「智彦。ゆきちゃんが来たわよ。」
叔母ちゃんは、二階にいるらしい智彦くんに向かって声を掛けた。
「そんなに言わんでも、聞こえてるわいな。」
と、言って、いつもの調子で智彦くんが二階から降りてきた。
「ほら。上がって。」
私は叔母ちゃんにすすめられるまま、玄関で靴を脱ぐと家の中に入った。
そして、いつものようにリビングに通された。
「智彦、これから、どうするの?。」
と、智彦くんの母。
「今から、福井まで行って来ようと思ってんだけど。」
「そんな、遠い所に行くのもいいけれど、ゆきちゃんは借り物のお嬢様なんだからね。安全運転手で行ってきなさいよ。あっ、それと、お隣りの温(はる)くん(智彦くんとは正真正銘の従兄弟。智彦くんより年は二つ上。)、ゆきちゃんが来るってこと言ったら、温くんも有給休暇が取れたらしいから、どうせ、行くなら、三人で行って来なさいよ。」
──── 借り物のお嬢様? ────
そうだった。あたしは、智彦くんの母にとっては、智彦くんの妹でもなければ、彼女でもない現実。でも、あたしは大切なお客様には変わりはない。でも、なんだか私には馴染めない言葉だった。
そして、智彦くん宅の隣に住んでいる、本名・里清水 温人(りしみず はると)。実は、えりと私はこの温人くんとも、兄妹関係で育っていた。特に、私は誕生直後から約三年間に渡りこの温人くんとは一つ屋根の下で育てられたこともあって、私にその当時の記憶が全くなくても、温人くんとは七才違いだったから、温人くんにとっても私は妹であった。
そんな温人くんだから、智彦くんと私と三人で行動を共にしても違和感がなく、逆にその同行を拒否することはできない関係にあった。
ただ、このとき、智彦くんにとっては、嫌な相手が同行することになったなぐらいは思っていたかもしれない。でも、私にとっては、温人くんの同行で、少し心が楽になったような…、なんだか複雑な心境ではあった。それでも、
「叔母ちゃん、そういうことなら、私、隣に行って、挨拶してくる。」
と、言い残し、玄関から靴を履いて外に出ると、隣り家の玄関に立った。そして、ガラス戸を開けて、声を掛けた。
「こんにちはー。ゆきです。」
そう言うと、家の中から、初めに出て来たのは、温人くんの母だった。
「あら、いらっしゃい。よく来たわね。ゆきちゃん、ちょっと見ない間に随分大人になったわね。それと、お菓子ありがとね。美味しかったわ。」
それを聞いて、私はようやくことの重大さに気付いた。智彦くん宅への手みやげは覚えていたのだが、つい、うっかり、隣のことを忘れていた。ま・でも、そこは智彦くんの母がカバーしてくれて助かった。
 「温人ー。ゆきちゃんが来たわよー。」
温人くんの母の声を傍で聞きながら、私は何処に行ってもアイドル的?な存在なのかも?とひとり思った。
そこで、暫く玄関に立ったまま、待っていると、どこからか、廊下を歩く動物の足音が聞こえた。そして、次の瞬間、私の目の前に現れたのは、大型犬。
その姿に驚くというよりも、逆に懐かしかって、
「かなちゃん、元気やったー。」
と、言って、私は思わず傍に寄り、かなちゃんの頭を撫でていた。この犬のかなちゃんも慣れたもので、何年間か会ってなくても、たった一度しか会ってなくても、ちゃんと親戚の者だと分かっているらしく、親戚連中には吠えたことはないと、以前、温人くんが私の住む家の方に遊びに来てたときにそう言ってたのを思い出していた。
そんな私も、犬のかなちゃんと会うのは、約十年ぶり。前に会った時の犬のかなちゃんはまだ、若くお嬢様だったから、毛並みも良くて可愛いかったんだけどね。今ではすっかりお婆ちゃんになっていた。
でも、よく考えるとなんだか切ないよね。犬が吠えないぐらい私は温人くんとも智彦くんとも血が近いってことだからね…。
 「あ、やっと来たか、ゆきちゃん。」
そんな声が聞こえたと思ったら、温人くんはズボンをはきながら、私の前に現れた。
 「ちょっと、待ってな。今、ズボンはいてるさかいな。」
そんなこと言わなくても見ればわかるやんか…。
 「これ、温人。なにもズボンをはきながら出てこんでも…、ゆきちゃんが困ってる…。」 そりゃ、確かに困ってるというか…、見てる私の方が恥ずかしい…。思わず視線を反らした私。
 「な、ゆきちゃんは、ゆきちゃんだし、それでええやんか、な。」
 「何を言うてんのや。ゆきちゃんは女の子やないの?。」
────  女の子?────
あたしは、これでも、成人してるんだけど…。
「別に、見られとっても減るもんじゃなし、そんな細かいこと言わんでもええや。」
そんな、減るとか、減らない、とかの問題ではないと私は思うんだけどね。全く!。知的で物静かな智彦くんと違って、温人くんの方はいつも元気で人一倍賑やかな人物。ただ、天は二物を与えずというのか、スタイルと顔は温人くんの方が智彦くんより勝っているような気がした。本当は、そうやって、ふたりを見比べるのは失礼だとは思ってはいるのだけど、つい、いつもの癖で、比べてしまう私。
ついでをいえば、智彦くんは有瀬家のひとり息子だけど、温人くんには二つ下の弟がいる。でも、彼は幼い頃、訳あって、他の家に貰われていったそうで、以降、温人くんは母と子のふたり暮らしをしていたのだった。だから、温人くんにとってもえりと私は妹のような存在といえばいいのか…、貴重な異性といえばいいのか…、のような関係でお互いが育っていた。
 「智彦はこれから何処へ行く言うてた?。」
ようやくズボンをはき終えた温人くん。今度は、玄関で靴を履きながら、私に尋ねた。 「これから、福井に行くとか、言ってたけど…、私にはよくわからない…。」
 「そっか。それじゃ、行ってくるよ。」
 「気を付けて、行っておいで。」
そう言って、温人くんの母は玄関先で私達ふたりを見送ってくれた。
これまでは、えりと智彦くんと私の三人組で行動することが多かったのだが、今回は、温人くんと智彦くんと私の三人。成人男性ふたりに対して、女性は私のみ。そんな不思議な組み合わせ、いくら都会でもそうそうは見かけないだろうなと思った。
外に出ると、智彦くんが車を車庫から出して、運転席に座ったまま、温人くんと私が家から出てくるのを待ってくれていたようだった。
「ゆきちゃんは、前に乗ったらいいよ。僕は後ろに乗るから。」
と、温人くんに言われ、これは、ちょっとマズイ展開にならなければいいな…、と密かに思った。が、ここで、『私は後ろでいい。』なんてことも言えず、それを言ったら、逆に温人くんに怪しまれてしまうことを恐れた私は、車のドアを開けると素直に助手席に座って、シートベルトを締めたものの、なんだかとても落ち着いてこれから始まるドライブを楽しむ気分にはなれないでいた。
 それは、路上での信号待ちとかのちょっとした時間に、智彦くんに私の身体の一部を触られやしないかと気が気でなかったからだ。もし、万が一、そのシーンを後部席の温人くんに見られでもしたら、言い訳なんかできないことぐらい分かっていた。
 「智彦、これから何処へいく言うてんの?。」
 「小浜。」
 「えらいまた、遠い所へ行くんやな。夕方までに帰られるんかいな。」
 「帰られるように、今から行くんやないか。」
温人くんと智彦くんの会話は、私にはまるで本当の兄弟のように聞こえた。それも、そのはず。智彦くんの住んでいる家の隣、元々は、他の人が住んでいたらしいのだが、その人が引っ越してから温人くんとその母がそこへ移り住むようになって、既に五年近くが過ぎていたからであった。その間、親子でお互いの家をいつも行き来していたら、そうなるのは当然のことのように思えた。
ただ、智彦くんにとっては、私とえりが妹のような役目を果たすことにおいての違和感はないように思えたのだが、この会話から想像するにあたり、どうも智彦くんは温人くんのことはあまりいいようには思ってないような気がした。
そんな私は美沢家の長女でありながら、ふたりの兄貴と妹ひとりに囲まれて育つ環境。それぞれの親達が良かれと思って、私達四人に与えてくれた環境だとはいえ、いずれ、私達はその親達によって、仲を裂かれることだけは避けたいなと何故か私はこの時からそう思っていた。
「えりは、今日仕事とか言ってたな。ゆきもこっちに(京都市内)来て、就職すればええのに。」
と、後部座席に座っている温人くんが私に話しかけてきた。そこで、何かいい言葉でも探そうと考えていたら 、
 「そりゃー。無理な話やな。」
と、智彦くん。
 「なんでや?。」
と、温人くん。
 「そんなん決まってるやんか。ゆきちゃんの親がゆきちゃんだけは放さんと思う。」
 「自由なのはえりだけか…。そんなん差別やんか…。」
と、温人くんに言われるまで、私はその差別に実は気付いてなかった。確かに、都会でのひとり暮らしに憧れがないと言えば嘘になる。でも、悲しいかな。私は三沢家のふたり姉妹の長女。母だってひとり娘。母と私はふたり揃って自由なんて言葉、持ち合わせて誕生しなかったことだけは確かだった。
万一、都会で恋愛して、嫁に行きます。なんてことになったりしたら、三沢家は母の代で終わりになってしまう。それだけは、母や祖父母にとって避けなければならないことぐらい子供の頃から気付いていたので、我が儘も言わずに育った。たとえ、我が儘を言ったところで、どうにかなる親でもないことは、子供の頃から気付いていたからね。
「だったら、ゆきは箱入り娘のまま結婚しますってことだね。」
と、温人くん。そこで、今度は私が逆に温人くんに質問した。
 「温人兄ちゃんは結婚しないの?。」
 「ああ。僕か…。僕はたぶん一生しないと思う。」
と、実にあっさりとした返事に驚いたのは私だった。
 「それって、そっちの方が罪にならない?。」
そう、私が言うと、
 「智彦は結婚する気?。」
と、その質問が今度は智彦くんに向けられた。
 「僕は、チャンスがあればね。」
 「智彦兄ちゃんは、彼女いるって言ってたじゃないの。その人とはしないの?。」
 「たぶん。」
 「そんな無責任な…。彼女がそれを聞いたら何というか…。」
 「あ。今の彼女は友達のうちのひとり。」
 「だったら、女友達がたくさんいるってこと?。」
と、言ったら、
 「智彦に女友達がたくさんいるなんてこと今初めて聞いた。今は家にひとり出入りしている彼女がいるってことは聞いてたけど…。」
と。温人くん。
 「それは、職場の友達。」
 「そんな単なる職場の友達が家に出入りするなんてこと私には考えられない。」
 「どうせ、僕のお袋のこと、他のもっといいところのお嬢さんでないと結婚なんてできないと思うな。」
と、智彦くんの返事も明快というか…、なんとなく智彦くんの気持ちも解るような気がした。
 温人くんは結婚しないと言うし、智彦くんは親の目に適った相手でないと結婚は不可ならしい。それなら、いっそのこと私達四人の内の誰かがカップルになったらどうなるの?。 みんないいところの血筋ではないの?、とは思うんだけどね。万一結婚したとしても、お互いの親同士が不仲になったりしたら、それこそ、取り返しなんかつかないぐらい大変なことになりそうよね?…。
 でも、結婚しないというのもなんだか罪なような気がするのは私だけ?。
このまま、四人組で楽しい時間を過ごすのも人生だとは思うけど、やっぱりそうしてしまうのは、それぞれの親達にとっては不幸なんだろうなとも思う。
本当に私はなんてややこしいところに生まれて来たのだろうかと思ってしまう…。
だた、私は自分の生まれてきたところが『自由に恋愛していいよ。』という家だったとしたら、こんなステキな兄貴達には巡り会わなかったと思うし、そこで、また違う考え方を学ぶことなんかはなかったとも思う。
そして、兄貴達も兄貴達で私達姉妹がいたことは、プラスの人生ではないのかと思う。
「そしたら、少し休憩しようか。」
智彦くんは家から車で一時間程走った所で車を停めた。そこは私の住む田舎にはまだ数少ないコンビニエンスストアーの駐車場だった。
「ジュースでも買ってくか?。」
と、智彦くん。
そういうことで、私達三人は車から降りた。
 店に入って、私がカゴを持ち、それからは、三人が好みのお菓子やジュースを私が持っていたカゴに入れた。支払いの段階になって、どうするの?と思っていたら、
 「僕が払うよ。」
と、智彦くん。でも、それでは悪いと思ったから、
 「私が払うから。」
と、言えば、
 「それでもいいよ。」
と、智彦くん。そこで、私が支払いを済ませた後、袋は智彦くんが持って、私達三人は再び車に乗り込んだ。
車内で、智彦くんはジュースを一口飲んでから、車にエンジンを掛けて、再び走り出した。
 「ゆき。僕が選んだ菓子の袋を開けて。」
と、言うので、私はその袋を開封。そしたら、何とその菓子を食べさせてと言われ、私はそのことに対しては乗り気ではなかったのだが、車を運転している以上よそ見をさせるのはあまり良くないと思い、その袋に入っていたスナック菓子を摘むと、智彦くんの口元まで持っていった。 そうしたら、智彦くんの方は、それを待っていたかのように口を開けた。その絶妙なタイミングに、私はよそ様の庭の池によく泳いでいる鯉を思い出していた。
こんな行動を無邪気にできるのも、もしかしたら、これが最後かもしれないと思うと、なんだかとても気が重かった。
それに、こんな行動を共にするのは、私ではなく、他の誰かとするべきだと思った。そうでないと智彦くんとこれ以上親密な関係になるのは危険過ぎるというか…、いずれ、別れがくるときに、お互いの心が深く傷付いてしまうことになる…。そのことは、たぶん智彦くんも気付いてはいると思うのだが、今、それを智彦くんに聞き出すことは不可能。何故なら、後部座席には温人くんが乗っているから…。
本当は、今回の京都行きで、智彦くんに聞いてほしいことや聞きたいことががたくさんあったんだけどね。
 それらの全ては私の胸にしまい込まなければならない悲しさ…。
智彦くんに聞き出すことも辛いけど、私は永遠に答えの出ないことがらを胸に、この先の長い人生を苦しみながら生きていくのもまた辛い…。
でも、今の私に出来ることは、その辛さに耐えること…、その葛藤に勝つことしか出来ない。
智彦くんにとって、あの日の夜の出来事は、ちょっとした私への悪戯だったと思う。でも、その犯した罪の重さまではたぶん気付いてはないと思う。
私が智彦くんの妹ではなくなることに私自信も気付いてなかったといえば嘘になる…。
 嘘にはなるけど、そのことに対して私は拒否もできない…。
 いつもは知的で冷静な智彦くんが犯した罪…。
それはふたりで犯した罪ではあるのだが、一生消えない罪…。
そして、たとえ、それが、お互い結婚前だったとしても、絶対に犯してはならない罪…。 そんな重い罪をこの先の人生、お互いが秘密として持ち合わせなければらならいなんて…。
それでも、逆に考えれば、智彦くんと共通の秘密を持っていると思えばいいのか…。
でも、私にはそんな秘密は必要なかった。秘密なんかを持ち合わせたら、きっと、今までの関係が続けられなくなるし、お互い顔を会わす度に、気まずい思いをすることになる。それに、気付いていたからこそ、智彦くんの前ではいつも冷静で無邪気な妹でいたのに…。 智彦くんに電話で謝られた瞬間、私の心に一部亀裂が生じた。その傷は今なら修復が可能だし、修復に間に合ってほしい…。だけど、今回その心の傷を修復できるチャンスがあるかどうかも、今は分からない。
このまま時間だけが流れてしまうと、その傷口が広がるばかりで、修復は不能になるかもしれない。だが、できれば、そういう事態だけは避けたい。
私は頭の中でそんな複雑なことを考えながらも、耳は温人くんと智彦くんの会話に合わせなければならず、万一、ちぐはぐな返事をしても、それが、笑いで済まされればいいのだが、そうでなかった時のことを考えると、とてもじゃないけど、車窓を流れる景色を楽しむ余裕はなかった。
 「智彦、昼はどないすんの?。」
 「ああ。昼は、ドライブインで。そこやったら、ファミレス(ファミリーレストランの略語)もあれば、ファーストフードもあるさかいにな。ゆきもそこでいいやろ?。」
と、不意に智彦くんに聞かれ、
  「うん。そこでいいよ。」
と、答えるのが精一杯で、今の私には他のことなんか考える余裕がなかった。
そんなワケで、私達三人は、智彦くんの提案した場所に降り立つと、ファーストフードで昼食をとることにした。そこのテーブルは丸い物でイスが五脚あった。その時、私はふたりの兄貴に挟まれた席で食事をするのはなんだか嫌だなと思っていたら、温人くんが智彦くん側にまわってくれたので、私と温人くんが智彦くんを囲むようにして席に着いた。
その私達が着いたテーブルの周りは、他のお客さんが少なく、一度座ってから、それぞれが何を注文するか決めた。その後、三人で再び立って、注文口に行こうとしたら、
「ゆきは、ここで待ってたらいいよ。」
と、温人くんに言われ、本当はふたりの兄貴達と一緒に行きたかったのだけど、座って待つことにした。
私と智彦くんとの関係が今どうなっているのかも全く知らない温人くんに、そう言って優しい言葉をもらうのはとても心が痛んだ。でも、今、それを顔に出すこともできない私。全ての感情は、私の胸にしまい込んでおかなければならない不自由さ。その冷静さもどこまで通用するのか…。それが問題だった。
『好き。』と言って、告白できたなら…。
 それが許される相手だったとしたら…。
 智彦くんと私は罪深い関係にはならなかったのではないか…。
 こんな関係になってしまったのは私の罪?…。
智彦くんとは、お互いどちらかの性の同性であったら、良かったの?。
 それとも、同性であったとしても、罪深い関係になっていたかしら…。
 私が、十二才だったとき、何かの手違いで、智彦くんにさえ会ってなかったら、お互い今頃、心自由に他の誰かを愛していたと思う…。
さらに、私は不幸なことにこうして、ふたりの兄貴が絶えず傍にいたことから、見合い相手を必ずといっていいぐらい、ふたりの兄貴と比べてしまう。
そして、何故かよく分からないのだが、このふたりの兄貴と考え方がよく似ている人を捜しているような気さえする。
確か世の中には自分と似た人が三人はいるというらしいから、智彦くんや温人くんに似ている人がいても不思議ではないのだが、そんな理想の相手に巡り会えることなんかまずない。でも、妥協はしたくない…。
けれど、このまま、ずるずると見合いを重ねる人生もまた、不幸だと思う。こんな人生だけど、どこかで、決着は着けなければならない。
その決着を着けると宣言しても、それが、いつつくのか、着けられるのか、私には想像もできないでいた。。
そんなことを考えているうちに、ふたりの兄貴達が私の注文した分まで、私が座っているテーブル席まで運んでくれた。そこで、私は立ち上がりそのトレーを受け取りながら聞いた。
 「これのお金は誰に払ったらいいの?」
 「僕が払った。」
と、温人くん。
 「後で、払うから。」
と、言えば、
 「僕の分も温人くんが払ったから、ゆきは払わなくていいよ。」
と、智彦くん。
 「でも、そんなワケにはいかないじゃない。」
と、言ったら、
 「滅多に会わないんだから、そんなこと心配しなくていいよ。」
と、温人くん。
そうやって、会っている時は、ふたりの兄貴が私に優しいから、私の心はなかなかふたりの兄貴から離れようとしないばかりか、心の成長だって止まったままだ。それは、それぞれの心の中には、お互い血の繋がりがあるから故に起きる、安心感というのだろうと思う。
私の妹えりを含むこの四人組。
それぞれの親達の前で派手な口喧嘩をやっていても、許される仲…。
万一、これが、完全な他人であったら、許されない行為だと思うし、ここまで派手にはやりあわないとも思うぐらい、特に、えりと智彦くんは派手にやりあった体験の持ち主だからね。
だが、私はこのふたりの兄貴とは口喧嘩をした記憶がない。私も言い出したら、後には引かないというか…、頑固なところがえりに負けず劣らずあると思うのだが、何故か未だに、このふたりの兄貴達の前で発揮したことはない。それは、別に、猫を被ってるわけでもないんだけどね。私が喧嘩を仕掛けても、きっと、それはふたりの兄貴達の方が私よりも数段、勝っているから相手にされないだけなんだろうなと思う。
しかも、こうして、何度もその優しい時間にどっぷりと浸かっていたりしたら、他人になんか目を向ける暇がないというか、別に関心がなくても困ることではないからね。
 「ゆき。どうするの?。もう、食べないの?。食べないのなら、僕が食べるよ。」
と、智彦くん。
 「うん。ご馳走様。」
そう言って、箸を置くと、横から透かさず、智彦くんの手が私の食べかけのお皿に伸びた。
こんなシーン。今まで、私は幾つ見たことか…。だけど、もう、こんなシーンも後どれくらい見られるんだろう?。
幸せそうに食事をする智彦くんを横に私は胸が痛んだ。
それでも、ここに温人くんが同席している以上、智彦くんに聞きたいことがあっても言い出せないもどかしさ…。
だけど、ここに温人くんがいるからこそ、私は何も言わないですんでいるのかもしれない…。
 『ねえ。智彦くんは今何を考えているの?。』
その言葉を何度も飲み込んだ私。
でも、そうやって、私が尋ねても、きっと、智彦くんは何も答えてはくれないんだよね?。 ここまで、智彦くんに会いに来なければ良かったの?。
あの日の夜以降、私達は会わない方が幸せだったの?。
それとも、このまま、お互い一生、何事もなかったかのように猫を被り続けるの?。
 智彦くんにはそれが出来る自信はあるの?。
悲しいかな。私は女だ。智彦くんのように割り切って生きていくなんてことは不可能に近い。
あの日の夜のことがなければ、私はまだ可愛い妹のままでいられたはず…。
それなのに…。
 智彦くんはあの日の夜。
 私を急激に大人の女に成長させてしまった。
知らなければ、知らないですんだ世界のことを私に教えた智彦くん。
どうして、そのターゲットが私だったの?。
どうして、妹のような私でなければならなかったの…。
私のどこがいけなかったの?。
そうやって、自問自答を続けていても答えなんかきっとでない…。
それは、智彦くんに聞いても答えの出ないことのようにも思う。
そして、私にはまだ、これから辛い人生が待っている…。
智彦くんの方は、智彦くんが恋愛した相手がたとえ智彦くんの親好みでなかったとしても、智彦くんは有瀬家のひとり息子。だから、いずれは智彦くんの両親も和解。その結婚は認めてもらえると思う。しかし、私は三沢家の跡取り娘。その結婚相手になる人は見合いであっても、必ず親好みの人でなければ結婚はできないと思う。
この矛盾にも私は一生耐えて生きていかなければならない。
 智彦くんとの仲も生涯このままだと、私には心を開く相手もいない…。
自らが犯した罪だとはいえ、私にはどうしていいのか解らない…。
そして、今は、この場で涙することさえ許されない私…。
今までも、これからも、ずっと、冷静でいなければならない私。
あの日の夜、私の感情のブレーキを智彦くんが破壊していなかったら、私はこれからもずっと、冷静であることはそんなに難しいことではなかった。
たった、一度の過ちが私の感情を破壊してしまった。
 「そしたら、行こか。」
温人くんに言われ、私達三人はそれぞれが、食器の入ったトレーを持つと返却口へと移動して、それを棚に置いた
三人で食事をするのは、初めてだったのだが、これはたぶん最初で最後のような気さえしていた。
 「これから、何処へ?。」
と、温人くん。
 「ドライブウエー。」
 「それやったら、そんなに遠くはないな。」
智彦くんと温人くんがふたりで会話しているところに、私は、
 「お手洗いに行ってくるね。」
と、そう、ふたりに声を掛けるとそこから離れた。
実は、私。
智彦くんと関係をもった夜から、トイレに立つのが何故か嫌になっていた。
それは、私が受けた智彦くんの行為を嫌でも思い出すことに繋がるからだった。
だから、今回の遠出も、本当は行きたくはなかった。
トイレに行くことは人間としての生理現象ではあるのだが、どこかに出掛けると、相手から離れる時は何かを言って離れなければ、相手が私を捜すことになり、そうなると迷惑になる。その理由として、トイレに行くという行為を相手に伝えなければならない現実。しかも、それを伝える相手が智彦くんというのがまた、嫌だった。
そんな私がお手洗いから出ると、私の視線の入るところに兄貴達ふたりはいた。
 「お待たせー。」
ふたりの兄貴達の傍に行ってから、声を掛けた。すると、
 「今な。そんなに混んでるふうもないのに、ゆきがなかなか戻ってこんさかいにな、ふたりで覗きに行くかって言ってたんだ。」
と、温人くん。そこで、
 「何、言ってるのよ。子供じゃないんだからね。迷子になんかならないわよ。」
と、さらりと言って、私はごまかした。
そして、私達三人はまた、車に乗り込むとドライブを続けた。
季節は五月。晴天のこんな日、風に身を任せるのは、最高の季節。
私達は車の窓を全開にすると日本海の風を楽しんだ。
ドライブウエーの終点で車を降りた私達三人は、そこで、自動販売機を見つけると、今度は、それぞれの財布からジュースを買って、傍のイスに腰掛けて休憩をした。
「ゆき、帰り送って行こうか?。」
と、智彦くん。
「お兄ちゃんさえ良かったら、送ってくれてもいいけど、えりの住んでる所まで往復したら、お兄ちゃんの家に帰り着くまで一時間近く掛かるわよ。」
「それは、別にかまわないさ。」
「それだったら、僕も一緒に乗ってくよ。」
は?。
そこまで、温人くんがついてくるの…?。
やっぱり、世の中って、自分の思い通りになんていなかいものね。
でも、温人哉くんがいることで、私は智彦くんに手を出されないですむことを確信した。 人は一度美味しい思いをすると、なかなかそこから抜け出せないらしいから用心に越したことはない。
今の私にとっては、温人くんがボディーガードの役目を果たしているなんてこと、当の本人は気付いてはいないでしょうね。
その後、私達三人は、暫く周りの景色を見て楽しんだ。
傍には島影一つないどこまでも続く海。
私は小島が無数にある瀬戸内海に面した町で育ったので、島影のない海を見るのは珍しかった。
そして、私達三人は、また、車に乗り込むと、元来た道を引き返すこととなった。
暫く走ったところで、
 「ゆき、退屈だったら、寝ててもいいよ。この先も朝来た道を走るから。」
と、智彦くん。
「傍に運転している人がいて、寝てなんかいたら失礼でしょ。」
と、私が言ったら、
「智彦、僕が運転代わってもいいよ。」
と、温人くん。しかし、
「運転は僕がするからいいよ。」
そう言って、智彦くんはやんわりと断った。
でもね。
私としては、温人くんが運転する姿も見たかったなとは思うんだけどね。智彦くんが断った以上、私には何も言えないからね。
そして、それから三十分ぐらいが過ぎた時。
 「智彦、朝通った通りに、懐かしい名前のラーメンやさんがあったさかいに、そこに寄ってかへん?。」
と、温人くん。
そう言われ、私がふと、車についている時計に目を移すと時刻は午後三時を少し回っていた。
「ゆきはどうする?。」
と、智彦くん。
「私、お腹そんなに空いてないから、車で待ってる。」
と、言えば、
「そんなら、僕も待ってる。」
と、智彦くん。
え?。
これって、何かヤバク(危険)ない?。
智彦くんとふたり車で待つなんて…。
と、思ったのだが、食事をしない私が、温人くんについて店に入ってくワケにもいかないしね。
なんだか、ドーッと疲れが出た。
温人くんの言ってた店には、ものの五分程で駐車場に到着した。
 「そんなら、僕だけ行ってくるさかいにな。」
と、言い残すと、駐車場に止まった車のドアを開けて出た温人くんは車から離れた。
その店は窓ガラスが全部透明になっていて、店の中の様子が私達ふたりの乗っている車の座席の位置からよく見えていた。そこで温人くんを目で追うと、温人くんは店に入って直ぐのところのカウンター席についた。それが幸か不幸か?、車の中で待っている私達ふたりを背にしていたのだった。
その温人くんが食事を済ませて車に戻ってくるには、いくら早く出来上がるラーメンだとはいえ、十五分はみっちり掛かる。
そこで、私は口紅以外の化粧はしてないのだが、暇潰しに、バックからコンパクトミラーを出すとそれを覗いた。
本当は、ここで、智彦くんと念願叶ってようやくふたりになれたのだから、言いたいことがあれば今のうちにと心は焦っているのだが、返って、何も言えず、そこで、思いつい
たのが、コンパクトミラーを覗くことだったのである。
智彦くんはというと、私に何かを語り掛けるでなく、彼は座席を少し倒して眠りについたようだった。
そして、私達ふたりには物静かな時間が暫くは流れるはず…だった。
しかし、次の瞬間。
 え?。
私の予想通り、智彦くんの右手が私の右太股あたりに伸びてきた。
智彦くんは自分が座席を倒しているから、温人くんが万一後ろを振り返っても、ここまでは見えないだろうと確信しているようだった。
 「それは、ダメ!。」
私は初めて智彦くんに抵抗した。
私のその言葉に、智彦くんは驚いて手を引っ込めるかと思ったのだが、私のはいているスカートの上から手を離そうとはしない…。
そこで、私は左手にコンパクトミラーを持ち、右手で智彦くんの右手首を取ると、
「私に電話で謝ったでしょう?。悪いことをしたと思ったから謝ったんでしょう?。だったら、この手はダメ!。」
と、言いながら、智彦くんの身体の方に戻した。
本音はこのまま何も言わず、抱いてくれたらいいのに…の心境なんだけどね。
ここでは時間も場所も悪すぎる。
それに、これ以上、親密になるのは、いつか必ずくる別れがお互い辛くなるだけだし、それに合わせて罪だって重くなっていくのは避けられない…。
だから、今、私は智彦くんにとって、妹でありながら、姉の役目も果たさなければならないことに気付いていた。
それでも、智彦くん。やっばり諦めがつかないのか、その行為を二度、三度、繰り返した。そして、その度に、私は智彦くんの手を智彦くんの身体の方に返さなければならなかった。
そうこうするうちに、私が店の中の温人くんに目を移した時、温人くんはズボンの後ろポケットから財布を取り出している様子が見えた。そこで、
 「お兄ちゃん、もうすぐ、温人兄ちゃんが店を出てきそうだから、もう、イスを起こしておかないとマズイわよ。」
と、言うと、さっきまでの智彦くんとは違い、私から手を離すと急いでイスを起こした。 そして、何事もなかったかのように、車のルームミラーを自分の方に向けると、手櫛で髪を整えた。その様子がなんだかとても可笑しくて笑いたくなったのだが、ここで笑ってしまうと、智彦くんのプライドにが傷付くと思った私は笑いを堪えるのに必死だった。
 「お待たせー。」
暫くして、温人くんが車に戻ってきて、後部席に乗り込んだ。
 「ああ。ここで十五分のロスやんか。」
そう言いながら、智彦くんは車のエンジンキーを回した。
 「いやー。悪い。悪いな。さっきのラーメン屋、懐かしい味のままやったわー。今度、会社休みの時、また、来るわ。」
と、温人くんは満足そうに言った。
それからの私達三人が乗った車は、町に戻ってからも、渋滞に巻き込まれることなく、えりの借りてるワンルームマンション前に着いた。
車から降りる私に、
 「ゆき、また、来いよ。」
と、温人くんが。そして、私が、
 「また、来るね。」
と、言ったら、
 「ああ。また、来いよ。」
と、智彦くんが、それぞれ、言葉を交わして別れた。
そして、私は走り去っていく智彦くんの運転する車が見えなくなるまで見送った。
智彦くんには聞きたいこと、聞いてほしいことがたくさんあった。でも、今の私には智彦くんに話し掛けるチャンスがあったとしてもその勇気すらなかった。何かを聞き出すことは、もしかしたら、今以上にお互いの心が深く傷付くかもしれないことを想像したからだった。
このまま何かを聞き出さない方が、なんだかお互いの為なような気さえしていた。
そして、翌日、私は自宅への帰路についた。




 それから、半年後、私は三度、京都に住む妹えりの自宅マンションを訪れていた。
半年前と違うのは、智彦くんが転勤の為、自宅から通勤するのには時間がかかり過ぎるという理由から、職場から電車で三十分ぐらい離れたところのアパートでひとり暮らしを始めていたことだった。その智彦くんが住んでいるアパートは、えりが住んでいる所の最寄りの駅から電車に乗って、途中、一度乗り換えても、およそ三十分もあればおつりがくる所にあった。
 だから、当然のように、智彦くんの自宅からの引っ越しの日には、えりが呼ばれて、手伝わされたとえりはボヤいていた。
でもね。
えりが愛媛から京都に引っ越して来た時は、智彦くん一家と温人くんが手伝ってくれたというのだから、それは、お互い様だとは思うんだけどね。
あたしなんか、自宅から通勤して、今も箱入り娘のままなんだからね。それを考えたら、えりは自由があって羨ましいなとは思う。
 「ゆき。今日は何処へ行くの?。」
と、えり。
 「そうねえ。町に出て、買い物でもして、早いうちに帰って、夕御飯でも作っとくから、早く帰っておいで。」
と、返事をした。すると、
 「そう、だったら、行ってくるね。」
と、えりは自宅マンションのキーを傍のテーブルに置くと仕事に出掛けた。
 「行ってらっしゃい。」
私はパジャマ姿のまま、玄関でえりを見送ると、ドアを中からロックしておいた。田舎だと鍵を掛けるのは希なこと。でも、ここは都会。都会に住むってことは面倒なこともあるのだと思った。
それから、私は着替えると、部屋の鍵を今度は外からロックして、町に行くことにした。
 今回は、温人くんも智彦くんもそれからえりも仕事の都合がつかず、休みが取れなかった為、町へ行くのは私ひとり。
道案内もないまま行くのはちょっと心細かったけどね。
せっかく、京都まで来ておきながら、何処へも行かず、行けないまま、自宅に帰ることになるのは、嫌だからね。
それで、その日は、夕方まで、私はひとりで過ごした。
午後七時。えりが仕事から帰宅。
ふたりで、私の作った御飯で夕食とした。
 「ゆき。明日、智彦兄ちゃんが、三人で夕食を町に出てしないか?。って言うのよ。」
 「何?。それって、いつ決まったの?。」
当時はまだ、携帯電話が発達していなかった為、いつ、えりと智彦くんが連絡を取り合っていたのかが、私には不思議だった。
 「あ・ゴメン。言ってなかったっけ?。」
 「聞いてないわよ!。それで、何処に行くの?。」
 「智彦くんも明日も仕事だから、それじゃ、ゆきが可哀想だからってことで、仕事帰りに、自宅アパートを通り越して、町まで出て来てくれるそうよ。待ち合わせの場所は聞いてあるから。」
 「それだったら、そうと言ってくれればいいのに…。」
 「ゆきを驚かせるつもりだったんじゃない?。」
 「何言ってんのよ。私に伝えるのをえりが忘れていただけでしょうが!。」
と、いうことで、翌日の午後七時。私達姉妹は、智彦くんとの待ち合わせの場所にいた。 そこの場所というのが、人通りの絶えることのないスクランブル交差点。
こんなにも沢山の人が行き交う中で、たったひとりの人を待つ時間。
これが恋人を待つ時間だとしたら、もっと楽しい時間なんだろうけどね。智彦くんと私は、たぶん、急速に別れの時間に向かっていっているはず。でも、表向きは周りの人に気付かれることなく過ごさなければならない葛藤。
智彦くんは心の整理ができているのだろうか…。
そんなことを思いながら、私は智彦くんが現れるのを待っていた。
 「ゆき、兄ちゃんが来たわよ。」
  突然、傍のえりに腕を掴まれた。
 「え?。何処?。」
と、尋ねながら、視線を私達姉妹が立つ位置から交差点を挟んで反対側に向けたら、いたいた!。
そこには懐かしい?顔がネクタイ姿で信号待ちをして立っていた。その手にはビジネスマンが持つカバン。
そして、その顔は信号が青に変わると同時に、智彦くんの方も私達姉妹に気付いていたのか、私達姉妹の方に向かって歩いてきた。
そして、かなり傍まで来ておきながら、智彦くんは私達姉妹に何かを語り掛けるでなく、まるで、ついてこいと言わんばかりに、私達姉妹の先を歩いた。そこで、私達姉妹も智彦くんと暗黙の了解とでもというように、彼を見失わないように歩いた。
そのまましばらくは人混みの中を歩いた後、たどり着いたのは一軒の和食の店らしかった。
引き戸を智彦くんが開けて店に入ると、
 「いらっしゃい。」
と、威勢の良い男性の声がした。
私達三人は、空いているテーブル席を見つけると、そこのイスに座った。そのテーブルの席は四人掛けになっていた。智彦くんが、いつものように私達姉妹とは向かい合わせのイスに座ったのだが、何故か、えりの正面ではなく私の正面に座った。
そして、その後は、いつものように楽しい食事の時間が流れた。
会計をする段階になり、私が払おうとしたら、
 「僕が払うよ。」
と、言って、智彦くんは私の手から伝票を取った。
 「そういうわけにはいかないわ。」
と、私が言ったら、横からえりが、
 「そういう時は、御馳走になったらいいのよ。姉ちゃん。」
と、きた。
本当に、こういう時の妹って、勘定高いといえばいいのか…、ずるがしこいといえばいいのか…。だいたい、妹っていうのは何処に行っても、大事にされてしまうらしい…。
 特に、妹えりの場合。温人くんや智彦くんに会っている時は、お金の心配はしないみたいだ。私なんか、この四人組でいる時は上でもなく、下でもない中途半端な位置にいるから、お金のことだけでなく、いつも何かを心配していなければならない立場は逃れられない。それに、私達四人を家、別にしてしまうと、私は美沢家の長女。そうなると、やっぱり私はしっかり者でないと恥をかくことに繋がりかねない。
こんなややこしい四人組ってそうそうはいないというか…、なかなか体験なんてできないとは思うけどね。
そこで、
 「本当にそれでいいの?。」
と、再度、智彦くんに聞いたら、
 「僕が払うよ。」
と、言うので、
 「ありがと。ご馳走様。」
と、言って、私は素直に智彦くんの厚意に甘えることにした。
それから、会計を済ませ、店を出て少し歩いたところで、何故か私達姉妹より先行く智彦くんが立ち止まった。
そして、智彦くんは自分の腕時計を見てから、
 「これから、どうする?。」
と、聞いてきた。
 「どうするって、それぞれ帰るんじゃないの?。」
と、えり。
 「ゆきはどうしたい?。」
と、智彦くん。
 「そうねえ。行ってみたいところがあるのだけどいい?。」
 そう言って、恐る恐る尋ねると、
「ああ、いいよ。」
と、智彦くん。
「それがね…。お兄ちゃんのアパートに行ってみたいの…。」
と、少し遠慮がちには言ったのだけど、これがえりの前だったのがマズかった。
「お姉ちゃん、何言ってるの!。自分が何を言っているのか分かっているの?。」
普段、滅多に反論しないえりが怒ったように言った。さらに、
「いくら、都会だからといっても、終電はあるのよ。今の時間から、お兄ちゃんとこへ行ったりなんかしたら、電車は朝までないのよ。帰りはどうするのよ?。」
と、きた。
「タクシーで帰る。」
と、返事をしたら、
「あたしは、何が起きてもしらないからね。お兄ちゃんだって、男なんだからね。」
と、意味ありげな言葉を並べた後、私が返事もしないうちに、えりは自宅マンションの方に帰る電車乗り場の方へとひとり歩き出した。
そして、私はこの時点からさらに強い葛藤を背負うことになった。
お互いの親に内緒で、智彦くんのアパートに行くということは、朝まで智彦くんとの間に何も起きなかったとしても、その時間、智彦くんとふたりだけだとそれを証明することは難しい。しかも、私にとっては外泊に変わりはない。そして、今度はそのことでえりから、脅迫されるかもしれない恐怖…。
でも、智彦くんのアパートに行けるチャンスは今回限り…。
これを逃してしまったら、たぶん、私にチャンスは永遠にこないと思う…。
あたしはどうしたらいいの?。そう思いながらも、えりの借りてるワンルームマンションとは逆方向の智彦くんが自宅アパートに帰る電車乗り場へと私は智彦くんと歩き出していた。
こんなことをしていていいの?…。楽しいの…?。
それは今まで私が体験したことのない葛藤。
このまま、朝まで、えりの所へ帰らなかったら、私は罪をさらに背負うことになる。
ただ私は自分の心に素直に生きたいだけなのに、こんなにも障害が生じるなんて…。
智彦くんと会う時は、妹えりを含む三人でいたからこそ、今まで築いてこれた関係だとはいえ、お互い大人になってからとる行動は、こんなにも罪が重いとは…。
お互いの親達も、私達が会う時は、必ず、三人組だったからこそ、自由に追い放していたのだろうとは思う。もし、これが、男女一対一の関係でしかも、男性の方が年上ときたら、いくら、お互いが親戚同士であっても、それぞれの親達は、私達をここまで野放しにはしていなかったと思う。
そんな三角関係が招いた悲劇…。
でも、まだ、それぞれの親達はことの重大さには気付いてはいないだろう…。しかし、妹えりが、智彦くんの住むアパートに私が外泊したことをどちらかの親に告げてしまったら、私達の関係は、続けられなくなることだけは確実である。
そんな私に取るべき道は一つだけ。このまま、智彦くんの住むアパートには行かないこと…。
でも、今の私にそれを選択をする勇気はない…。
それなら、いっそ、今、ここで、智彦くんが、『来ては行けない。』と言って、私を追い返してくれたら、まだ、諦めもつく…。
だけど、智彦くんは私を突き放すようなことは言わないだろう…。それが智彦くんのもつ優しさでもあるから…。
 「ゆき、ここで待ってな。切符を買ってくる。」
そう言うと、智彦くんは私の傍を離れ、駅の一角に置かれている切符の自動販売機の前に立った。
 町はずれの駅だとはいえ、ここはやはり都会。照明も明るければ、人通りも昼間程ではなくてもある。そして、そこかしこには、カップルが目に付く。それはここの日常では当たり前の光景だし、そんな私も今は智彦くんの彼女として見られている暫しの優越感。でも、私達ふたりは、どんなに願っても、そんな関係にはなれない…。今、こうして、私が見ているカップル達がどれほど羨ましいことか…。 
 暫くして、
 「ほら、切符。」
そう言って、智彦くんから渡された一枚の切符を受け取った瞬間。私は、決心した!。智彦くんとは地獄の果てまでも付いていく!。とたえ、これがきっかけで、お互いの親同士に亀裂が生じても…。
でも、やっぱり、神様は意地悪だった…。
意地悪というよりも、私達ふたりにこれ以上の罪を重ねてはいけないと教える為に、最後の攻撃に出たようだった。
それは、私達ふたりが電車に乗ろうと、その切符売り場から地下の電車乗り場へ移動しようとした時のことだった。
不意に智彦くんは立ち止まり、自らのカバンを開け何かを捜している様子に、
 「何を捜しているの?。」
と、私が尋ねたら、一言、
 「財布。」
と、言う返事が。
 いくら捜しても無い様子に、
 「もしかして、さっき、切符を買った時に置いてきたのかも…?。」
と、私が言うと、智彦くんは急いで、自分が買った切符の自動販売機へと急いだ。そこで、私もその後を追いかけた。
でも、時は既に遅く、その周辺をも捜したのだが、智彦くんの財布は見つからなかった。 「財布がないと困るな。」
と、智彦くんは肩を落としてそう言った。
 「あの財布には現金や銀行のキャッシュカードの他に大切な物が入っていた…。」
 「交番に届ける?。」
と、私。
 「交番になんかに言っても、財布が戻ってくることはないからな…。それよりも、銀行に明日一番に連絡しておかないとマズイことになりそうだな…。」
 「そしたら、私はどうしたらいい?。」
 「悪いけど、一万円だけ貸してくれないか?。あの財布には全財産が入っていたから、親に言ってお金を送ってもらうまでは困ることになる。」
 それを聞いた私は無言のまま、自らのカバンから財布を取り出し、そこから一万円札を差し出した。すると、智彦くんは、
 「すまない。」
と、言って、それを受け取り自らのカバンに入れた。
私が傍にいながら、どうして、そのことに気付かなかったんだろう…。
私の目からは瞬く間に涙が溢れた。
その私の様子に、
 「ゆきのせいではないから…。」
と、智彦くん。
今ここでどんなに後悔しても、智彦くんの財布が戻ってはこないことが分かっていても、私の涙は止まりそうもなかった。
 「ほら、行くよ。」
智彦くんは優しく私の右手を取ると、何事もなかったかのように、電車に乗る為に地下に向かって歩き出した。
その時、私は、智彦くんの私への想いは本物であることに気付いた。いつもは、私に向かい冗談で私を笑わせたり、嫌味を言うことがあったのだが、命の次に大切な物を失っておきながらもこの冷静さ…。
 私がもし、智彦くんと同じ立場であったなら、ここまで冷静にはなれなかったと思う。 そんな智彦くんと共に、お互いこれ以上の罪を重ねるわけにはいかない…。
 「ごめん…。私は行けない…。」
そう涙声で言って、私は立ち止まると智彦くんの手を払った。
 「ゆき、おいで。」
智彦くんは、再度、私の右手首を掴んだ。
本当は、智彦くんとは地獄の果てまでも、付いていきたい心境に変わりはない。でも、お互い、この先の長い人生のことを考えたら、ここで、智彦くんについて行くことは、お互いの未来を潰してしまうことになる。
そして、この時、私の脳裏には、お互いの両親と私の祖父母の顔が浮かんでいた…。
私達ふたりが結ばれることはお互いにおいて幸せでも、他の人達にとっては不幸に違いない…。この人達を裏切ってまでは、私は幸せなんかにはなれない…。
 「ごめん…。私は行かれない…。」
私はそう言って、智彦くんの右手を再度払うと、智彦くんの返事も聞かずにそこから、小走りで逃げ出した。
 もし、智彦くんが、アパートに着くまで、財布を無くしていることに気付いていなかったとしたら、私はたぶんまた、ふたりでさらに深い罪を重ねていたと思う…。
でも、神様は一瞬、私に正常な判断ができるように仕向けてしまった。
ここで、素直に智彦くんについていくのも、私の人生にはかわりはない…。だけど、私は、智彦くんとはお互いにとって、一生、周りに気兼ねすることなく付き合える関係である方が、お互いの人生には有利ではないのか…。
今は、辛くても、長い人生、いつか良いことも巡ってくるよね?。
私は、そんなことを自問自答しながら、えりの待っているマンションへと急いだ。

えりのいるマンションに帰ると、どうやら、一足先に、自宅アパートに帰っていた智彦くんから電話があったらしい。
それも、今時のように、当時はまだ、携帯電話もなかったから、自宅まで帰らないことには連絡の取りようはなかった。
 「智彦くんは、無くした財布のことについては、ゆきのせいではないって言ってたから。」と、えりに言われたものの、先程の智彦くんとのやりとりのシーンが思い浮かび、私はまた、涙した。
涙しながらも、智彦くんとの関係は、一生、誰にも暴露はしない、気付かれもしない行動をとることをここで強く思った私だった。
そして、今回も私は智彦くんには何かを聞き出すことも、話すこともできないないまま、京都の旅は終了した。


  第4章 悲しみのとびらが開くとき に続く

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